第十四話:旅立ちですか?獣国にいきます
「不審者だッ!!」
「曲者を捕らえろ! 姫様の御前だぞ!!」
バァァンと景気よく扉を蹴り開けた瞬間、はじめの視界に飛び込んできたのは、銀色に輝く槍の穂先……ではなく、屈強な近衛兵たちの筋肉の壁だった。
「ちょ、ちょっと! おじさん、捕まっちゃったよぉぉ!?」
「待っ……、りりさん、動かないで! ……暴れると……『菓子折り(パッチ)』が……潰れます……っ!!」
はじめとりりは、一瞬で左右から腕を固められ、床に押し付けられた。
かつての社畜時代、深夜残業中に警備員に不審者扱いされた時以来の屈辱。だが、はじめの執念は凄まじかった。両腕を押さえ込まれながらも、彼は脇に抱えた「特盛り蜂蜜クッキー詰め合わせ」だけは、聖遺物のように死守している。
「……何事です。騒がしいわね」
書類の山が築かれた玉座の横。
そこから、羽ペンの音を止めて顔を上げたのは、氷の彫刻のような美しさと、一週間寝ていない人間の凄みを併せ持った少女――ベアトだった。
「ベ、ベアト! 待て、待つのだ! その者たちは……っ!!」
遅れて部屋に滑り込んできたゼノが、必死に弁明を始める。
「……その者たちは、私が話した『救国の士』……。……そう、この私が全幅の信頼を置く、社畜の……いや、コンサルタントのはじめ殿だ! 決して不審者ではない!」
「……そう。お兄様が、現場を放り出してまで付き従った『大切な客神様』……。それが、この、床でクッキーの箱を抱きしめて震えている不審な方?」
ベアトの冷徹な眼差しが、はじめを射抜く。
はじめは、兵士に顔を床に押し付けられながらも、ベアトを凝視した。
(……間違いない。あの目、あのクマ……。……あれは、……『リリース直前にメインプログラマーが失踪した時のデバッグ担当者』の目だ……っ!!)
「……ベアト様。……不作法を承知で……申し上げます」
はじめは、床を這うような声で、だがはっきりと告げた。
「……我々は、……この事態の……『根本的なバグ(ゼノ)』の修正と、……遅延した引継ぎ業務の……補填に参りました……っ!!」
「り、リリも! おじさんの世界の『魔法(お菓子)』、持ってきたから……! 食べれば元気になるよぉっ!!」
近衛兵たちが困惑して槍を引く中、ベアトはゆっくりと立ち上がり、はじめの前まで歩み寄った。その足音が、冷たく、重く、謁見の間に響く――。
「……兵を下げなさい。その方たちは、お兄様の『大切なお客様』でしょう?」
ベアトの冷ややかな、けれど絶対的な命令。兵士たちが戸惑いながらも手を離すと、はじめは自由になった瞬間、滑り込むようなスムーズな動作で、床に額をこすりつけた。
「ベアト様ッ!! この度は、弊社……ではなく、ゼノ様による『致命的な引継ぎ不足』および『無断外出』により、多大なるご迷惑をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます!!」
「えっ……!? おじさん、急にどうしたの!? ……わ、わかった! リリの『ギガ盛り・全力ごめんなさい(初級ヒール)』!!」
りりが慌てて、これまたなんの効果もない光の粉をベアトに振りまく。
「……はじめ殿! 何を言うか! 悪いのは、妹に何も言わず飛び出したこの私だ! ベアト、その方を責めないでくれ!」
「いいえ! ゼノ様を外に連れ出したのは私です! つまり、この混乱の根本原因は私にあります! この『菓子折り(パッチ)』でどうか、どうか検収(お許し)を……っ!!」
「おじさんだけじゃないよ! お菓子を『これだ!』って選んだのはリリだもん! だからリリが一番悪いんだよぉっ!!」
「違う! 私だ!!」
「いいえ、私です!!」
「リリだよぉーーっ!!」
玉座の前で、大の大人二人が土下座競争を始め、少女が光の粉を撒き散らしながら割り込む。そのあまりにも醜悪で、けれど必死すぎる「責任の奪い合い」を、ベアトは呆然と見下ろしていた。
やがて。
「……ふっ、……くくっ……。あはははは!」
ベアトが、堪えきれずに吹き出した。
一週間、冷徹な仮面を貼り付けていた「次期領主」ではなく、16歳の少女の顔に戻って。
「……もう、いいわ。……バカバカしい。……お兄様、あなた、本当に変な人を連れてきたのね。……そんなお菓子で、私のこの一週間のデスマーチ(地獄)が報われると思っているの?」
ベアトははじめが差し出した菓子折りをひょいと受け取ると、まだ床にへばりついているはじめに、優しく、けれど少しだけ悪戯っぽく微笑みかけた。
「はじめ様……でしたね。……お兄様をお願いします。……この人は、こうやって誰かが『管理』してあげないと、すぐに迷子になるバグだらけの騎士ですから」
ベアトの優しい微笑みに、屋敷を包んでいた氷のような緊張が溶けていく。
はじめは、ようやく床から頭を上げ、土下座で少しずれた眼鏡……ではなく、視界を正すように目を細めた。
「……ゼノ様。ベアト様の期待に応えるためにも、これより『獣国』へのルートを確保します」
「うむ……。はじめ殿、感謝する。……ベアト、必ずやこの命に代えても、はじめ殿と聖女殿を守り抜いてみせよう!」
「……お兄様、その『命に代えて』っていうのが危なっかしいって言ってるの。……はじめ様、本当に、よろしくお願いしますね」
三人は、ベアトに見送られながらミツバチの屋敷を後にした。
目指すは、かつてはじめが「世界平和パッチ(りりちゃんのヒール)」で執事を消滅させた、スズメバチ城だ。
「……あ、あのお方は……っ!」
「……『執事様を消した男』だ! ……門を開けろ! 早く開けるんだ!!」
スズメバチ城の正門に辿り着くやいなや、門番たちが血相を変えて跳ね橋を下ろした。
はじめが何か言う前に、道がパカッと開いていく。
「おじさん、すごい! みんな、おじさんのこと、すっごく尊敬してるみたいだよ!」
「……りりさん、あれは尊敬ではなく……『関わると消される』という恐怖のログ(記録)が共有されているだけです……」
城内に入ると、そこには以前の「完璧すぎて気味の悪い静寂」はなかった。
代わりに、少し不慣れな様子で冷や汗を流している若い男が、深々と頭を下げて待っていた。
「……ようこそ、救世主様。……消滅した前執事に代わり、執事代理を務めております。……女王陛下がお待ちです」
はじめは、執事代理の案内に従い、再びあの巨大な謁見の間へと足を踏み入れた。
今回の目的は、単なる謁見ではない。
修一の待つ『獣国』へ足を踏み入れるための、公式な「許可(アクセス権)」を得ることだ――。
謁見の間。
玉座に深く腰掛けたスズメバチの女王・ヴェスパは、はじめの顔を見た瞬間、わずかに頬を強張らせ……、それから不自然に視線を逸らした。
「……ふん。また貴様か。……執事を消しただけでは飽き足らず、今度は何用だ」
「ヴェスパ様。……唐突な申し出で恐縮ですが、『獣国』への通行許可をいただきたい。……あそこには、俺が追わなければならない……真実があります」
はじめが真っ直ぐにヴェスパを見据えると、彼女はふいっと顔を背け、羽を僅かに震わせた。
「……獣国だと? あんな、理屈の通じぬ野蛮な国へ、貴様のような軟弱な男が行ってどうする。……あそこは『弱肉強食』が唯一の法。獣人たちの膂力が支配する、ログの書き換えすら暴力で行われるような場所だぞ」
ヴェスパは、聞いてもいないのに獣国の解説を始めた。
「……いいか。獣国は、巨大な樹木が天を覆う密林地帯だ。……通貨は『リグ』だが、力なき者は物々交換すら許されん。……それに、あの国を統べる『四聖獣』は、貴様が戦ったアンデッドとは格が違う。……特に、国境を守る『白虎の門』は……」
はじめが驚くほど、ヴェスパの口からは詳細な「設定資料」が溢れ出した。
「……あ、あの……。ヴェスパ様? 俺は、通行の許可をいただければ……」
「……だ、黙れ! 貴様のような無知な者が死んで、我が国との国境が汚れては困るから教えてやっているだけだ!」
ヴェスパは顔を真っ赤にして立ち上がると、執事代理からひったくるようにして「通行許可証」を投げよこした。
「……ふん、行きたければ勝手に行けばいい。……ただし! ……もし、あちらで困るようなことがあれば……、……その……。我が国の『救援要請』を送ることくらいは……、……検討してやらなくもない」
最後の方は消え入るような声で、ヴェスパは再び玉座に深く座り直し、顔を隠すように扇を広げた。
「……ふぅ。……これで、……チェックポイント(国境)……までの……パス……は……確保できました……」
はじめはヴェスパから投げ渡された、猛々しい白虎の紋章が刻まれたプレートを、大切に……いや、まるで「絶対に落とせない重要書類」を扱うような手つきで懐に収めた。
「おじさん、これがあれば、獣国でもお菓子、いっぱい買えるかなぁ?」
「……りりさん。……あちらでは、……お菓子よりも……『筋肉』と『牙』……が……、……一番の……共通言語……らしいですよ……」
「……行きましょう、ゼノ様、りりさん。……これより……、……獣国国境……『白虎の門』……への……、……デバッグ……(強行突破)……を開始します……っ!!」
三人の背中が、夕陽に照らされて長く伸びる。
虫国を後にした彼らの前に、いよいよ、弱肉強食の理が支配する未踏の領域が、その巨大な口を開けようとしていた――。




