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蒼の境  作者: 神奈川楓
第一章 蒼の始まり
22/55

22 嵐の顕現

(……くく、実に清々しい依代だ。骨格も、筋力も、原力の流れも悪くない)

 アウレは“自分の”――いや、イズナの両手をゆっくりと開いては握り、その感触を確かめるように眺めた。

 そして、血走った瞳でこちらを睨みつけるアカツキへ、アウレはふわりと片手を差し向けた。


「咲け――『絶空のテンペスト』」


 その瞬間、北境の空が一変した。

 先ほどまでくすんだ色をしていた空が、急速に陰りを帯びていく。

 空気が張り詰め、荒れ狂う風が地表を舐めるように走り、やがて大きな渦を描き始めた。

 そして――

 重く垂れ込めた雲を引き裂き、天から降り注いだのは、巨大な龍が身をくねらせるかのようにうねる、一本の大竜巻だった。

「な、なんだこれは……天階スキルか!?」

「違う……! 属性原力だ。原力だけで、これほどの天地異象を……!」

 兵士たちの悲鳴をかき消しながら、竜巻は凄まじい勢いでアカツキへと襲いかかる。

 アカツキは険しい表情のまま、残るすべての原力を大剣へと叩き込む。

 剣を横一文字に構え、肉体が悲鳴を上げるほどの力で振り抜く。


「――『断天分地・二式――海荒らし』!」


 横薙ぎに放たれた巨大な斬撃の波と、天を貫く竜巻が正面から激突した。

 轟音。

 次の瞬間、凄まじい衝撃波が輪を描いて広がり、カイエンや黒鱗といった『上位』ですら足を奪われ、数十メートルも後方へと吹き飛ばされた。

 その激震は、まるで世界そのものを叩き潰すかのように、幾瞬にもわたって戦場を揺さぶり続けた。

 やがて天地を揺らしていた乱流が収まり、竜巻と斬撃はともに霧散した。

「……お、おぉ――アカツキさんが……あの化け物みたいな攻撃を止めたぞ!」

 誰かの声が、震えを帯びて上がった。

 だが、その一瞬の希望は、すぐに踏み潰される。

 仮面の奥のアウレは表情一つ変えず、静かに右手を頭上へと掲げた。

 その指先が空をなぞった刹那――

 ゴォォォォォォォッ!!

 先ほどと同規模――いや、それ以上の威圧を放つ十数本の竜巻が、アカツキを取り囲むように一斉に鳴動し、姿を現した。

「……っ!?」

 アカツキの顔が、はっきりと凍りつく。

 持てるすべてを注ぎ込んで放った最大奥義で、ようやく一本を相殺したに過ぎない。

 それが今、十数倍の暴力となって目前に並んでいる。

 周囲の者たちは、ただその光景を呆然と見上げるしかない。

 これはもはや「戦い」ではない。

 神にも等しい存在が一方的に振るう――まさしく「蹂躙」だった。

 アカツキは、握りしめていた大剣の重みさえ忘れたかのように、震える唇を動かした。

「……この力、貴様、まさか『神紋』を宿しているのか」

 仮面の奥で、アウレがわずかに目を細める。

「ほう……察しがいい。

 じゃが、それが分かったところで――“今”のおぬしでは、ワシの一撃を受け止めることは叶わん」

 アカツキは天を衝く竜巻の壁を見上げ、力なく息を吐いた。

 血のように赤く染まった瞳を、静かに閉じる。

「……そこまで見抜かれているとはな。

 どうやら、とんでもない相手を敵に回しちまったらしい。

 俺の負けだ。……殺せ」

 その覚悟を告げる声を受けて、アウレは掲げていた手をゆっくりと下ろした。

 それだけで、天地を揺るがしていた十数本の竜巻は、嘘のように消え失せ、戦場には凪のような静けさが戻る。

「去るがいい。今のおぬしは、手を下す価値はない」

 命を拾ったはずのアカツキの顔に、安堵はなかった。

 震える拳を固く握りしめ、屈辱と悔しさに身を焼かれながら、アカツキは仮面の人物を睨みつける。

「……今日、俺を逃がしたことを、必ず後悔させてやる」

 アウレは鼻で笑った。

「ふん。やれるものなら、やってみるがいい」

 その言葉を背に、アカツキは重剣を肩に担ぎ直し、振り返ることなく雪原の彼方へと歩き出した。

「アカツキ殿! どこへ行くつもりだ!?」

 カイエン男爵の悲鳴じみた叫びに、アカツキは一度だけ足を止める。だが、その背中はひどく冷ややかだった。

「……俺は、あいつには勝てん。

 約束は果たせなかった。報酬の話も、なかったことにしておけ」

 吐き捨てるように言い残し、彼は再び歩き出す。

 やがて、その背中は銀色の世界へと溶けて消えた。

「待て! アカツキ! 貴様、私を見捨てて逃げるというのか!?」

 カイエンの怒号も、虚しく吹き荒ぶ風にかき消される。

 頼みの綱だった最強の戦士が去り、ヴィミリアン家の兵士たちは完全に戦意を失っていた。

 恐怖に縛られた視線が、呆然と立ち尽くす主――カイエンへと集まる。

 衆目に晒され、逃げ場を失ったカイエンは、歯をガチガチと鳴らしながらアウレを仰ぎ見た。

「れ……錬金術師殿。私は王都の貴族だ。王国内部のいざこざに、部外者が口を出すのは感心せんな。

 さもなくば……これはアストラ王国全体への敵対行為と見なされるぞ!

 だが、もし今ここで手を引いてくれるのなら――

 我がヴィミリアン家、いや、王国を挙げて、貴殿を特別な上客として遇しよう。」

 勝ち目がないと悟ったカイエンは、王国の威光を盾に、威嚇と懐柔をないまぜにした醜い言葉を吐き出した。

 だが、アウレはただ冷ややかに笑うだけだった。

「……自ら去るか。それとも、ワシが送ってやろうか」

 その一言に、交渉の余地は微塵もない。

 面目を完膚なきまでに叩き潰されたカイエンの顔は、屈辱で土気色に染まる。

 だが、この怪物の逆鱗に触れれば、ここで命が終わる――それだけは理解していた。

 彼は煮えたぎる怒りを必死に飲み込み、打たれた犬のような目でアウレとカルスを睨みつける。

「……覚えていろ、アークライト。

 撤退だ! 全軍、引けッ!!」

 吐き捨てるように命じると、カイエンは逃げるように馬車へと転がり込んだ。

 ヴィミリアン家の軍勢は、来たときの威圧感が嘘のように、這う這うの体で北境の雪原へと消えていった。

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