28 契約成立
「……俺の体に巣食っている“それ”を、本当に取り除けるというのか……?」
アカツキの声が、かすかに震えた。
その瞳には、絶望の底でようやく掴んだ蜘蛛の糸を、決して離すまいとする光が宿っている。
「ああ。あんたの体内には毒素が残っている。
それが原力の流れを凍りつかせ、本来の力を封じているんだ」
イズナは淡々と続けた。
「全盛期のあんたが、レベル39なんてものじゃないだろ」
アカツキは言葉を失い、重苦しい沈黙のまま、イズナの言葉を食い入るように聞いていた。
「その毒素は、『原力凋零』と性質がよく似ている。
だが、決定的な違いがある――これは、人の手で作られたものじゃない。
おそらく魔獣由来だ。しかも……相当、格の高い魔獣のな」
もちろん、この分析はイズナ自身のものではない。
アウレが、イズナの中から静かに囁いている知識だ。
今のイズナの錬金術の腕前では、ここまで正確に見抜くことは不可能だった。
だが――アウレという古の叡智を通せば、錬金術に関する知識は、常人の及ぶ域を遥かに超える。
「……直すこと自体は、難しくない」
イズナはそう断言した。
「あんたに毒素を打ち込んだ魔獣の『コア』。
それに、いくつかの素材や条件が揃えば――その毒素を、根こそぎ引き剥がしてやれる」
その言葉を聞いて、アカツキは目を伏せた。
そして、絞り出すような声で、重い過去を語り始める。
「……やはり、そうか。
ここへ戻ってきたのは、正解だったな」
一度、言葉を区切り、続ける。
「数年前……俺は、この魔獣領域の奥で修行をしていた。
その時、S級魔獣と遭遇したのだ。
戦況は、俺が優位だったが――あの魔獣、ほんの一瞬の隙を突いて、毒素を打ち込みやがった」
握りしめた拳に、力がこもる。
「それ以来だ。
原力は思うように巡らず、力は削がれ、感覚も鈍った。
名の知れた錬金術師も何人も訪ねたが……誰一人、原因すら突き止められなかった」
アカツキは顔を上げ、鋭い視線をイズナへ向ける。
「それを――お前は、こうもあっさり見抜いた」
ようやく一筋の希望が見えた。
だが次の瞬間、現実に引き戻されるように、アカツキは声を低くして言葉を継いだ。
「……だがな。S級魔獣のコアを奪うのが、どれほど困難か……お前なら分かるはずだ」
S級魔獣――
それは、人間世界で言うとレベル50を超える、“真の化け物”だ。
レベル40に達するとランク『精鋭』と呼ばれる。
そして、レベル50――その領域へ到達した者は、『白銀』となる。
『白銀』は、一国に数えるほどしか存在しない。
国家が切り札として抱える、文字通りの最終戦力だ。
本気を出せば、たった一人で一国と渡り合える――そう評される存在でもある。
その『白銀』と同格。
それこそが、S級魔獣なのだ。
そして――
イズナの胸に、別の疑問が静かに浮かび上がる。
S級魔獣と対峙し、なお優位に立っていたという、全盛期のアカツキ。
もしその事実が真ならば、彼の本来の実力は、果たしてどこまで達していたのか。
「それに――“素材と条件”とは、何だ?」
「素材の方は、金さえあればそこまで難しくない。
肝心なのは――条件だ」
イズナはそう言って、静かに手を差し出した。
その掌の上で、淡い緑の光が揺らめく。
次の瞬間、古の紋章が浮かび上がった。
静謐でありながら、世界そのものを揺るがす嵐の鼓動を宿した存在。
「これが揃わなければ、どんな錬金術師にも手出しはできない」
緑色の神紋が、灰に沈んだ世界を淡く照らし出す。
アカツキは、緑色の神紋を見つめたまま、深く思案に沈んだ。
もしイズナの言葉が真実なら――自分を治療できる錬金術師は、この世界に指折り数えるほどしか存在しない。
神紋の持ち主たちは、雲の上の存在だ。居場所を突き止めることすら困難で、仮に巡り会えたとしても、対価なしで力を貸すはずがない。
アカツキは、やがて顔を上げ、イズナの瞳を真正面から見据えた。
「……ただより高いものはない。
取引の条件を言え。もし俺の誇りを踏みにじるような真似を強いるなら――一生このままの体で朽ち果てる方がマシだ」
その言葉に、イズナの口元がわずかに吊り上がる。
「簡単なことさ。この魔獣領域にいる間、俺の護衛をしてもらう」
「……護衛、だと?」
「ああ。俺はこの地で探し物をしている。
場合によっては、さらに奥へ踏み込む必要もある。あんたみたいな腕利きが味方についてくれれば、これほど心強いことはない」
現在のレベル39という状態ですら、アカツキはB級魔獣を正面から倒せる。
もし全盛期の力を取り戻せば――これ以上の戦力は、そうそう存在しない。
「……わかった。この魔獣領域にいる間だけでいいのだな」
アカツキは、地を這うような低い声で確認した。
「ああ、そうだ」
イズナは、わずかに口元を緩めた。
予想通り、アカツキは、武人としての義理を何よりも重んじる男だ。
一ヶ月前、利に聡いだけのカイエンとの縁を、迷いなく断ち切ったあの引き際を見れば分かる。
それに、「この魔獣領域にいる間」という条件も、イズナにとっては好都合だった。
いつ、どのタイミングでこの地を離れるか。その主導権は、あくまで自分が握っている。
「……よし。契約成立だ」
イズナが右手を差し出す。
一瞬の逡巡の後、アカツキは血と泥にまみれた大きな掌で、それを力強く握り返した。
大人と子供。
戦士と錬金術師。
かつて敵同士だった二人が、奇妙な契約によって結ばれ、灰の降る大地の上で手を取り合う。
「俺はイズナ・アークライトだ。よろしく頼むよ、アカツキ」
「よろしく……アークライト?!」




