第十話:告白ですか?いえ雑談です
「――さて。じゃあ、ミツバチ村に帰りましょうか。今回のタスクはこれで完了です」
謁見の間から一歩出た瞬間、はじめは肩の力を抜き、事務的にそう告げた。
あまりにもあっさりとしたその言葉に、背後を歩いていたゼノが、階段の途中で盛大にずっこけた。
「……はぁ!? 帰る!? おい、はじめ、正気かよ!」
ゼノは詰め寄り、はじめの肩を掴んで揺さぶった。
「獣国の巻物、読んだだろ!? アンデッドの軍勢が押し寄せて、国が一つ消えかけてるんだぞ! 今すぐ、俺たちだけでも助けに行くのが……」
「無理ですね。リソース不足です」
はじめはゼノの手をすり抜け、手帳にチェックを入れながら淡々と言い放つ。
「我々の現在の契約は『ミツバチ子爵の依頼』……つまりスズメバチ女王の救出まで。獣国の件は、別のプロジェクト(戦争)になります。今の装備と人員で突っ込むのは、バックアップも取らずに基幹システムをいじるような自殺行為ですよ」
「そんな数字の話をしてるんじゃねぇ! 目の前で誰かが死にかけてるんだぞ!」
「ゼノ様」
はじめは足を止め、少しだけ声を落とした。
「……リリさんを見てください」
少し離れたところで、リリは柱に寄りかかり、杖を抱えたままコクリコクリと船を漕いでいた。
短時間に「ギガ盛り」の魔法を連発した反動だ。その顔には、隠しきれない疲労の色が滲んでいる。
「彼女は、スズメバチ城の『大掃除』で全リソースを使い果たしました。このまま戦地へ連れて行けば、彼女自身が『バグ』に飲まれて消えてしまうかもしれない。……俺は、自分のチームのメンバーを、死なせるような無茶な運用はさせません。まずは彼女を、安全な村へ帰して休ませる。それが最優先です」
「……っ」
リリを守る。その言葉に、ゼノは言葉を失った。騎士として、弱きを助ける以上に「仲間の命を守る」という大義名分を突きつけられれば、これ以上は食い下がれない。
「……わかった。お前の言う通りだ。リリを危険にさらすわけにはいかねぇ」
ゼノが苦渋の決断で頷くのを確認し、はじめは再び歩き出した。
玉座の間から、ちょうど出てきたばかりのヴェスパ女王と視線がぶつかる。彼女は溢れ出す生命力にまだ顔を上気させながら、戸惑ったようにこちらを見ていた。
「……もう、行くのか」
「ええ。後はそちらの領分です、陛下。死人を整理したおかげで、城の警備はガラ空き、閣僚もほぼ全滅。……『スズメバチ女王(武闘派)』の腕の見せ所でしょう?」
はじめは、女王の前に立ち止まり、軽く頭を下げた。
「あとは頼みましたよ、ヴェスパ陛下。……あ、これはサービスですが。もしまた『情報の不整合』が起きたら、いつでも甘露の村へご連絡を。……次は、相応のコンサル料(金貨)を頂きますけどね」
「……フン。不遜な男め。……だが、礼は言わぬぞ」
ヴェスパは顔を背けたが、その手にはメリアへの書状がしっかりと握られていた。
「さらばだ。……ミツバチの使いよ。貴様らの働き、このヴェスパの目に焼き付けた」
「お疲れ様でしたー」
はじめはひらひらと手を振り、疲れ果てたリリをゼノに預けると、迷いのない足取りで城の出口へと向かった。
その背中には、英雄のような悲壮感も、救世主のような高揚感もない。
ただ、仕事を終えて家路につく、一人の社畜の静かな充足感だけがあった。
スズメバチ城の重苦しい門をくぐり、ようやく外の空気を吸ったところで、はじめは足を止めた。
夕闇が迫る荒野の向こう、道は二手に分かれている。一方は騎士ゼノが帰るべきミツバチ領の屋敷へ、もう一方ははじめとリリの拠点である「甘露の村」へと続く。
「さて、ゼノ様。ここで一旦解散ですね。リリさんは……ああ、まだ夢の中ですか」
ゼノの背中で、リリは小さく寝息を立てている。その幼い寝顔を見つめるゼノの目は、先ほどまでの荒々しさが嘘のように穏やかだった。
「……ああ。こいつは俺が責任を持って屋敷まで送り届ける。……いや、まずはお前の村へ寄るべきか? お前達2人で歩くのは危ねぇだろ」
「いえ、道中のモンスターはリリさんが『大掃除』済みです。リソースの最適化を考えれば、各々最短ルートで帰還するのが定石ですよ。それに――」
はじめは、懐からヴェスパ女王から預かった重厚な書状を取り出した。
「これ。宛先はメリア女王になっていますが、実際にはあなたの妹君(次期女王)に渡してください。……ヴェスパ陛下には、メリア様が既に『システム終了(逝去)』されていることは伝えていませんから。余計な説明コストを省くためにね」
「……お前、本当に冷てぇな」
ゼノは苦笑しながら、自由な方の手でその書状を受け取った。
「だが、助かるよ。母上……メリア女王が亡くなったと知れば、あの苛烈なヴェスパのことだ。弔い合戦だと称して、軍を動かしかねないからな」
はじめは、無表情に手帳を閉じた。
(動かすも何も、向こうも国が半分壊滅してるんですけどね……)
そんな内情は、わざわざ口にする必要もない。情報は、時に金貨よりも重い武器になる。
「……ゼノ。次期女王に、伝えてくれ。この手紙は、かつての親友が、母上に宛てた『和平の兆し』だ。……内容は知らないが、悪くはないはずだぜ」
「……ああ。わかってる。恩に着るぜ、はじめ。……それから」
ゼノは少しだけ真面目な顔をして、はじめの目を真っ直ぐに見た。
「お前がリリを守るために、獣国への行軍を止めたこと……あれは、正解だったと思う。騎士には言えねぇ判断だった。……ありがとな」
「……仕事ですから」
はじめはそっけなく顔を背け、歩き出した。
背後で、ゼノが「またな! 社畜の旦那!」と笑いながら、妹の待つ屋敷の方へと消えていく。
ゼノを見送り、リリを連れて歩き出した道中。
先ほどまでゼノの背で爆睡していたリリは、夜風に当たって目を覚ますなり、はじめの袖をぐいぐいと引っ張り始めた。
「……ねえねえ、はじめさん! 見ました? さっきの私の『超・ギガ盛りフレア』! スズメバチの兵隊さんたちが、まるで大掃除される埃みたいに、バババーッて!」
「見てましたよ。おかげでこちらの工数(魔力管理)が狂って、撤退の判断がギリギリになりました。次からは事前に仕様変更の申請を出してください」
「もう! そういう難しい話じゃなくて! ……もっとこう、あるでしょ? 『リリ、凄かったな』とか、『リリがいないと全滅してたよ』とか!」
リリははじめの前に回り込み、短い指で自分の胸を叩いて胸を張る。
「……ほめてくれても、いいんですよ? 報酬の追加でも可です!」
「はいはい、凄かったですよ。帰ったら村の経理に、特別手当の申請を出しておきます」
「お、お金じゃなくてぇーっ!」
リリは頬を膨らませ、はじめの隣をぴょんぴょんと跳ねるように歩く。
夕闇の森。モンスターはリリが暴れたせいで一匹も見当たらない。静かな、二人だけの時間。
リリはふと足を止め、少しだけ耳を赤くして、地面の石ころを蹴りながら呟いた。
「……でも、はじめさん。私が……あの、倒れそうになったとき。ゼノ様に行軍を止めてまで『リリを休ませる』って言ってくれたの、……本当は、ちょっとだけ……嬉しかったです」
「? チームメンバーの健康管理はリーダーの義務ですから」
「……それだけ?」
「それ以外に何が? 過労でスタッフに欠員が出たら、次のプロジェクトの納期に響きます」
はじめは真顔で手帳のスケジュールを確認している。その横顔を見上げ、リリは深いため息をついた。
「……本当、石の上にも三年の社畜ですね。……でも、そんな風に『守る』なんて言われたら、私、勘違いしちゃいますよ? ……私、ずっとはじめさんの隣で、……こうして一緒に、お仕事してても、いいですか?」
それは、少女なりの精一杯の、告白にも似た問いかけ。
だが、はじめは歩調を緩めることなく、眼鏡をクイと押し上げて即答した。
「もちろんです。リリさんの火力は、我が社……あ、いや、我がパーティの基幹システムですから。退職願(パーティ脱退)を出されても、受理する気はありません。一生使い倒しますよ」
「……えーっと。……それって、プロポーズ……? ……じゃないですよね。知ってました、知ってましたけど!!」
リリは地団駄を踏み、「この分からず屋! 社畜! 恋愛偏差値3!」と叫びながら先を走っていく。
はじめは、その後ろ姿を眺めながら、ふと小さく微笑んだ。
――賑やかで、バカげた、日常。
かつて修一と分かち合った、あの穏やかな未来が、形を変えてここにあるような気がしたのだ。
だが、その安らぎは、村の入り口が見えた瞬間に、凍りつくことになる。




