51 追撃
それから、さらに五日が過ぎた。
イズナはようやく身体を起こし、自力で座れるまでに回復していた。
傷はポーションのおかげで跡形もなく消えている。だが、空っぽになった原力と、肉体にこびりついた疲労だけはまだ抜けきらなかった。
「……どうにか、話せそうだな」
焚き火を囲み、アカツキとミツバが視線を向けた。
「無茶しやがって……」
アカツキが小さく息を吐く。
「イズナ様……本当に……」
ミツバの声はまだ震えていたが、その瞳には安堵が浮かんでいた。
三人はこれまでの状況を整理する。
あの男――朱雀院炎羅。
「……ミツバを狙っていた」
イズナの言葉に、空気が引き締まる。
「“血脈”とか言ってたような気がしますけど……」
ミツバが戸惑い気味に呟く。
「血脈、ね……」
アカツキも眉をひそめた。
(……先生、何か分かりますか?)
意識の奥へ問いかける。
(ふむ……)
アウレの声が返る。
(あのハーフの小娘、まだ魔獣としての血が目覚めておらん)
(え……)
(何の血脈かまでは、ワシにも判別できん)
一拍。
(ただ――人と子を成せる魔獣となれば――少なくともS級以上じゃ)
(なるほど……)
短い沈黙。
「……ミツバ」
イズナが視線を向ける。
「おそらく、あんたの出身に何かある」
「……」
ミツバは息を呑んだ。
「自分でも……何も分かりません……」
「あの朱雀院炎羅ってやつが、また来ない保証もないしな」
「……はい……」
ミツバの指が、そっと握りしめられる。
結論は自然とひとつに収束した。
「……動けるようになったら北へ向かう」
イズナの声に迷いはない。
「北方密林……か」
アカツキが焚き火の向こうを見た。
「ミツバも一緒だ」
「……え?」
「ここに残す方が危険だ」
あまりにも当然のように言われ、ミツバは一瞬言葉を失った。
「……は、はい!」
小さな声。だがそこには、確かな意志が宿っていた。
さらに一週間。
イズナはついに立ち上がる。
「……よし」
まだ完全ではない。歩みは遅く、時折足を止める。
「無理すんなよ」
「大丈夫だ」
短いやり取り。
それでも三人は進む。
目指す先――北方密林へ。
山を越え、荒れた平地を抜け、休み休み北を目指し続けた。
そうしてひと月。ついに北方の密林へと辿り着く。
幸い、道中で追跡の気配を感じることはなかった。
崖の縁に立ち、イズナは遠くを見やった。
視界いっぱいに広がる深い森。空へ伸びる巨木は常識外れの高さで、まるで山そのものが根を張ったかのようだった。
「……でかいな……」
アカツキが思わず息を漏らす。
森の上空では、鳥の姿をした魔獣がいくつも旋回していた。低く円を描き、獲物を探すように滑空している。
周囲の原野にも、ただならぬ気配が点在していた。遠目にも分かるほど、強い原力のうねり。
そのときだった。
「……あれ……」
ミツバの声に、二人の視線が引き寄せられる。
草原の端、少し窪んだ場所に、牛型魔獣が狼の群れに囲まれている。
唸り声。飛び散る土。鋭い牙が、次々と牛の巨体へ食い込む。
「……A級か」
イズナが低く呟く。
牛型魔獣の放つ気配は重く、明らかに高位。だが数に押され、すでに満身創痍だった。
それでも――
「……逃げないの……?」
ミツバの声が震える。
牛は後退しない。
密林はすぐ背後。ほんの数歩で飛び込める距離にある。
なのに、踏み込まなかった。
牙に裂かれ、血を流しながらも、必死にその場へ踏みとどまっている。
「……森に入りたくない、のか……」
アカツキの顔が険しくなる。
三人の視線が自然と交わった。
あの密林。
そこへ足を踏み入れるということが、どれほど恐ろしいことなのか。
目の前の光景が、何より雄弁に物語っていた。
三人はさらに数時間、歩みを緩めることなく進み続けた。やがて視界の先に、北方密林の縁がはっきりと浮かび上がる。
森の内側は濃い霧に覆われていた。外では鳥や獣の鳴き声が絶えないというのに、その奥だけが不自然なほど静まり返っている。
「……静かすぎるな」
アカツキが低く呟く。
三人は足を止め、互いに顔を見合わせた。すぐ踏み込むべきか、もう少し様子を見るか――決めきれない。
そのときだった。
上空を旋回していた鳥型魔獣たちが、一斉に騒ぎ始める。鋭い鳴き声が重なり、三人の頭上で落ち着きなく円を描いた。
「……これは……?」
ミツバが首をかしげ、空を見上げる。
「私たちが近づいたから……警戒してるんでしょうか……?」
「……いや、違う」
イズナは目を細めたまま、空から視線を外さなかった。胸の奥に、嫌な予感が広がっていく。
直後、空気が灼けた。
横薙ぎに走った熱の奔流が空を裂き、炎が形を取る。
真紅の翼。
燃え立つ火の気配をまとい、空中に浮かぶ影。
「――っ!!」
「あいつ……!」
現れたのは、朱雀院炎羅だった。赤い瞳が、地上の三人を冷たく見下ろしている。
「逃げ切れたと思ったか?」
凍りつくような声。炎羅は薄く笑った。
「鳳仙族は鳥型魔獣の頂点に立つ存在。空を飛ぶものはすべて、我らに従う」
翼がゆらりと揺れる。
「どこへ逃げようと――この私からは逃れられん」
言葉が落ちた瞬間、炎羅の腕が振り下ろされた。
上空にいくつもの火の玉が生まれ、一直線に落下する。
「……来るぞ!」
アカツキは即座に腰の小袋へ手を伸ばした。イズナが調合した薬を口へ放り込み、噛み砕く。
原力が跳ね上がる。
大剣を引き抜き、残る力を一滴残さず叩き込む。
「はあああっ!!」
斬撃が空へ奔る。
迫り来る火の玉と正面からぶつかり、激しい爆発を起こした。
轟音が草原を揺らす。
相手はS級魔獣。今のイズナは戦えない。前に出られるのはアカツキだけだ。
薬で毒素を抑え込み、失っていた力の一端を引き戻したところで――レベル46程度では、S級魔獣には遠く及ばない。
爆ぜる空を見上げ、イズナは歯を食いしばった。迷っている暇はない。
「――密林へ入るぞ!」




