第十三話:職場放棄ですか?引継ぎ不足です
甘露の村の墓地に、冷たい風が吹き抜ける。
はじめは、りりと繋いだ手の熱を確かめるように一度強く握り、それからゆっくりと辺境伯に向き直った。
「……辺境伯。俺たちは一度、ミツバチ領へ戻ります」
「……ほう。あの騎士の元へか」
「ええ。俺一人じゃ、この世界のソースコード(理)なんて読み切れない。……あいつの、バカ正直なまでの『現場の力』が必要なんです」
はじめは眼鏡を押し上げ、鋭い光を宿した。
(……それに、あいつ。……親書のことしか頭になかった。……あの状態で放置された現場がどうなるか、……想像しただけで胃が痛む。……一刻も早く、状況を確認しなきゃならない……!)
「おじさん! リリも行くよ! ……リリの**『全自動世界平和パッチ(ギガ盛りヒール)』**があれば、どこだって怖くないもん!」
りりが胸を張って、なんの効果もない光の粉を周囲に撒き散らす。それを見たはじめは、「……ええ、そうですね」と遠い目をして歩き出した。
数日後。
二人は、ミツバチ領の城下町へと辿り着いた。
だが、そこにあったのは、ゼノが語っていた「黄金の蜂蜜と歌声が溢れる町」ではなかった。
「……おじさん、なんだか町が……真っ黒だよ?」
りりが不安そうに呟く。
民家の軒先には黒い布が掲げられ、行き交う人々は一様に俯き、沈痛な面持ちで歩いている。
はじめは立ち止まり、周囲の「ログ」を読み取った。
領民たちのひそひそ話……。
『……女王陛下、お若かったのに……』
『……ベアト様がお一人で、あの立派な葬儀を……』
『……それに引き換え、あのお兄様は……』
その瞬間、はじめの脳内で、真っ赤な警告アラート(エラー)が鳴り響いた。
(……待て。葬儀が終わった? ……ベアトという妹が一人で仕切った? ……そして、ゼノへの不満が最高潮に達している……?)
はじめの顔から、すうっと血の気が引いていく。
彼は隣で「みんなの悲しみを消す『ギガ盛りスマイル』だよ!」と、通行人に変なポーズを取っているりりの肩を掴んだ。
「りりさん。……緊急事態です。……今すぐ、作戦を変更します」
「えっ!? なになに? ……新しいボスが現れたの!?」
「……ええ、ある意味では最強最悪のラスボスです。……名前は**『怒り狂った現場担当者』**」
はじめは冷や汗を拭いながら、早口でまくし立てる。
「……いいですか。ゼノのやつ、……あの状況で、一切の引継ぎ(ハンドオーバー)をせずに、……しかも『看取った直後』に、……実務を全部妹にぶん投げて、……俺との旅(出張)に出ました」
「……えっ、それって……お父さんの葬式に、私だけ置いて、お兄ちゃんが遊びに行っちゃうようなもの……?」
「……遊びではありませんが、現場から見れば同罪です。……今のゼノは、……バックアップなしで本番環境を破壊して逃げ出した……『史上最悪のシステム管理者』……の状態です。……今すぐ、彼を救出しないと、……物理的に消去(BAN)されますよ」
「……うわぁ……。……ゼノおじちゃん、バカなの……?」
りりすらも引いている。
「……りりさん。……これより、**『兄弟仲直り大作戦(物理的な謝罪ログの挿入)』**を開始します。……いいですか、あなたの魔法(初級ヒール)は、今は封印してください。……代わりに、……一番効果的な『ご機嫌取り』を……今から二人で考えますよ……っ!!」
「……まずは、マーケット(購買部)へ向かいます」
はじめは迷いのない足取りで、城下町の一角にある高級菓子店へと向かった。
「おじさん、なんでお菓子を買うの? ベアトちゃん、お腹空いてるのかなぁ?」
首を傾げるりりに、はじめは人差し指を立てて、至極真面目な顔で説いた。
「いいですか、りりさん。……人類の歴史において、……荒れ狂う『クライアント(激怒した身内)』の心を鎮めるために、……糖分と高級感は、……何よりも有効なパッチ(修正プログラム)なんです。……これこそが、……現代社会を生き抜くための『最強の魔導具(菓子折り)』ですよ」
「へぇー……。……おじさんの世界の魔法は、……甘い匂いがするんだね!」
納得したような、していないような顔のりり。
はじめは、店内に並ぶ色とりどりの蜂蜜菓子や、精巧な細工が施されたクッキーを吟味し始めた。
(……ゼノに借りたこの『リグ(通貨)』、……本当は生活費にするつもりだったが……。……今は、……あいつの生存権を維持するために……全額ベットするしかない……っ!)
「これと、これ。……あと、あっちの詰め合わせもください。……一番高い、……一番重厚な箱のやつを」
かつての社畜時代、上司のミスを謝罪しに行った時と同じ、流れるような手つきで注文を済ませる。
山のような菓子折りを抱え、はじめは再び歩き出した。
「よし。……武器(お菓子)の調達は完了しました。……りりさん、……これより……最終決戦の地、……『みつばち屋敷』の正門へ……突撃(アポイントなし訪問)……を開始します……っ!」
「おーっ! ……リリの『ギガ盛り・スマイル』も、準備万端だよっ!」
二人は、重々しい沈黙に包まれた屋敷の門前に立った。
はじめとりりが屋敷の門前に立つと、門番は二人の容姿を見るなり、深々と頭を下げた。
「……お話は伺っております。ゼノ様のご友人の方々ですね。……どうぞ、こちらへ」
「えっ! おじさん、顔パス!? リリの『ギガ盛り・有名人オーラ』が効いたのかな!?」
「……いえ。……ゼノのやつ、……自分一人じゃ詰んでると……、……本能で察して……助けを求めていたんでしょう……」
はじめは、重厚な箱を抱え直し、冷や汗を流しながら屋敷の廊下を進んだ。
案内された応接室。そこには、部屋の隅で膝を抱え、文字通り「真っ白な灰」のようになって震えているゼノの姿があった。
「……は、はじめ殿……っ。……来てくれたのか……。……私は、……私はもう……、……ベアトの……あの冷徹な『未読スルー』の視線に……耐えられん……っ……!!」
ゼノから語られる「地獄の引継ぎ不足」の現状。
三日三晩、一睡もせずに領務をこなしたベアト。……葬儀の参列者のリストを一人で作り、……泣く暇もなく領民に頭を下げ続けた、弱冠16歳の妹。
その話を聞くほどに、はじめの眼鏡はキラーンと冷たく光り、確信を深めていく。
(……間違いない。……これは、……『退職代行を使って、当日に消えた先輩』……への、……最底辺のヘイト(怒り)と同じだ……っ!!)
「……わかりました、ゼノ様。……状況は把握しました。……いいですか、……りりさん。……これより……、……全システムを……強制介入……します」
「……ま、待て! はじめ殿! 今のベアトは……、……近衛兵よりも恐ろしいぞ! ……まずは……、……もっと……綿密な謝罪計画を……!」
慌てて止めるゼノの手を、はじめは無言で振り払った。
「ゼノ様。……ビジネスにおいて、……最悪なのは『放置(未読)』です。……これ以上……タイムアウト(妹の堪忍袋の緒)……を……待たせてはいけません……っ!!」
はじめは、脇に抱えた「菓子折りセット(特盛り)」をまるで戦場に持ち込む弾薬箱のように構え、謁見の間の大扉へと、真っ直ぐに歩き出した。
「おじさん、かっこいいーっ!! よーし、リリも『ギガ盛り・謝罪の光』で、援護するよーっ!!」
「……りりさん、ヒールは出さなくていいですから、……ただ……にこやかに笑っていてください……っ!!」
バァァァン!!
はじめは、躊躇なく、女王が待ち受ける扉を、勢いよく蹴り開けた――。




