18 翡翠の瞳
「えっ――?!」
イズナは心臓が止まるかと思った。
ばっと振り返ると、そこには両手を後ろに組み、小首をかしげてこちらをじっと見つめるエリーゼが立っていた。
翡翠色の瞳が、いたずらっぽく、それでいてすべてを見透かしているかのように輝いている。
「な、何を言っているんだい、エリーゼ。あの方はアウレ先生と言って、俺を助けてくれた錬金術師で……」
「うそだあ。お兄様、隠すのヘタだもん」
エリーゼはとてとてと歩み寄ると、イズナの顔をのぞき込んだ。
「大人たちには見えないみたいだけど。
あのお面の人、お兄様から出てるのと同じ『キラキラした空気』が、いっぱい出てたんだよ?」
イズナは言葉を失った。
『上位』である父カルスや黒鱗さえ欺いた精神力の迷彩を、彼女は直感だけで見抜いていたのだ。
イズナは動揺を抑えきれず、内心でアウレに問いかける。
『先生……これは、いったい……?』
『くくっ。どうやら隠し通すのは無理のようじゃな。
この娘、精神力が見えておる。なかなか珍しいのう』
『……感心している場合じゃないでしょう』
思わずそう突っ込みたくなりながら、イズナはエリーゼの方へ視線を戻した。
「エリーゼ、それは……」
だが、言いかけた言葉は、彼女の優しい声に遮られる。
「大丈夫だよ。誰にも言わないから。
お兄様、お父様たちを助けるために頑張ってるんでしょ?」
エリーゼはそう言って、そっとイズナの手を握った。
その小さな掌のぬくもりが、胸のざわめきをゆっくりと鎮めていく。
「……参ったな。エリーゼには、かなわないよ」
イズナは苦笑した。
「そうだよ。俺が、あの“アウレ”なんだ。
でもね、これが父様たちに知られると、いろいろな計画が狂ってしまう。
だから――」
イズナはそっと人差し指を唇に当てる。
「これは、俺と君だけの“世界で一番の秘密”にしてくれるかな?」
「うん!」
エリーゼはぱっと笑顔になり、元気よくうなずいた。
「約束する!」
世の中には、本当に理屈の通じない天才がいるものだ。
イズナは深く息を吐きながら、どこか自嘲気味な笑みを浮かべた。
自分は、古の錬金術師アウレの導きのもとで、必死に食らいつき、ようやく一週間かけて精神力の端緒を掴んだ。
それなのに――訓練すら受けていない幼い妹が、それを当たり前のように「見ている」。
そう思うと、胸の奥で小さく、悔しさが疼いた。
だが同時に、その才能がエリーゼの中にあることを思うと、不思議と誇らしさも湧いてきた。
一週間の奔走を経て、アークライト家の屋敷には、かつてないほどの熱気が満ちていた。
「謎の錬金術師」の噂は凄まじく、報酬として提示された“高品質のポーション五本”という破格の条件に惹かれ、一人の『上位』と数名の『正位』が助っ人として名乗りを上げたのだ。
一方その頃、北境ノーザランドの境界付近。
新領主カイエン・ヴィミリアン率いる軍勢が、ついにその地へと足を踏み入れていた。
臨時拠点では、先遣隊として滞在していた息子クロードと、独狼バルドが跪き、一行を待ち構えている。
軍勢の中核に据えられているのは、北境の荒々しさとはおよそ釣り合わない、豪奢な装飾を施された一台の馬車だった。やがて帳が持ち上げられ、カイエン・ヴィミリアン男爵が、特製の銀の踏み台を踏んで姿を現す。
王都の贅沢な暮らしに慣れきった貴族――それが彼の第一印象だった。
キツネの厚い毛皮に身を包んだ体はわずかに浮腫み、寒さと不機嫌さのせいか、その頬は赤らんでいる。だが、細められた瞳の奥に宿る光は、その外見とは裏腹に鋭く、まるで蠍の毒針のような危うさを孕んでいた。
クロードは父の姿を認めるなり、縋りつくように声を上げた。
「父上……! ようやくお越しに……!」
「クロード。今、状況はどうなっている?」
「実は……」
クロードは、一か月前の一件と、最近北境を騒がせている“謎の錬金術師”の存在を、包み隠さず報告した。
それを聞いたカイエン男爵は、不機嫌そうに眉をひそめる。
没落した旧家を踏み潰すだけの簡単な仕事のはずが、思わぬ“不確定要素”が混じり始めていた。
「……アカツキ殿。どう思う?」
カイエンが、馬車の傍らに立つ大男へと声をかける。
身の丈を超えるほどの巨大な剣を背負い、岩のように佇む男――重剣のアカツキは、視線すら動かさず、低く答えた。
「……問題なし」
その短い言葉には、場の空気を凍りつかせるほどの重圧があった。
レベル39の『上位』。その一振りは城門をも砕き、一軍すら一人で屠る。
小細工など、彼の“力”の前では意味をなさないと言わんばかりだった。
「ははは! さすがはアカツキ殿だ!」
カイエンは満足げに笑い、クロードを振り返る。
「聞いたか、クロード。これこそが真の強者の言葉だ」
カイエンは馬車の上から軍勢を見下ろし、ゆっくりと軍配を掲げた。
「行くぞ、町へ。
我らに刃向かった連中に、見せしめというものを思い知らせてやる」
鋼の擦れる音と軍靴の響きが、北境の冷たい空気を切り裂く。
カイエン、アカツキ、そして独狼バルド――
三人の『上位』を擁する軍勢が、ついにアークライト家の屋敷を目指して進軍を開始した。
北境ノーザランドの町中。
カルスたちはすでに門前に陣を敷き、武器を構えていた。
二階の一室で、イズナは母セレナと妹エリーゼに「少し様子を見てくる」とだけ告げ、部屋を後にする。
その足で秘密の隠し場所へ向かい、黒いローブと仮面を身につけた。さらに精神力を全身にまとわせ、気配を完全に消す。
誰もいない空き部屋の窓際に身を潜め、イズナは冷えた瞳で地平線を見据えた。
やがて――
遠方の雪原が大きく舞い上がり、白い霧の壁のようなものがこちらへと迫ってくる。
重厚な鎧の擦れる音。
馬のいななき。
ヴィミリアン家の紋章を掲げた軍勢が、門前へ向かって黒い波のように押し寄せてくる。
「来たか……全員、気を引き締めろ!」
カルスの凛とした声が戦場に響く。
「応ッ!!」
傭兵と兵士たちの短い返答が、雪の空気を震わせた。




