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第十二話:甘露の村にて

辺りには、浄化された後の静けさが漂っていた。

「……うっ……、……うわぁぁ……ん……っ」

りりは、泥に汚れた小さな靴や、主を失ったブローチを拾い集めては、そのたびに動きを止めて泣きじゃくっている。彼女の指は震え、視界は涙で霞み、回収の効率はこれ以上ないほどに悪い。


一方のはじめは、膝をつき、無言で淡々と手を動かしていた。

泥を払い、名前もわからぬ誰かの遺品を丁寧に布で拭う。その表情は、まるでバグだらけのコードを一行ずつ修正していくエンジニアのように、冷徹なまでに冷静だった。

だが、その指先だけが、壊れ物を扱うように繊細で……。


やがて、村はずれには整然と並ぶ小さな墓標が複数完成した。

はじめが作ったそれは、無骨だがどこか温かみを感じさせる。


「……終わったよ、りり」

はじめの声に、顔を真っ赤にした彼女が頷き、二人は並んでその土に向かって深く手を合わせた。

冷たい風が吹き抜ける中、はじめは目を閉じ、心の中で「クローズ完了(成仏)」を祈る。


「…………すまなかった、二人とも」


その、低く、枯れた木の葉が擦れ合うような声に、はじめの肩がびくりと跳ねた。

振り返ると、そこには……。


数多の脚を携えた、あの異形の賢者。

この世界で最初にはじめを導いた男、ムカデ辺境伯が、影を落として立っていた。


辺境伯の瞳に映るのは、かつての悪夢。

静かだった村に、突如としてなだれ込む「元・領民」たちの群れ。

逃げ惑う人々が鋭い爪に引き裂かれ、絶命した数秒後には、濁った瞳を見開いて「隣人」に襲いかかる……。

その光景を、辺境伯は……この世界の中でも強力な力を持つはずの彼は、物陰で、拳を血が滲むほど握りしめて見ていることしかできなかった。


辺境伯の枯れた瞳と、その奥に沈む底なしの絶望を見た瞬間、はじめの脳内で全てのピースが合致した。

(……そうか。この人は、加害者じゃない。……一番近くで、一番長く、自分の世界が壊されていくのを見せつけられていた、**「最初の犠牲者」**だったんだ)


「……あなたは、ずっと……。一人で、これと戦っていたんですか」

はじめの絞り出すような声が、静かな墓地に響く。


「……なんでっ……! なんで見てただけなのよ!!」

りりの小さな拳が、辺境伯の硬い外殻を何度も叩く。

「おじさまなら、助けられたはずじゃない! みんな、みんな……死んじゃったんだよ!? 逃げられた人も、あんな変わり果てた姿になって……!!」

涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、りりは叫び続ける。辺境伯は反撃も回避もせず、ただ彫像のように立ち尽くし、その怒りを一身に浴びていた。


「りり、やめろ……っ! 辺境伯にも事情が……!」

はじめが必死にりりの肩を掴むが、彼女はそれを振り払う。

「事情なんて知らない! おじさまが助けてくれれば、お父様だって……!!」


「……聞きなさい、アラクネの愛しき娘よ」

はじめの制止でも止まらなかったりりの動きが、その、あまりにも「やさしく、慈愛に満ちた」声に、ぴたりと止まった。


辺境伯はゆっくりと膝を折り、視線をりりの高さに合わせる。

「……恐怖は、ある朝、静かに始まったのだ。……昨日まで私と笑い、茶を飲んでいた侍女が……朝、目覚めると、一言も喋らなくなっていた。……だが、彼女は仕事を続けていた。……掃除をし、食事を運ぶ。……ただ、その瞳に光はなく……肌は冷たく、腐敗の臭いが混じり始めていたのだ……」


一言、一言を噛みしめるように語る辺境伯。

「……一人、また一人。……愛する者たちが、生きたまま『システム』の一部へと変えられていく。……叫ぶことも、逃げることも許されず……私は、死者たちに囲まれた城で、たった一人の生存者エラーとして……今日まで生かされてきたのだ……」


「……だったら、私が行く! 私の魔法で、領のみんなを治してあげるっ!」

無謀な叫びを上げ、駆け出そうとするりりの細い腕を、辺境伯の鋭い脚が優しく、だが断固として制した。

「……ならぬ。……今、私が『異変』に気づいたと知られれば、全領民が即座に塵へと変えられるだろう。……首謀者の機嫌を損ねるわけにはいかぬのだ……!」

「そんな……! じゃあ、ずっとあのままなの……!?」

りりの問いに、辺境伯は答えない。ただ、食いしばった牙の間から、微かに悲鳴のような音が漏れた。


「……辺境伯、首謀者に心当たりは?」

はじめの静かな問いに、辺境伯は天を仰いだ。

「……根拠はない。だが、このおぞましくも完璧なシステム、……死を『リソース』として再利用する効率の良さ……。これはこの世界の理ではない。……確実に、君と同じ場所から来た**『異世界のスキル』**だ」


はじめの背中に、氷のような冷たい汗が伝った。

(……自分と同じ。……この世界から見れば、自分と同じ『異物』が、これほどの惨劇をシステムとして組み上げたというのか……?)

目の前の辺境伯が語る「見えない首謀者」の影が、はじめの脳裏で、冷酷な管理者のように巨大な輪郭を形作っていく。その正体はまだ霧の向こう側だが、底知れない悪意だけが、はじめの魂をじりじりと侵食し始めていた。


「あの日……君がこの領の端に、ノイズ(異変)と共に現れた時、私は確信した。……毒には毒を。バグには、その対抗コードを。……異世界人を止められるのは、異世界人でしかないのだと」


辺境伯の体が、ギチギチと音を立てて巨大なムカデの姿へと変貌していく。それはかつて、はじめがこの世界で初めて出会った時に見た、畏怖すべき『導き手』の姿だった。

「……はじめ殿。君に授けた『言語能力』は、単なる通訳ではない。……君がこの世界のソースに干渉するための、最初のアクセスパスワードだ……」


はじめは、自分の震える右手を、左手で強く押さえつけた。

(……知らぬふりは、もう、おしまいだ。……俺と同じ場所から来た奴が、この世界をバグらせ、命を弄んでいる。……なら、それをパッチ(修正)できるのも、……俺しかいない)

逃げ続けても、この「歪み」は追いかけてくる。ならば、自らコードの深淵へ飛び込むまでだ。

「……やります。……いや、やらせてください、辺境伯。……俺が、その『システム』を止めてみせます」


「――私も、行く。……はじめさんと一緒に」

隣に立ったりりの声は、驚くほど澄んでいた。

「だめだ、りり。これは今までのようなデバッグじゃない。……相手は、俺と同じ、何をするかわからない化け物だ。命の保証なんて……」

説得しようとするはじめの言葉を、りりは首を振って遮る。


彼女の瞳からは、まだ大粒の涙が零れ落ちていた。

けれど、その口元は……優しく、強く、微笑んでいた。

「……私ね、愛する家族を……お父様を、アンデッドに変えられたの。……もう、失うものなんて何もないよ。……はじめを一人で、そんな怖いところに行かせる方が、もっと……もっと怖いの」


その、泣き顔のままの微笑みに、はじめは言葉を失った。

(……効率とか、安全性とか。……そんなロジックじゃ、こいつを止められないな)

「…………。……わかった。……置いていこうとしても、どうせ付いてくるんだろ?」

はじめが溜息混じりに、でもどこか吹っ切れたような顔で手を差し出すと、りりはその手を、壊れないようにぎゅっと握り返した。


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