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蒼の境  作者: 神奈川楓
境界の向こう
41/55

41 東の危機

 イズナは、その名を聞いて、わずかに目を伏せた。

 脳裏に、昼間の光景がよみがえる。

 ――町の外で、不審な動きが報告されている。

 これから、少し調査に出る。

 ミスドロン将軍はそう告げ、部隊を率いて外へ向かっていた。

 今になって思えば――

 あれは、ラント将軍が仕組んだ誘いだったのだろう。

 イズナはミツバに視線を向ける。

「ミスドロン将軍が向かった方向、分かるか?」

 ミツバは少し考え込み、記憶をたどるように首を傾げた。

「えっと……昼間の進み方からすると……東のほう、だったと思います……」

「……分かった」

 イズナは短く頷き、くるりと踵を返す。

 瓦礫の広がる戦場にいる、すべての魔虎軍兵士へと声を張り上げた。

「――全員に告げる」

 その一言で、場の空気が引き締まる。

 兵たちは一斉にイズナへと視線を向けた。

 つい数刻前までなら、この人間の少年は、ただの“客人”にすぎなかっただろう。

 だが今は違う。

 B級魔獣を討ち倒し、戦局をひっくり返した存在。

 その言葉を、誰一人として軽んじる者はいなかった。

「まだ動ける者は、二班に分かれろ」

 イズナは迷いなく指示を続ける。

「一班はここに残り、防衛に当たれ。

 魔猿軍の残党が戻る可能性は低いが、それでも備えは必要だ」

 一拍置き、視線を東へ向ける。

「もう一班は――俺と来い。

 ミスドロン将軍を助けに行く」

 その瞬間、魔虎軍の兵士たちは一斉に背筋を伸ばした。

「――はいッ!!」

 返事は重なり合い、崩れ落ちた将軍邸の廃墟に、地を震わせるように響き渡った。

 その直後、イズナは有無を言わせず、ミツバの体を抱き寄せた。

「うわっ!?」

 突然縮まった距離に、ミツバは思わず息を呑み、頬が熱くなるのを感じた。

「失礼する」

 イズナは淡々と言い、続ける。

「こうするほうが移動が早い。先陣を切るぞ」

 周囲に、そよ風が集まる。

 イズナは軽く地を蹴った。

 ふわり、と体が浮き、そのまま数十メートル先へと跳躍する。

 ミツバは何か言おうとして、けれど声が喉に引っかかり、言葉にならなかった。

「この方向で合っているか?」

 イズナは前方を見据えたまま、足を止めずに問いかける。

「……っ」

 ミツバは答えず、ただイズナの胸元に顔を寄せたまま、その横顔をぼんやりと見上げていた。

 真剣な眼差し。

 引き締まった表情。

 近すぎる距離に、思考が完全に止まってしまっている。

「……ミツバ?」

 返事がないことに気づき、イズナは不審そうに視線を落とした。

 そこで、ようやく目が合う。

「――っ!?」

 ミツバは、はっと我に返ったように肩を跳ねさせた。

「あ、あ……えっと……そ、その……」

 言葉が絡まり、視線が泳ぐ。

「は、はいっ! そ、その方向で……合ってます……!」

 そう言うと、ぴんと立っていた獣耳を、ぎゅっと押し伏せる。

 まるで内心を隠そうとするかのように。

 その仕草を見て、イズナはようやく気づいた。

(……あ)

 自分が今、どれほど距離の近いことをしているのか。

「……そ、そうか」

 イズナは気まずそうに視線を逸らす。

 頬に、わずかな熱が残った。

 跳躍の合間。

 空中での沈黙は、やけに長く感じられる。

(やるな、少年。)

 唐突に響いたアウレの声に、

 イズナは思わず、口元をひくりと引きつらせた。

 軽やかな身運びで、いくつもの屋根を越え、二人は町の外縁へと迫っていく。

 そのすぐ後ろから、大剣を背負った影が追いついた。

 ――アカツキだ。

 イズナは横目で気配を確かめ、短く問う。

「……まだ戦えるか?」

「問題ない」

 アカツキは即答する。

「あの薬、副作用はなさそうだ」

「そうか」

 イズナはそれだけ言い、進行方向へ視線を戻した。

「なら、ついてこい」



 外縁町の外れ――

 東へ十数キロほど離れた地点。

 砕け散った岩。

 枯れ木の折れた残骸。

 大小無数の陥没。

 それらすべてが、ここでもまた凄惨な戦いが繰り広げられたことを、無言で物語っていた。

 魔虎軍の隊列は、すでに見る影もない。

 出発時に比べ、その数は半分以下。

 兵たちは血にまみれ、鎧は歪み、誰の顔にも疲労と焦りが色濃く浮かんでいる。

 そして――

 その戦場の中心。

 一体の虎型魔獣が、槍を支えに立っていた。

 槍は彼自身の背丈をも超えるほどの大きさで、刃も柄も血に染まっている。

 荒い呼吸。

 原力は、ほとんど底を尽きかけていた。

 ミスドロン将軍――。

 それでも、その瞳から闘志は消えていない。

 彼は槍を強く握り直し、正面の敵へと吼えた。

「なぜだ……!

 なぜ極東の魔獣が、極北の我々の領域に手を出す!」

 対するのは、二体の魔獣。

 顔立ちは酷似し、まるで鏡写しのようだった。

 黒い羽。

 黒光りする鳥の嘴。

 極東の魔獣領域に棲む――八咫烏の魔獣。

 そのうちの一体が、嗤うように嘴を歪める。

「クク……それを知る必要はないさ。

 どうせお前は、ここで死ぬ。永遠に口を閉じてな」

 二体は、双子の兄弟だった。

 いずれもB級魔獣。

 単体で見れば、その気配はミスドロン将軍にわずかに劣る。

 だが――

 二体が並び立ったとき、その差は意味を失う。

 無駄のない動き。

 視線すら交わさず、呼吸のように噛み合う連携。

 それこそが、これまでミスドロン将軍を苦しめ続けてきた理由だった。

 次の瞬間。

 八咫烏の兄弟は、左右へと散開する。

 影のように、音もなく距離を詰め――

 挟み撃ち。

 黒い爪が閃いた。

 原力を帯びたその一撃は、下手な刃など比べものにならない危険を孕んでいる。

 ミスドロン将軍は歯を食いしばり、槍を構えた。

 ――まだだ。

 ここで倒れるわけには、いかない。

 再び、激突の瞬間が迫っていた。

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