21 父の危機
負傷した父の姿を目の当たりにし、イズナは胸を締めつけられるような思いに駆られた。
これほどまでに、自分の無力さを痛感したことはない。
(……もっと、もっと強くならなきゃ。家族を守るために、本当の強者に――)
少年は仮面の下で歯を食いしばり、固く拳を握りしめて静かに誓いを立てた。
戦場を覆う沈黙は数分間続いたが、それを破って最初に立ち上がったのはカルスだった。口元の血を拭い、顔色は蒼白ながらも、その瞳には一切の退きがない。
「さすがカルス様だ!」
「我らが主君に栄光あれ!」
アークライト家の面々から歓声が上がり、士気は一気に跳ね上がる。
だが、その喧騒の裏で、窓の陰に身を潜めるイズナの表情はますます険しくなっていた。研ぎ澄まされた精神力が、不吉な違和感を捉えていたのだ。
「……おかしい。あのアカツキ、何かが変だ」
「……あれは……」
アウレの声が重なった刹那、空気が一変した。
アカツキの周囲で、原力が爆発するように膨れ上がり始めたのだ。その圧はレベル39の限界を軽々と超え、さらに上の領域――レベル40へと、無理やり扉をこじ開けようとしているかのようだった。
だが、その跳ね上がる力を、目に見えぬ“何か”が強引に繋ぎ止め、抑え込んでいる。原力の不自然なうねりが空間を歪ませ、耳を刺すような不協和音を撒き散らす。
立ち上がったアカツキの瞳は、もはや無機質な黒ではなかった。
狂気に染まった、血のような赤がそこに宿っている。
アークライト家の歓声は、突如として凍りついた。
その沈黙を踏み砕くように、ヴィミリアン家の兵士たちが割れんばかりの勝鬨を上げる。
「まずい……おぬしの父が危ない」
アウレの声に、イズナは窓枠を指が白くなるほど強く握りしめた。
「先生……! 力を引き上げる秘薬や秘法はありませんか……!?
この命に代えても構いません……!」
必死の訴えに、アウレはわずかに沈黙する。
「……なくはない。じゃが……問うぞ、ワシを信じるか?」
窓の外では、血塗られた殺戮の獣と化したアカツキが、猛然と大剣を振るっていた。
先ほどまでの拮抗はもはやない。一撃ごとに大気が爆ぜ、カルスの防壁を、精神を、肉体を、そして原力までも無慈悲に削り取っていく。
そして――ついに、その瞬間が訪れる。
「……終わりだ」
アカツキの喉から、地鳴りのような低い声が漏れた。
瓦礫の中に叩き伏せられ、身動きの取れぬカルスに向けて、アカツキは巨大な黒鉄の大剣を天高く掲げ、一気に振り下ろす。
ドォォォォォンッ!!
落雷のような轟音とともに爆風が戦場を蹂躙した。砕けた礫が周囲の兵士を打ち、濃い砂塵が視界を覆い尽くす。
「ハハハッ! カルスは死んだ! 者どもッ! 反逆者を、塵ひとつ残さず踏み潰せ!」
カイエンの狂喜に満ちた勝ち誇る声が響き渡る。
しかし――
風が吹き抜け、砂塵がゆっくりと引いていく。
その光景を目にした者たちは、誰もが息を呑んだ。
そこには、横たわるカルスの目前で、巨大な大剣の刃を“片手”で真っ向から受け止めている一人の人物の姿があった。
深く被った漆黒の仮面。
風にたなびく厚手の黒いローブ。
その異様でありながら圧倒的な威容を放つ人物の出現に、戦場は一瞬で静まり返った。
「な……あ、あれは、錬金術師アウレ様だ!」
「まさか……あの重剣の一撃を、片手で受け止めたというのか……!?」
どよめきと戦慄が、ヴィミリアン家の兵士たちの間を走る。
カイエンでさえ、「馬鹿な……」と顔を引きつらせ、信じがたい光景を凝視していた。
瓦礫の中に倒れていたカルスもまた、現実とは思えぬものを見るように、目の前の背中を見つめる。
「……た、助かった。恩に、着る……」
アカツキは大剣を引き戻し、数メートル後方へ跳び退いた。
血のように赤く染まったその瞳が、猛獣の警戒心を宿してローブの人物を射抜く。
アウレは振り返ることなく、静かに告げた。
「……下がってよい。ここからはワシが引き受けよう」
そう言ってアウレが軽く片手を振ると、穏やかでありながら抗いがたい風がカルスを包み込み、その身体を後方の安全な陣地へと運び去った。
そして仮面の奥で、まるで永劫の嵐を宿すかのような緑の瞳が、アカツキを捉える。
本の一分前――
屋敷の窓裏で。
「……ワシを信じるか?」
「はい。……信じます」
「ならば、その体をワシに預けよ。……ワシが、おぬしの身体を使って戦う」
イズナは息を呑んだ。
アウレはあくまで“魂の欠片”に過ぎない。だが、もしそこにわずかでも悪意があれば――肉体を明け渡した瞬間、イズナの意識を押し潰し、その身体ごと奪い取ることもできる。
アウレはその危険性を、包み隠さず淡々と告げた。
イズナは一瞬だけ目を閉じ、深く息を吸う。
あまりにも危険な賭けだ。
だが再び目を開いたとき、その瞳に迷いはなかった。
「……お願いします、アウレ先生。
俺の命、あなたに預けます」
こうして、今戦場に立っているのは――
イズナの肉体を器として、この世界に顕現した、伝説の錬金術師アウレ本人である。




