32 獣耳少女
魔虎軍とイズナ、アカツキの一行は、二十分ほど進んだところで足を止めた。
目の前に現れたのは、町の中心部に構えられた、城砦のような重厚な建物だった。
門へ近づくと、使用人らしき魔獣たちが慌てて姿を現し、ミスドロン将軍の前で恭しく頭を下げる。
「この二人の人間は、大切な客だ。部屋を用意しろ」
短い命令に、魔獣たちは即座に応じた。
イズナとアカツキはそのまま建物の奥へと案内される。
通されたのは、客人用の静かな部屋だった。
華美ではないが手入れが行き届いており、落ち着いた空気が満ちている。
イズナは椅子に座ると、懐に手を入れ、一枚の紙を取り出した。
「アカツキ、これを」
差し出された紙を受け取り、アカツキは目を落とした。
そこには、細かな文字で数十種類の素材名が書き連ねられている。
「これは……?」
「あんたを治すために必要な素材だ」
その一言に、アカツキは思わず立ち上がった。
紙を握る指に、力がこもる。
リストの大半は、比較的容易に入手できる素材である。
しかし――目を引くものが、三つあった。
炎竜胆の根。
黄昏蝶の粉末。
怨嗟の樹の樹液。
いずれも、魔獣領域でしか採取できない素材だ。
外の世界では極めて希少だが、この地であれば、決して手の届かないものではない。
イズナはそんな様子を一瞥して、淡々と言う。
「この町なら、入手先はあるはずだ。あとで探しに行こう」
「……ああ、恩に着る」
そのとき、控えめなノックの音が響いた。
「……入れ」
アカツキは素早く紙を畳み、用心するように懐へしまってから声をかけた。
扉が静かに開き、一人の少女が姿を現す。
栗色の長い髪を背中へと流し、頭の上には同じ色の獣耳。
メイド服に身を包んだ小柄な体つきで、長いスカートの裾からは、かすかに尾が揺れている。
少女は肩をすくめ、身をこわばらせたまま、緊張を隠しきれない様子で、それでも懸命に丁寧な一礼をした。
「あ、あの……イズナ様、アカツキ様。
は、初めまして……ミツバと申します。
将軍様に言われまして……こちらにご滞在の間、身の回りのお世話を任されております……
……どうぞ、よろしくお願いいたします」
イズナは、思わず目を瞬かせた。
これまで出会ってきた魔獣たちは、獣の特徴が色濃く残る者ばかりだった。
だが、目の前の少女は違う。
耳と尾を除けば、その姿は人間とほとんど変わらない。
「よろしく、ミツバさん」
そう声をかけると、少女は小さく微笑んだ。
「一つ、教えてほしい」
「は、はい……?」
ミツバはびくりと肩を揺らした。
「この町で、素材を手に入れられる場所はあるか? 錬金術に使うものなんだが」
「素材……ですか?」
一瞬考え込むように視線を泳がせてから、ミツバは小さく頷いた。
「えっと……錬金術用かどうかは分かりませんが、町の南側に裏通りがあります。
あそこには小さな露店がたくさん並んでいて……
各地で手に入れた品物を売っている人たちがいるんです」
「なるほど」
イズナは納得したように頷き、アカツキへ視線を向けた。
「行ってみるか、アカツキ」
「……ああ」
二人が部屋を出ようとした、そのときだった。
「あ、あの……!」
ミツバが慌てたように声を上げる。
「お二人……今から、裏通りへ行かれるんですか?」
「そうだけど。どうかしたのか?」
イズナが振り返って答えると、ミツバは一瞬言いよどみ、ぎゅっと胸元で手を握りしめた。
「そ、その……よろしければ…… わ、私もご一緒させてください」
「君が?」
イズナが少し意外そうに眉を上げる。
ミツバは小さく頷き、必死に言葉を紡いだ。
「あ、あの裏通りには…… 人間をよく思っていない魔獣も、少なくなくて……
わ、私が一緒なら、多少は……お役に立てると思います」
声はかすかに震えていたが、そこには逃げずに踏みとどまる意志があった。
イズナはその様子をじっと見つめ、やがて口元をわずかに緩めた。
「分かった。無理はしないでくれ」
「だ、大丈夫です……!
その……将軍様から、お世話を任されてますし……」
ミツバは小さく胸を張った。
イズナは一拍置いてから、静かに頷く。
「じゃあ、案内を頼むよ」
「はい……!」
ほっとしたように表情を緩めたミツバの尻尾が、控えめに揺れた。
こうして三人は、町の南に広がる裏通りへと向かうことになった。
正門を抜けようとした、そのときだった。
ちょうど出立の準備を整えた軍勢と行き合う。
その先頭に立っていたのは、ミスドロン将軍だった。
「イズナ殿、アカツキ殿。出かけるのか?」
「ああ。少し買い出しに。そちらは、また出立か?」
「町の外で不審な動きが報告されている。
これから、少し調査に出る」
「手伝おうか?」
「気持ちだけ受け取る。
客人に、そんな役目を負わせるわけにはいかん」
「なら、気を付けてくれ」
「ああ。行ってくる」
ミスドロン将軍はそう言ってから、二人の隣に立つミツバへと視線を向ける。
気づいたミツバは、慌てて一礼した。
「ミツバ。イズナ殿たちは、お前に任せた」
「はい……!」
町の南側へ進むにつれ、通りの空気は少しずつ変わっていった。
表通りにあった整然とした警戒線や巡回の気配は薄れ、代わりに、むき出しの視線と濃い気配が行き交っている。
裏通りに足を踏み入れた瞬間、鼻を突くような匂いが入り混じった。
獣脂、干し肉、薬草、血の乾いた臭い――
生きるために集め、売り、奪う場所特有の匂いだ。
道の両脇には、簡素な屋台が並んでいる。
魔獣の骨や牙、用途の分からぬ鉱石、色のくすんだ薬草束。
どれも出所はばらばらで、値札もあってないようなものだった。
行き交う魔獣たちの姿も、表通りとは明らかに違う。
傷を負った者、片腕を失った者、鋭い目で周囲を睨み続ける者。
「……ここが、裏通りです」
ミツバが、どこか周囲を気にするように小さく告げる。
イズナは静かに頷いた。
「なるほどな。素材が集まる理由も、分かる」
ここでは秩序よりも、生き延びることが優先される――
そういう場所なのだと、イズナは直感した。
だからこそ、必要なものは何でも手に入る――
ただし、それを“買える”かどうかは、別の話だが。




