24 出立前夜
町へと戻ると、そこでは荒れ果てた街道を、住人たちが黙々と片付けていた。
イズナは瓦礫の山と化した広場を横切り、静まり返った屋敷へと足を踏み入れた。
屋敷の広間では、雇われていた傭兵たちの多くがすでに報酬を受け取って去った後で、あれほど騒然としていた空間が、今はひっそりとした空気に包まれている。
「イズナ、戻ったか。一体どこへ行っていたんだ?」
黒鱗たちと今後の善後策を話し合っていたカルスが、息子の姿を見つけて振り返った。
その顔には戦闘の疲労が色濃く残っているが、無事を確認したことで安堵の色が浮かぶ。
「……ただいま、父様。アウレ先生のところへ行っていました」
イズナはとっさに嘘を吐いた。
まさか、アウレが自分の中に宿り、先ほど自分の身体を使って戦っていたなどとは、口が裂けても言えない。
「“先生”?」
そういえば以前、アウレは『イズナと縁がある』と言っていたな。
「えっと……その、少しだけ錬金術の手ほどきを受けていたんです」
「な、何だと……!?」
カルスは椅子を蹴るような勢いで立ち上がった。
錬金術師に弟子入りするなど、どれほどの人間が夢見ても叶わぬことか。
しかも、錬金術師には精神力の資質が不可欠だ。もし息子にその才があるのなら、たとえアークライト家が爵位を失おうとも、再び繁栄を取り戻すことは難しくない。
イズナは、山脈の洞窟でアウレに調合を教わったことを、真実と嘘を織り交ぜながら語った。
アウレが魂だけの存在であることだけは伏せて。
「なるほど……アウレ様は山脈の洞窟に住まわれているのか。
イズナ、彼を我が家に招くことはできんか? 部屋ならいくらでもあるし、最高のもてなしを約束しよう」
「あ、いえ……先生は、あちらの方が素材の採集に都合がいいからと……」
「……そうか」
カルスは、少し残念そうに頷いた。
「ははは! なるほどな。あの錬金術師が加勢してくれたのも、大半はこの子のおかげってわけか」
黒鱗が豪快に笑いながら口を挟む。
「ああ、そうに違いない。まさかイズナに錬金術の才能があったとはな……!」
カルスは胸を張り、我が事のように誇らしげな笑みを浮かべた。
つい先ほどまでの絶望的な戦場が嘘のように、アークライト家には久しぶりの希望の光が差し込み始めていた。
それから数日の間、カイエン男爵が再び攻め寄せてくることはなかった。
謎に包まれた錬金術師アウレの圧倒的な力を目の当たりにし、今や彼に対抗できるのは王国でも指折りの強者くらいだ――カイエンはそう踏んでいた。
たとえその錬金術師が不在だとしても、北境最強と謳われるカルスを打ち破るのは容易ではない。
ましてや、重剣のアカツキすら失った今の自分に、打てる手など残されていなかった。
煮えくり返るような怒りを抱えながらも、それをぶつける先はない。
臨時拠点で鬱々と日を過ごすうち、このまま問題を解決できなければ王都へ戻る顔がないことも、失態が報告されれば後ろ盾である財務大臣の逆鱗に触れることも、嫌というほど理解していた。
結局、カイエンは屈辱に耐えながら北境に留まるしかなかった。
カルスもまた、その状況は予測していた。しかし、だからといって警戒を解くわけにはいかない。
その意を汲み、黒鱗もしばらくの間、この地に滞在することを決めた。
「礼はいらんさ。それよりよ――イズナが立派な錬金術師になったら、俺のことも忘れないでくれよな?」
黒鱗は愉快に笑いながら、イズナの肩を叩いておどけてみせた。
さらに数日が過ぎ、北境には少しずつ、いつもの平穏が戻りつつあった。
先日の大戦も、今では町の人々にとって格好の茶飲み話となっている。
アークライト家の庭では、一人の少女が、自分の背丈ほどもある釜の前に立ち、不器用ながらも真剣な眼差しで中身をかき混ぜていた。
「エリーゼ、精神力のコントロールに注意して――」
イズナが助言を言い終えるより早く、釜が淡い光を放った。
次の瞬間、心地よい薬草の香りが、庭いっぱいに広がる。
「できたぁ!」
最も基礎的な調合である『ヒールポーション』。
精神力の制御から調合の完成に至るまで、少女はわずか三日足らずで、完全にそれを身につけてしまった。
その驚異的な習得速度に、イズナは内心、少なからぬ衝撃を受けていた。
(……早すぎる。俺は、あんなに苦労したのに)
実は数日前、アウレからの提案を受け、イズナは妹のエリーゼに錬金術の手ほどきを始めていた。
エリーゼの精神力の才能は、まるで錬金術師になるために誂えられたかのように、どこまでも澄み切っている。
未研磨の宝石が、磨かれることで本来の輝きを取り戻すように――
彼女は、そんな予感を自然と抱かせる天賦の才の持ち主だった。
「すごいよ。ちゃんとできてる」
「えへへ、全部お兄様のおかげだよ。ありがとう!
あっ、お父様たちにも見せてくる!」
「行っておいで」
嬉しさを隠しきれない様子のエリーゼは、透き通った液体を小瓶に注ぎ、弾むような足取りで広間の方へと駆けていった。
「くく……なかなかの才能じゃ。少年よ、努力せねば、あっという間に追い抜かれてしまうぞ?」
アウレの皮肉めいた笑い声が、胸の内に響く。
「分かってますよ、先生」
イズナは苦笑しながら、去っていく妹の背中を見送る。
「さて――」
不意に、アウレの声から軽さが消えた。
張り詰めた響きに、イズナも自然と表情を引き締める。
「そろそろ、おぬしの決断を聞かせてもらおうか」
先日の大戦の直後、アウレはイズナに一つの提案を持ちかけていた。
――北境を離れ、修行の旅に出ること。
目的は二つ。
一つは、イズナ自身が真の強者へと至るための研鑽。
そしてもう一つは、世界各地に散らばり、封印されたままのアウレの「魂の欠片」を探し出すことだ。
この北境という安穏な揺り籠に留まっていては、これ以上の成長は望めない。
二年後に控えた大会――『シード・トーナメント』での優勝も、世界の理に近づくことも、そしてアウレを完全な存在へと導くことも、この地に留まっていては叶わないだろう。
イズナは拳をぎゅっと握りしめた。
逃げ道を断ち切るように、覚悟を固めて口を開く。
「先生。その話ですが……」
一拍置き、はっきりと言い切った。
「行きたいです。ぜひ、連れていってください」




