19 開戦の号
吹雪の音が、まるで誰かに喉を締めつけられたように、急に遠のいだ。
その静寂を引き裂くように、ヴィミリアン家の軍勢が黒い奔流となって町へとなだれ込み、やがてアークライト邸前の広場で冷たい鉄の壁へと姿を変える。
凛冽な北風に旗が激しくはためき、そこに刺繍された金の蠍の紋章が、灰色の空の下で冷たく光っていた。
カイエン男爵はゆっくりと馬車の中から姿を現し、居並ぶアークライト家の面々を品定めするかのように見渡す。
そして最後に、先頭に立つカルスへと視線を止めた。
「カルス・アークライト“元”男爵」
カイエンの声は決して大きくはなかったが、意図的に張り上げられ、居並ぶ兵士たち、そして遠巻きに様子をうかがう町民たちの耳にまで、はっきりと届いた。
「こうしてまだ立っていられる姿を見られて、実に“喜ばしい”限りだ。
どうやら、私の息子が伝えた話を、君は真に受けていなかったようだな?」
「ヴィミリアン男爵。アークライト家は代々、この地に根を下ろしてきた。
この屋敷は王国から賜ったものではない。先祖が一石一木を積み上げて築き上げたものだ。
爵位は奪えても、故郷を捨てることはできん」
「故郷、だと?」
カイエンは心底おかしそうに鼻で笑った。厚手の革手袋をはめた両手を擦り合わせながら、言葉を続ける。
「ああ、そうだな。“故郷”か。実に涙ぐましい話だ。だがカルス、君はどうやら“現実”というものが見えていないらしい」
カイエンは一歩、前に出た。雪を踏みしめる靴が「ギシッ」と乾いた音を立て、その場にいる全員の心臓を踏みつけるように響く。
「国王陛下のご命令でな。北境の統轄権は、すでに我がヴィミリアン家に移っている。
新任領主である私には、この地にあるすべての『所有が曖昧なもの』、あるいは『統制が必要なもの』を処分する権限が与えられているのだ」
屋敷へと視線を向け、口の端を歪めた。
「この屋敷は立地も良く、造りも悪くない。
私が北境に滞在する間の拠点として使うには、これ以上なく都合がいい。
それに――せめてもの情として、息子を通じて一か月の猶予を与えてやったはずだ。
だが期限が過ぎた今、君たちは立ち退くどころか、武装集団を組織して公然と抗命している。
これは立派な反逆罪だぞ、カルス」
カイエンの声が、冷たく低くなる。
「さらに――
数日前、君の息子イズナ・アークライトが、公務を遂行中であった我が配下の兵を襲撃したとの報告を受けている。
兵を傷つけ、再起不能にしたその暴挙……これはもはや、王国そのものへの挑戦だ。領主の権威を土足で踏みにじる行為にほかならん」
カイエンは猛然と腕を振り上げる。
「よって本日、我がヴィミリアン家は王国の法を執行し、北境の秩序を正すためにここへ来た。
屋敷は即刻明け渡せ。そして――
犯罪者イズナ・アークライトの身柄を、ただちに引き渡せ。裁きを下す」
ついに、言った。
屋敷の移譲など、ただの口実にすぎない。
真の狙いは――イズナの首だ。
息子を差し出せば、アークライト家の尊厳は踏みにじられ、やがて家族全員が粛清される。
拒めば拒んだで、「凶悪犯を匿い、武力で法に逆らう反逆者」として、軍による“合法的な鎮圧”を受ける。
逃げ道のない、死の二択だった。
カルスの表情は、見る者の背筋を凍らせるほど沈み込んでいた。
息子を差し出せなど、到底受け入れられるはずがない。
(……この戦力があれば、向こうも容易には手を出せず、戦わずに済むと思っていたが……甘かったか。
こうなれば、最悪を覚悟するしかない)
カルスは一歩も引かず、鋭い決意を込めて言った。
「……イズナを渡すことは、断じてない」
「ふん。やはり、そう来るか」
カイエンは口の端を歪め、冷たく命じた。
「ならば力ずくで捕らえろ。……者ども、かかれ」
号令と同時に、ヴィミリアン家の兵たちが一斉に武器を構え、雪崩のように踏み込んでくる。
カルスは小さく息を吐いた。無念と覚悟が、その吐息に滲む。
次の瞬間――
その瞳に、凍てつくような光が宿った。
「……ッ」
カルスは体内の原力を、一切の躊躇なく解き放った。
爆発的な圧力が周囲の空気を押し潰し、突進してきた兵士たちを木の葉のように弾き飛ばした。
レベル39――
『上位』の極みに達した武人の本気が、空間そのものを震わせる。
「カルス、貴様……! 領主に刃を向けるつもりか! ――アカツキ殿ッ!」
カイエンの叫びに応えるように、背後に控えていた巨大な影が動いた。
ドォォォン!!
重たい風切り音とともに、巨大な黒い塊が天から降り注ぐ。
カルスが咄嗟に身を引いた、その直後――
先ほどまで立っていた場所へ、身の丈を超える黒鉄の大剣が突き刺さった。
石畳が砕け散り、凄まじい衝撃波が四方へと走る。
舞い上がる土煙の中から、感情の抜け落ちた瞳をした男が姿を現し、ゆっくりと大剣の柄を掴み上げた。
「……重剣のアカツキ」
カルスが、苦々しくその名を吐き捨てる。
「バルド! アカツキ殿と挟み撃ちにして、カルスを叩き潰せ!」
「ガハハ! 合点承知だ!」
独狼バルドが野獣のような速さで突進する。
だがその進路を塞ぐように、アークライト家側のもう一人の『上位』の傭兵が躍り出た。
「させるかよ――」
鋼と鋼が激しくぶつかり合い、火花が散る。
二人の実力者は原力をぶつけ合いながら、一気に交戦へと突入した。
一方で、黒鱗も動く。
「大将の首、もらい受けるぜ!」
放たれた長槍が黒蛇のような軌跡を描き、カイエンへと襲いかかる。
穂先には、空気すら切り裂くほどの原力が凝縮されていた。
だがカイエンは、不敵に――いや、傲慢にすら見える笑みを浮かべる。
「……フン。身の程を知れ」




