29 魔獣の町
二人は互いに情報を交換しながら、魔獣領域のさらに深部へと急いだ。
どうやらアカツキは、カイエンから「王室付きの錬金術師を紹介する」という条件を提示され、それに応じる形で、この北境討伐を引き受けたらしい。
治療の糸口を求めていた彼にとって、その誘いは無視できるものではなかった。
道中、アカツキが語るこの地の実情は、イズナが抱いていた常識を次々と塗り替えていく。
「……ここは、ただ魔獣が彷徨うだけの荒野じゃない。
魔獣の中には独自の町を築く者もいる。もちろん、人間の言葉を解する種族さえ存在する」
「魔獣の……町……」
イズナは思わず言葉を反芻した。
世界は、自分の想像よりも遥かに広く、そして未知に満ちている。
一山隔てた北境で暮らしていた頃、山の向こう側に、これほどまでに凶悪で、それでいて神秘的な世界が広がっているなど、イズナは考えたこともなかった。
「……俺たちが北境から越えてきた、あの山脈のルートだが、本来なら、極めて危険で、無謀とすら言える道だ」
アカツキは歩みを緩めることなく、周囲を警戒しながら、灰の舞う行く先を見据える。
「あそこは、魔獣領域の最果ての境界。
外の世界から、あの道を通って踏み込む者は、まずいない」
わずかな間を置き、視線を前方へと向ける。
「これから向かう先――
そこにある町こそが、魔獣領域と外界を繋ぐ、真の接点だ」
イズナは静かに頷きながらも、内心では別の思いが渦巻いていた。
精神の奥底へと意識を向け、アウレに問いかける。
(先生……こんな険しい道だなんて、聞いてませんよ)
(うむ。ワシも直接この魔獣領域に来たことはないからのう)
少し間を置いて、どこか誤魔化すように続く。
(それに、正確に言えば……長いこと、外の世界そのものに出ておらんかった)
(それ、今言います?)
(まあ、生きておるのじゃから、細かいことは気にするな)
イズナは思わず小さく溜息をついたが、口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
危険な地ではある。だが同時に、確かに――世界は、前へ進むほどに広がっていく。
外縁町――魔獣領域の“玄関”と呼ばれる町である。
建ち並ぶ建物の多くは簡素な木造で、壁や屋根には獣骨や皮が無造作に使われていた。道と呼べるものも、舗装とは程遠い土の地面が、そのまま町の奥へと伸びているだけだ。
その荒々しい外見とは裏腹に、町全体には奇妙な秩序が行き渡っていた。
十二、三歳ほどの少年と、背に大剣を負った一人の男――イズナとアカツキは、町の入口へと辿り着いた。
中へ足を踏み入れようとした、その時だった。
「止まれ」
低く唸るような声とともに、二つの影が前に立ちはだかる。
獣の貌を持つ守衛が二人。一人は虎のような顔つきで金属鎧を纏い、もう一人もまた、戦い慣れした獣の気配を漂わせている。
イズナは素直に足を止めた。
「人間がこの町に入るには、通行料が要る。
クックック……一人につき、一万ゴルだ」
虎頭の守衛は、値踏みするような目で二人を見下ろす。
その口調には、値切りや交渉を許す余地など、微塵も感じられなかった。
イズナは一瞬だけ眉をひそめ、アカツキの方を振り返る。
「ここは、二つの魔獣の軍勢が管理している」
アカツキは声を落として説明した。
「人間は例外なく、ルールに従わされる。逆らえば、厄介なことになる」
イズナは小さく息を吐き、再び守衛へと向き直る。
一万ゴル。
決して安い金額ではない。魔獣領域に足を踏み入れたばかりで、無用な摩擦を起こすのは得策ではなかった。
出発前、父から託された資金はおよそ十万ゴル。
頭では理解していても、懐が削られる感覚はやはり痛い。
イズナは内心で軽くため息をつきながら、革袋へと手を伸ばし、金貨を取り出した。
通行料を受け取った守衛たちは、イズナとアカツキがあまりにもあっさりと金を差し出したのを見て、互いに視線を交わした。
次の瞬間、二人の口元に、いやらしい笑みが浮かぶ。
イズナが再び歩き出そうとした、その時だった。
金属がぶつかる乾いた音が鳴り、目の前で二本の長槍が交差する。
「……これは、どういう意味だ」
足を止めたイズナの声は、低く、抑えられていた。
虎頭の守衛が肩を揺らし、愉快そうに笑う。
「へへっ。通行料は確かに受け取ったさ」
そして、舌なめずりするように続けた。
「だがな。俺たち二人への“心付け”が、まだだろ?」
もう一人の守衛も、待っていましたとばかりに口を挟む。
「大した額じゃねえ。一人につき、追加で一万ゴルだ」
その言葉に、イズナの眉がわずかに動いた。
胸の奥で、抑え込んでいた感情が、ゆっくりと熱を帯びる。
穏やかさを保ってはいたが――その目から、柔らかさが消えていた。
周囲の空気が、ざわりと揺れる。
異変に気づいた町の魔獣たちが、好奇心混じりの視線を向け始めた。
それを感じ取った守衛たちは、さらに図に乗る。
「払わねぇなら、この外縁町には一歩も入れさせねぇ」
言い終えると同時に、二人の体から強烈な原力が噴き上がった。
空気が震え、周囲の魔獣たちが本能的に距離を取る。
C級。
間違いなく、戦闘慣れした実力者だ。
イズナは、小さく息を吐いた。
(……どうやら、穏便には済まなさそうだ)
視線を伏せたまま、彼は一言だけ口にする。
「……アカツキ、やれ」
その言葉に応えるように、背後で確かな一歩が踏み出される。
次の瞬間、守衛たちのそれとは次元の違う、濃密で重い原力の圧がその場を満たした。
ただ圧されただけで、守衛たちは思わず数歩、後ずさる。
「な、なに……!?」
「レベル39――ランク『上位』だと!?」




