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蒼の境  作者: 神奈川楓
境界の向こう
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44 黒紙一片

 逃げ去る八咫烏の背を見送りながら、イズナの胸には拭いきれない不安が残っていた。

 何か、取り返しのつかない過ちを犯した気がする。

 それも、後になって必ず響いてくる類のものだ。

 だが、その正体は掴めず、理由も分からない。ただ、胸の奥に重く澱のように沈んでいる。

 その思いに囚われている間に、

 アカツキとミツバが、イズナのもとへ駆け寄ってきていた。

 二人の姿を認めたミスドロン将軍は、思わず目を見開く。

「アカツキ殿、それにミツバまで……町のほうは、無事なのか?」

 問いかけに、ミツバは一拍置いてから口を開いた。

「それが……」

 魔猿軍が魔虎軍の本拠地を襲撃してきたこと。

 それをイズナとアカツキが迎え撃ち、すでに討ち果たしたこと。

 その一部始終を、ミツバは簡潔に語って聞かせた。

「なっ……なんだと!?」

 数多の戦場をくぐり抜けてきたミスドロン将軍でさえ、思わず声を上げる。

 イズナとアカツキのほうへ向き直ると、あらためて深く頭を下げた。

「……今回は、本当にお二人のおかげだ。

 もし手を貸してもらえなければ、どんな事態になっていたか分からない」

 それは、飾り気のない心からの礼だった。

 対してイズナは、肩の力を抜いたまま、わずかに笑みを浮かべる。

「大したことじゃないよ」

 もしミスドロン将軍が物事の筋を見誤り、昼間、門前で部下をかばって二人を追い返していたとしたら。

 今夜、魔虎軍が無事でいられた保証はなかった。

 そう考えれば、これは単なる偶然ではなく、いくつもの判断と巡り合わせが重なった結果だったと言える。

 ミスドロン将軍は顔を上げ、即座に部下たちへ命じた。

「負傷者の救護を最優先に行え!

 生存者を確認次第、全員、町へ戻れ!」

 号令が飛び、兵たちは一斉に動き出す。



 外縁町――魔虎軍の本拠地へ戻った一行を待っていたのは、言葉を失う光景だった。

 かつて建物が並んでいたはずの場所は瓦礫の山と化し、その中央には、数百平方メートルにも及ぶ円形の深いクレーターが口を開けている。

 誰もが、その場で立ち尽くした。

 イズナとアカツキも、さすがに視線を逸らす。

 それが自分たちの手による結果だと分かっているだけに、気まずさは隠せない。

 その沈黙を破ったのは、ミスドロン将軍の朗らかな笑い声だった。

「はははは! これはまた、派手にやったものだな。

 どうやら、ずいぶんな大立ち回りだったらしい」

 将軍は瓦礫とクレーターを見渡し、どこか楽しげに肩をすくめる。

「この様子じゃ、元の住まいは使えまい。

 お二人には、新しい宿を用意しなければな」

 その言葉どおり、ミツバの案内で、イズナたちは町の南にある一軒の宿へと向かった。

 簡素ではあるが、今夜を過ごすには十分な場所だった。

 荷を下ろすと、アカツキとミツバは、イズナから託されたヒールポーションを抱え、再び将軍邸へ引き返していく。

 負傷者の手当てが、まだ終わっていなかったのだ。

 本来なら道中で配ってしまってもよかったはずだが、イズナはあえてそうしなかった。

 二人を、ここから離す必要があった。

 宿の一室。

 静けさが満ちる中、残されたのはイズナただ一人だった。

 やがて彼は、誰に向けるでもなく、ぽつりと口を開く。

「……先生。

 あの黒い紙切れは、一体、何なんですか?」

 そう言いながら、イズナは指先で黒い紙を弄んだ。

 すでに何度も試している。

 精神力で探ってみても反応はない。

 原力を流し込んでも手応えはなく、まるで水滴が海へ落ちるように、何ひとつ波紋を残さなかった。

 そのとき、部屋の空気がわずかに揺らぐ。

 半透明の虚影が、静かに姿を現した。

 銀色の長い髪に、整った顔立ち。

 現れたのは、アウレだった。

 アウレは目を細め、イズナの手にある黒い紙へと視線を落とす。

 しばらく黙って眺めたのち、小さく首を振った。

「……ワシにも分からん。

 じゃが、妙に引っかかる」

 そう言うと、アウレは指を軽く鳴らす。

 その瞬間、指先に小さな火が灯った。

 原力を自在に扱える域に達していれば、炎を形作ること自体は難しくない。

 アウレはその火を近づけ、黒い紙を炙ってみせる。

 案の定、紙は焦げることも、燃え広がることもなかった。

 まるで石でも焼いているかのように、何の変化も起きない。

「……やはり、おかしな紙だな」

 イズナは小さく息を吐いた。

 二人であれこれ試してみたが、結局、半刻ほど経っても手がかりは掴めなかった。

(あまり時間は残っていないな)

 そろそろ、

 アカツキとミツバが戻ってくる頃だ。

 イズナは黒い紙を握り直し、静かに思案に沈んだ。

 そして、不意に顔を上げ、アウレを見据える。

「先生。

 神紋を近づけたら、どうなりますか?」

 その言葉に、アウレはわずかに眉をひそめた。

 同時に、何かに思い至ったような気配が走る。

「……なるほど」

 アウレは手のひらを返した。

 すると、緑色の光を帯びた古めかしい紋章が宙に浮かび上がる。

 長い年月を経てきたことを感じさせる、重みのある神紋だった。

 そのまま、ゆっくりと黒い紙へ近づける。

 瞬間。

 紙の表面を覆っていた黒が、まるで生き物のように蠢いた。

 次の刹那、黒は一気に広がり、紙から溢れ出して、黒い霧と化す。

「……っ!」

 予想外の反応に、イズナとアウレは同時に息を呑み、反射的に距離を取った。

 黒い霧は、なおも不気味に揺らめいている。

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