43 絶空の嵐
イズナは、二体のB級魔獣から放たれる原力の圧に、微塵も気圧されなかった。
足を止めることもなく、ただ静かに前へと進み出る。
(……残り、四分か)
胸の奥で淡々と時間を測る。
神紋の稼働限界。
(――十分だ)
「まとめて来い」
あまりにも平然とした声音だった。
その言葉に、八咫烏の兄弟は一瞬きょとんとした表情を浮かべ、次の瞬間、怒りを含んだ嘲笑を漏らす。
「はっ……はははは!」
「人間のガキが、何を寝言を――!」
たかがガキ一匹。
しかも『見習』程度の人間風情が、二体がかりの自分たちに挑むなど、滑稽以外の何ものでもない。
八咫烏たちは怒りに歪んだ笑みを浮かべ、翼を大きく広げた。
原力が一気に膨れ上がり、空気そのものが震え出す。
その様子を見つめ、ミスドロン将軍は思わず眉をひそめた。
イズナを侮ってはいない。
――が、それでも。
(……差がありすぎる)
錬金術師は、確かに数多の手段を持つ。
一時的に力を引き上げる方法も、決して少なくはない。
しかし、『見習』とB級魔獣。
その隔たりは、単純な工夫で埋まるものではなかった。
しかも相手は、連携を誇る八咫烏の兄弟。
二体で動いたときの戦闘力は、同格の魔獣をはるかに上回る。
(頼むぞ……イズナ殿)
将軍は槍を握り直し、
祈るように、その背を見つめていた。
一方、当のイズナはというと――
わずかに口角を上げただけだった。
次の瞬間、八咫烏の一体が一直線に距離を詰める。
鋭く尖った爪を掲げ、斜め上から一気に振り下ろした。
同時に、もう一体が背後で動く気配を見せる。
回避した瞬間を狙い、左右いずれに逃げても塞げる位置取り。
息を合わせた、完璧な連携だった。
「あの世で後悔するがいい――!」
勝利を確信した叫び。
しかし――
イズナは、避けなかった。
足を動かすこともなく、ただ静かに視線を上げ、片手を掲げる。
「――咲け、『絶空のテンペスト』」
その一言で、空気が変わった。
空が、急速に沈み込む。
渦巻く風が一点に収束し――天より、竜巻が落ちた。
(ほう、ワシの技を覚えたか)
鋭く尖ったその先端は、まるでドリルのようだった。
真上から、飛びかかってきた八咫烏の胴体を正確に捉える。
「兄者ッ! 上だ――!!」
背後の八咫烏が異変に気づき、叫ぶ。
だが、もう遅い。
竜巻の速度は、反応を許さなかった。
ズブリ、と――
風の刃が身体を貫く。
「――ぎ、ああああああ!!」
悲鳴が上がる間もなく、貫通した風はそのまま膨張し、内部から暴れ出した。
裂けた傷口を起点に、
旋風が内側で渦を巻く。
骨を砕き、肉を裂き、
B級魔獣の身体を――内から外へと引き裂いていく。
やがて、一体の八咫烏は形を保てなくなり、風の中へと、無残に散った。
その光景を、少し離れた場所から見ていたアカツキが、思わず目を細める。
(……この技)
覚えがあった。
かつて、自分がイズナの前に立ちはだかったとき、叩き込まれた――あの竜巻。
ただし。
(前より……弱い)
規模も、圧も、明らかに抑えられている。
それでもなお、B級魔獣を一瞬で粉砕する威力。
その光景に、ミスドロン将軍でさえ言葉を失っていた。
これほどの威力を持つ風の術。
たとえB級魔獣であろうと、容易に扱えるものではない。
ましてや――
まだ『見習』に過ぎないイズナが放ったという事実が、理解を拒んでいた。
そして、生き残ったもう一体の八咫烏は、信じられないものを見るように、その場で凍りついていた。
吹き荒れる余波の風が、その頬をかすめる。
皮膚が裂け、血が一筋流れた。
その痛みで、ようやく我に返る。
八咫烏は反射的に身を翻し、迷いなく背を向けた。
――逃げる。
「逃げられると思うな――」
イズナは即座に追おうとした。
再び風を操ろうとした瞬間、ふっと視界が揺らぐ。
「……っ」
足元がふらついた。
(見ただけで『絶空のテンペスト』を使えたのはいいが――)
アウレの声が、冷静に響く。
(残っていた力を、ほぼすべて持っていかれたな)
(……なるほど)
イズナは小さく息を整える。
(今後は、危険な場面でしか使わないほうが良さそうですね)
深追いは無理だと判断し、イズナは力を込めて跳躍した。
近くの木の枝へと身を移し、上空を見渡す。
――逃げた、はずだった八咫烏は、遠くへ去ってはいなかった。
少し離れた空中で、不自然なほど静止し、地面を睨みつけている。
イズナは、眉をひそめる。
その視線を追う。
そこには――
駆けつけたアカツキと、ミツバの姿があった。
八咫烏はイズナに背を向けている。
その表情を、イズナは見ることができない。
もし、あの顔を目にしていたなら――
たとえアウレの力を借りてでも、イズナは決して逃がさなかっただろう。
なぜなら、その表情の奥に、いずれ自分たちを巻き込む厄介事の影が、はっきりと見えていたはずだからだ。
八咫烏が死角も作らず睨み据えていたのは、アカツキではなかった。
(あの耳……毛の色……
間違いない)
胸の奥で、確信が形を持つ。
(あのハーフだ。
あの方が、ずっと探している――)
アカツキの隣に立つ――ミツバだった。
そのとき。
「アカツキ、やつを逃がすな」
背後から飛んだイズナの声に、アカツキは即座に反応した。
大剣を引き抜くと同時に、圧倒的な原力が一気に解放される。
それを感じ取った瞬間、八咫烏は舌打ちした。
(……ちっ、次から次へと湧いてきやがる)
あの人間のガキだけでも手に余るというのに、さらに『上位』まで来るとは――
今の自分では、勝ち目はない。
ならば――
(情報を持ち帰る)
八咫烏は即断すると、翼を強く打ち鳴らした。
迫る斬撃を巧みにかわし、紙一重で回避を重ねる。
そして、振り返ることなく――
空へと溶けるように飛び去っていった。
その背を、イズナは目を細めた。
「……逃げたか」




