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蒼の境  作者: 神奈川楓
境界の向こう
31/55

31 将軍器量

 イズナの態度を見て、ミスドロン将軍はわずかに眉を上げた。

 怒りではない。

 むしろ、その口元が、ほんのわずかに緩む。

 この年齢で、自分に正面から向き合ってくる人間は稀だ。

 媚びるでもなく、怯えるでもなく、ただ対等に言葉を交わそうとする姿勢。

 魔獣として、そして武を尊ぶ者として――素直に好ましく思えた。

「簡単な話だ」

 ミスドロン将軍は、低く落ち着いた声で答える。

「人間がこの町に入る場合、一人につき通行料は一万ゴル。

 その代わり、町にいる間の安全は、我々が保証する」

 イズナはその言葉を聞き、小さく口角を上げた。

「なるほどな」

 そう言って、わずかに首を傾ける。

「通行料なら、もう支払った。

 でもさ――」

 少年の視線が、先ほどまで横柄だった守衛たちへと、一瞬だけ向けられる。

「一人につき、さらに一万ゴルの“心付け”が必要だって話も聞いたんだが……

 それも、この町のルールなのか?」

 静かな問いだった。

 だが、その一言は、広場に集まる者たちの耳を確実に捉えていた。

 その言葉を聞いた守衛たちの顔から、血の気がさっと引いた。

「な、なにを――」

 咄嗟に声を荒らげかけた守衛は、次の瞬間、言葉を喉に詰まらせる。

 ミスドロン将軍が、ゆっくりと視線を向けたのだ。

 ただ、それだけ。

 その視線に宿る重みは、叱責や怒号とは比べものにならなかった。

「……その話は、事実か」

 低く、腹の底から響く声。

 守衛たちは反射的に背筋を伸ばす。額に、じっとりと汗が滲んだ。

「え、ええ……その……」

 言葉が続かない。

 周囲の視線が、一斉に守衛たちへと集まっていた。

「通行料は、一人につき一万ゴルだ」

 ミスドロン将軍は、淡々と言う。

「それ以上を課した覚えはない」

「い、いえ……規定というほどのものでは……」

 守衛たちは必死に言葉を選ぶ。

「その……将軍様に、少しでも多くゴルが回ればと考えただけで……」

 ミスドロン将軍の双眸から、わずかな温度が失われた。

「――私の名を使って、私腹を肥やしたと」

「ち、違います! 決して、そのような――」

「もうよい」

 一言で遮られる。

 それ以上の弁解は、許されなかった。

「本日をもって、お前たちは我が軍勢から除名だ」

 揺るぎない裁定だった。

「二度と、魔虎軍の名を口にするな」

 そう言い切ると、ミスドロン将軍は、顔色を失って立ち尽くす守衛たちには、もはや一瞥すらくれなかった。

 その視線が、ゆっくりとイズナへと移る。

「――人間の少年。

 これで不満はないか?」

 イズナはわずかに微笑み、落ち着いた声で答えた。

「ああ。

 筋の通った判断だ。尊敬するよ」

「ははは……気に入った」

 虎のような双眸が、愉快そうに細められる。

「今回の件は、部下の不始末――ひいては、私の管理が行き届いていなかったということだ」

 一拍置き、将軍は続けた。

「お前たちは、どうやら魔獣領域は初めてらしいな。

 詫びというほどではないが……宿はこちらで用意しよう」

 イズナは、隣に立つアカツキと一瞬だけ視線を交わした。

 アカツキは声を潜め、短く告げる。

「……ミスドロン将軍は、昔から評判がいい。

 少なくとも、筋を違える男じゃない。信用していい」

 その言葉を受け、イズナは小さく頷いた。

 そして改めてミスドロン将軍に向き直り、一礼する。

「では……お言葉に甘えます」

 その言葉を待っていたかのように、ミスドロン将軍が短く合図を送る。

 魔獣兵が二頭の馬を引いて現れ、手綱を差し出した。

 イズナとアカツキは、それぞれ受け取る。

 ミスドロン将軍を先頭に、魔虎軍の兵たちが整然と動き出した。

 その一行は、静かな威圧感を纏ったまま、ゆっくりと町を後にしていく。

 人々は道の脇へと自然に退き、誰一人、声を発しなかった。

 魔虎軍と二人の人間が並んで去っていく光景を、ただ息を潜めて見送っている。

 ――だが。

 群衆の奥。

 誰にも気づかれぬ位置から、一つの視線が、その背を追っていた。

 そこに宿るのは、抑えきれぬ敵意と、沈殿した恨みだった。



 ミスドロン将軍は先頭で進みながら、外縁町の成り立ちや周囲の地形について簡単に語っていた。

 巨大な象の背に悠然と腰を下ろし、その声は低く、しかしよく通る。

「失礼だが……イズナ殿は、錬金術師だな?」

 象の背から投げかけられたその言葉に、アカツキがわずかに目を見開く。

 イズナは驚いた様子も見せず、軽く首を傾けた。

「そう思った理由は?」

「理由か……

 お前の周囲に、かすかだが、精神力の気配がある。

 それに……薬の匂いもする」

 イズナの目が、わずかに細くなる。

 将軍の横顔を、静かに見据えた。

「……精神力が、分かるのか?」

 その問いに、ミスドロン将軍は小さく鼻を鳴らした。

「他の魔獣なら気づきもしないだろう。だが私は――少し事情があってな。

 精神力には、多少なりとも覚えがある」

 思いがけない答えに、イズナは短く息を吐いた。

 魔獣は、ほとんど錬金術師になれない。

 精神力を扱える存在は、魔獣領域全体を見渡しても極めて少ない。

「なるほど……意外だな」

 胸の奥で、静かに反省する。

 いい教訓になった。

 この先、精神力を感知できる相手と出会うこともあるだろう。

 精神力を、もう少し抑えた方がよさそうだ。

 一拍置いて、視線を前に戻す。

「……ああ。俺は錬金術師だ」

「ははは、やはりか」

 ミスドロン将軍は愉快そうに笑った。

「人間が魔獣領域に来るだけでも珍しいというのに、錬金術師とはな。

 安心しろ。少なくとも、この外縁町にいる限り――お前たちに指一本触れさせはしない」

 イズナはわずかに口元を緩めた。

「それは心強いな」

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