47 届かぬ言葉
「……怨嗟の樹はな。その名とは裏腹の存在だった」
ミスドロン将軍は一瞬、遠い記憶を辿るように目を細める。
「かつては世界を渡り歩いた、穏やかな老賢者。
魔獣の中でも極めて珍しい――精神力を自在に扱う存在だった」
「……精神力?」
イズナが思わず聞き返す。
将軍は静かに頷いた。
「ああ。
そして何より……あの者は錬金術師だった」
「……っ!?」
イズナの目が大きく見開かれる。
自分とアウレ以外の錬金術師。
それも魔獣――そんな存在は、これまで聞いたことすらなかった。
「多くの魔獣が、あの者に救われた」
将軍の声に、わずかな敬意が滲む。
「実はな……私もその一人だ」
「え……?」
「数十年前、致命傷を負ったことがある。
原力も尽き、もはや死を待つだけの状態だった」
将軍は自嘲気味に笑った。
「そのとき、私を拾い上げ、命を繋いだのが――怨嗟の樹だったのだ」
イズナは言葉を失う。
「怨嗟の樹の樹液は、強い治癒の力を持っていた。
それを惜しげもなく分け与え、多くの魔獣を救ってきた」
――この極北の地は、錬金術師にとって宝の山でもある。
「あの者も長い年月、各地を巡り、傷ついた魔獣たちを助け続けていた」
だが――
将軍の表情が曇る。
「……三年前のことだ」
空気がわずかに張り詰めた。
「怨嗟の樹は……変わってしまった」
「……変わった?」
「性格も、気配も、まるで別の存在のようになった」
低い声で言い切る。
「穏やかな賢者は消え、残ったのは――
名の通りの“怨念の塊”だ」
イズナの背筋に冷たいものが走る。
「暴走し、周囲に災厄を撒き散らした。
やがて北方の密林へと姿を消したが――
あの森へ足を踏み入れ、生きて戻った者はいない」
重い沈黙が落ちた。
「だからこそ……怨嗟の樹の樹液は、今や“容易に手に入る素材”ではないのだ」
話を聞き終え、イズナは眉をひそめた。
思っていたより厄介な話だった。
(……これは、面倒だな)
そのとき、不意に頭の奥で声が響く。
(北方の密林……一度、見に行ってみるぞ)
アウレの声だった。
精神力を扱う植物系魔獣――
以前どこかで触れた記憶があるような、ないような――そんな気がした。
あまりにも遠い昔の記憶だ。
はっきりとは覚えていない。
「……分かった」
イズナは小さく頷いた。
ほかに手はない。行くしかなかった。
やがて兵士が戻ってくる。
手には、丁寧に包まれた小袋。
差し出されたそれを、イズナは静かに受け取った。
「助かるよ」
そう言って、きちんと頭を下げる。
「将軍の厚意、感謝する」
そして顔を上げた。
「いずれ機会があれば、また立ち寄らせてもらう」
一拍。
「……ミツバにも、よろしく伝えてくれ」
その言葉に、ミスドロン将軍はわずかに目を瞬かせた。
そこでようやく気づく。
――今日は、あの娘の姿がない。
「……ああ、承知した」
将軍は静かに頷く。
「二人とも、達者でな」
短いやり取りのあと、
イズナとアカツキはテントを後にした。
それぞれの胸に、さまざまな思いを抱えたまま――
旅は、再び動き出した。
イズナたちが去ってから、しばらくして――
静まり返った部屋の中で、ミツバは一人きりだった。
何もする気が起きず、ただその場に座り込んでいる。
ふと――
昨日の光景が胸に浮かぶ。
初めて出会ったときの緊張。
裏通りへ向かった不安。
耳元で揺れる、小さなピアス。
そして――
夜の戦い。
あまりにも濃く、激しく、現実味のない一日。
まるで……
ひと晩の夢のようだった。
ミツバは、ふいに立ち上がった。
「……決めました」
小さく、だがはっきりとした声。
「たとえ別れでも……ちゃんと、お別れを言わないと」
胸の奥が、じんわりと熱を帯びる。
それだけではなかった。
「……それから……」
唇をきゅっと結ぶ。
伝えたい言葉がある。
イズナに。
自分にとって初めての友達だったこと。
きっと忘れないこと。
また会える日を、ずっと待っていること。
ずっと臆病だったミツバが、初めて自分の意志で踏み出そうとしていた。
そっと目元を拭う。
「……よし」
小さく気合を入れ、扉へ向かう。
そして――開いた。
次の瞬間。
ミツバの動きが止まった。
扉の前に、一人の男が立っていた。
一瞬、胸が跳ねた。
イズナ――そう思った。
だが、違う。
痩せた長身。
人間の姿。
整った顔立ち。
――なのに。
口元には、ぞくりとする笑み。
細い目が、じっとミツバを捉えている。
「……っ」
ミツバは息を呑んだ。
人間の姿なのに――違う。
気配が、匂いが。
(……人間じゃない)
一目で理解する。
人の姿に化けた魔獣。
しかも――
その身から滲む気配は異様だった。
ミスドロン将軍より。
イズナより。
ラント将軍より。
アカツキより。
はるかに、危険。
本能が警鐘を鳴らす。
――逃げて。
しかし。
足が動かない。
喉が凍りつく。
全身を締めつける恐怖。
それでもミツバは、必死に声を絞り出した。
「……あ、あなたは……?」
男は答えなかった。
代わりに――
静かに手を上げる。
その瞬間。
見えない力が、ミツバの身体を絡め取った。
「……え……?」
無形の原力。
一瞬で拘束。
指先ひとつ動かせない。
「……っ……!」
「騒ぐな」
低く、冷たい声。
「……ようやく見つけた」
男の笑みが深まる。
「こんな極北の果てにいようとはな」
細い目が妖しく光る。
「――あの血脈」
ぞくり。
「残しておくわけにはいかん」
「……な……に……」
「死んでくれたまえ」
無慈悲な宣告だった。




