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第十一話:葬儀ですか?出席させません

「……お父さん? ただいま! ……ねえ、お父さんってば!」


 甘露村の広場に、リリの明るい声が響く。けれど、返ってくるのは不気味なほどの静寂と、カサカサという乾いた音だけだった。

 広場では、村人たちが「いつも通り」に動いている。

 大きな角を持つカブトムシの戦士は、何もない空間を担ぐようにして、入り口と広場を正確な歩数で往復し続けている。蝶の淑女たちは、ボロボロになった翅を不自然な角度で震わせ、陽の当たらない日陰で虚空を見つめて固まっていた。


「……はじめさん、みんな、変だよ……? 呼んでも、こっちを見てくれないの……っ」


 リリがアラクネの父の袖を掴む。父は、かつては器用に糸を紡いでいたその手で、今は中身のない空気を虚しく操り続けている。リリがどれほど叫んでも、その瞳に愛娘の姿は映っていない。


「……っ、この匂い……」


 はじめは鼻をつまみ、眉根を寄せた。

 ツンと鼻を突く、薬品が焦げたような、あの不快な悪臭。

 ――スズメバチ城の玉座の間で充満していた、あの『システムを狂わせていた匂い』と全く同じだ。


(……同じ仕様のバグが、ここでも走っているのか? ……いや、これはバグなんて生易しいものじゃない。……完全に、村全体のシステムが上書き(オーバーライド)されている……!)


 はじめはリリの肩に手を置き、彼女と同じ視線まで腰を落とした。


「リリさん、離れて。……彼らのデータは、もう……完全に消去デリートされています。今動いているのは、何者かが勝手に書き込んだ『永久ループのスクリプト』だ」


「……はじめさん……。お父さん、治るよね? 私がヒールをかけたら、また『おかえり』って言ってくれるよね……っ?」


 リリの大きな瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。はじめは眼鏡の奥の瞳を閉じ、絞り出すように告げた。


「……いいえ。彼らを、もう休ませてあげましょう。これ以上、彼らの誇りを、こんなクソみたいな無断残業で汚させてはいけない。……あなたの光で、全システムを……正しく終了シャットダウンさせてあげるんです」


「……う、……ううっ……。……おやすみなさいって、言うの……?」


「ええ。それが、今の俺たちにできる、唯一の『救済デバッグ』です」


 リリは震える手で杖を握りしめた。

 スズメバチ城で、あれほど楽しげに放っていた「ギガ盛り」の光。けれど今の彼女が紡ぐ魔法陣は、涙で歪み、今にも消えてしまいそうなほど儚い。


「……カブトのおじちゃん。いつも、力持ちでかっこよかったよ。……おやすみなさい……っ!」


 放たれたヒールの光が戦士を包む。機械的な動きがふっと止まり、巨体が安らかに地へと倒れ伏す。

 一人、また一人。

 リリは泣きながら村を駆け回った。


「……蝶のお姉ちゃん、その翅、大好きだったよ……。……ババ様、また薬草の匂いさせて、笑ってよぉ……っ! ……おやすみなさい……おやすみなさい……っ!!」


 村中に、光が溢れる。けれどそれは勝利の輝きではなく、永遠の別れの灯火。

 そして最後に、リリは父の前に立った。

 糸を紡ぐ手を止めない父の胸に、リリは泣きながら飛び込んだ。


「……お父さん。……大好きだよ。……私、頑張るから。はじめさんと一緒に、……お父さんをこんな目に合わせたやつを、絶対に見つけ出して……思い知らせてやるんだから……っ! ……だから、……ゆっくり休んで……っ!!」


 絶叫と共に、村で一番大きな光が弾けた。

 すべての動きが止まり、甘露村は、本当の意味での「静寂」に包まれた。


 泣き崩れるリリの背後で、はじめは静かに立ち上がった。

 その眼鏡の奥、感情を殺していたはずの社畜の瞳には、かつてないほど激しく、暗い怒りの炎が宿っていた。


「……どこのどいつかは知らないが。全システムを終了シャットダウンさせればエラーは起きない、とでも考えたのか? ……だが、こんな終わらせ方は、俺が承認アプルーブしない」


 はじめは手帳を乱暴にポケットに叩き込み、鉛色の空を仰いだ。

 彼が守ってきた「事務的な自分」……安全な距離から世界を眺めていた防壁が、今、内側から完全に粉砕される音がした。


「……これより、緊急メンテナンスを開始する。……対象は、この世界のすべてだ。……勝手に書き換えられた仕様ルールは、俺が……俺のやり方で、全部書き直してやる」


一方そのころ。


 ミツバチ領の境界を、一頭の巨大なアリが猛スピードで駆け抜けていた。

 御者台に座るのは、ミツバチ騎士・ゼノ。その懐には、スズメバチ女王ヴェスパから託された「和平の親書」が収められている。


(……ようやく、ようやく戻れた。母上、ベアト。……俺はやりました。スズメバチ女王の狂乱を止め、この国に真の平和を持ち帰ったのです!)


 ゼノの胸は高鳴っていた。はじめという奇妙な男に付き従い、がむしゃらに駆け抜けた一週間。それは彼にとって、騎士としての誇りを取り戻す輝かしい戦いだった。

 だが、見慣れたはずの屋敷の門をくぐった瞬間、彼は言いようのない違和感に襲われる。


「……静かすぎる」


 門衛たちは生気を失った目で、機械的に頭を下げる。屋敷のあちこちに掲げられた白と黒の旗。それは、この家で**「重大な儀式」**がすでに終わったことを示していた。


「ベアト! ベアトはいるか!!」


 ゼノは廊下を駆け抜け、子爵の執務室の扉を荒々しく開けた。

 そこに座っていたのは、メリア女王ではない。

 成人したばかりの、まだ幼さの残る少女――妹のベアトだった。彼女は山のように積まれた書類を前に、冷徹な手付きで羽根ペンを走らせていた。


「……ああ、お帰りなさい。お兄様。意外と早かったのね」


 ベアトは顔も上げず、淡々と言った。その声には、再会を喜ぶ響きなど微塵もない。


「ベアト、母上は!? ……それよりこれを見てくれ! スズメバチ女王陛下との和解が成ったんだ! これで我が領は救われる!」


 ゼノが誇らしげに親書を差し出した。だが、ベアトはそれを一瞥いちべつし、ふっと短く笑った。


「救われる? ……誰が? お母様が? ……残念ね。お母様の葬儀なら、三日前に終わったわよ。私が『喪主』として」


 ゼノの思考が、真っ白にフリーズした。


「……葬儀? ……三日前……? 何を言っている。母上が亡くなってから、まだ一週間も経っていないというのに……」


「そうね。お兄様はお母様が息を引き取ったその足で、さっさと旅に出たものね。……亡骸を冷たい石の台に乗せる作業さえ、私一人に押し付けて」


 ゼノの思考が、後悔で真っ白にフリーズした。


「……三日前……。……そうか、……俺が不在の間に、……もう……」

「お兄様は、お母様の最後の一言を聞いて満足したかもしれない。でも、私は? ……看取った直後のお兄様は、泣き腫らした私を置いて、一度も振り返らずに屋敷を出た。……あの日から、この屋敷の『主』が誰になったか、わかっているの?」


 ベアトがゆっくりと顔を上げた。その瞳には、一週間で磨き上げられた「統治者」としての冷徹な光が宿っていた。


「……お兄様。あなたは『今すぐ解決しなきゃならない問題がある』と言って、私に何も教えず、何の引継ぎもせずに出ていった。……遺体の安置、領民への説明、葬儀の参列者の選定。……すべてを、成人したばかりの私に、何のマニュアルもなく丸投げして」


「そ、れは……! 根本的な原因を叩かなければ、国全体が……」

「国、国、国。……立派ね。でも、残された私はどうしたと思う? 刻一刻と腐敗していく『システム』を前に、泣く暇もなく、成人したばかりの私が一人で領民に頭を下げ、女王の死を公表し、葬儀の段取りを組んだの。……お兄様、あなたが外で“英雄”を気取っている間、私はこの屋敷で、死んでいく家族と、崩壊していく日常を、たった一人で繋ぎ止めていたのよ」


 ゼノの指先から、親書が力なく滑り落ちた。


(……そうだ。俺は、……はじめ殿に付き添うことに必死で。……ベアトに、……母上の後を頼むという言葉すら、……まともに残していなかった……)


 はじめがよく口にしていた、**『適切な引継ぎのない現場は、必ず崩壊する』**という言葉。

 それが今、鋭いナイフとなってゼノの胸に突き刺さる。自分は、最も守るべきだった現場――自分の家族というシステムを、無責任に放り出した「バックレ上司」だったのだ。


「……ベアト。……すまない。俺は……」


「謝らないで。……お母様が息を引き取ったその瞬間だけ立ち会って、『看取った』という免罪符を手に入れて満足したあなたの耳で。……その後の、一分一秒ごとに冷たくなっていくお母様と二人きりで過ごした私の時間を、あなたは知らない」


 ベアトは再びペンを執り、冷たく言い放った。


「その紙切れ(親書)は、そこに置いておいて。……次期子爵として、後で処理しておくから。……今のあなたには、もう、何の権限も残っていないわ」


 夕闇の差し込む部屋で、ゼノはただ、自分の犯した「致命的なエラー」の重さに打ちひしがれ、立ち尽くすことしかできなかった。


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