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蒼の境  作者: 神奈川楓
第一章 蒼の始まり
18/55

18 翡翠の瞳

「えっ――?!」

 イズナは心臓が止まるかと思った。

 ばっと振り返ると、そこには両手を後ろに組み、小首をかしげてこちらをじっと見つめるエリーゼが立っていた。

 翡翠色の瞳が、いたずらっぽく、それでいてすべてを見透かしているかのように輝いている。

「な、何を言っているんだい、エリーゼ。あの方はアウレ先生と言って、俺を助けてくれた錬金術師で……」

「うそだあ。お兄様、隠すのヘタだもん」

 エリーゼはとてとてと歩み寄ると、イズナの顔をのぞき込んだ。

「大人たちには見えないみたいだけど。

 あのお面の人、お兄様から出てるのと同じ『キラキラした空気』が、いっぱい出てたんだよ?」

 イズナは言葉を失った。

 『上位スペリオル』である父カルスや黒鱗さえ欺いた精神力の迷彩を、彼女は直感だけで見抜いていたのだ。

 イズナは動揺を抑えきれず、内心でアウレに問いかける。

『先生……これは、いったい……?』

『くくっ。どうやら隠し通すのは無理のようじゃな。

 この娘、精神力が見えておる。なかなか珍しいのう』

『……感心している場合じゃないでしょう』

 思わずそう突っ込みたくなりながら、イズナはエリーゼの方へ視線を戻した。

「エリーゼ、それは……」

 だが、言いかけた言葉は、彼女の優しい声に遮られる。

「大丈夫だよ。誰にも言わないから。

 お兄様、お父様たちを助けるために頑張ってるんでしょ?」

 エリーゼはそう言って、そっとイズナの手を握った。

 その小さな掌のぬくもりが、胸のざわめきをゆっくりと鎮めていく。

「……参ったな。エリーゼには、かなわないよ」

 イズナは苦笑した。

「そうだよ。俺が、あの“アウレ”なんだ。

 でもね、これが父様たちに知られると、いろいろな計画が狂ってしまう。

 だから――」

 イズナはそっと人差し指を唇に当てる。

「これは、俺と君だけの“世界で一番の秘密”にしてくれるかな?」

「うん!」

 エリーゼはぱっと笑顔になり、元気よくうなずいた。

「約束する!」

 世の中には、本当に理屈の通じない天才がいるものだ。

 イズナは深く息を吐きながら、どこか自嘲気味な笑みを浮かべた。

 自分は、古の錬金術師アウレの導きのもとで、必死に食らいつき、ようやく一週間かけて精神力の端緒を掴んだ。

 それなのに――訓練すら受けていない幼い妹が、それを当たり前のように「見ている」。

 そう思うと、胸の奥で小さく、悔しさが疼いた。

 だが同時に、その才能がエリーゼの中にあることを思うと、不思議と誇らしさも湧いてきた。



 一週間の奔走を経て、アークライト家の屋敷には、かつてないほどの熱気が満ちていた。

 「謎の錬金術師」の噂は凄まじく、報酬として提示された“高品質のポーション五本”という破格の条件に惹かれ、一人の『上位スペリオル』と数名の『正位プライマリー』が助っ人として名乗りを上げたのだ。


 一方その頃、北境ノーザランドの境界付近。

 新領主カイエン・ヴィミリアン率いる軍勢が、ついにその地へと足を踏み入れていた。

 臨時拠点では、先遣隊として滞在していた息子クロードと、独狼バルドが跪き、一行を待ち構えている。

 軍勢の中核に据えられているのは、北境の荒々しさとはおよそ釣り合わない、豪奢な装飾を施された一台の馬車だった。やがて帳が持ち上げられ、カイエン・ヴィミリアン男爵が、特製の銀の踏み台を踏んで姿を現す。

 王都の贅沢な暮らしに慣れきった貴族――それが彼の第一印象だった。

 キツネの厚い毛皮に身を包んだ体はわずかに浮腫み、寒さと不機嫌さのせいか、その頬は赤らんでいる。だが、細められた瞳の奥に宿る光は、その外見とは裏腹に鋭く、まるで蠍の毒針のような危うさを孕んでいた。

 クロードは父の姿を認めるなり、縋りつくように声を上げた。

「父上……! ようやくお越しに……!」

「クロード。今、状況はどうなっている?」

「実は……」

 クロードは、一か月前の一件と、最近北境を騒がせている“謎の錬金術師”の存在を、包み隠さず報告した。

 それを聞いたカイエン男爵は、不機嫌そうに眉をひそめる。

 没落した旧家を踏み潰すだけの簡単な仕事のはずが、思わぬ“不確定要素”が混じり始めていた。

「……アカツキ殿。どう思う?」

 カイエンが、馬車の傍らに立つ大男へと声をかける。

 身の丈を超えるほどの巨大な剣を背負い、岩のように佇む男――重剣のアカツキは、視線すら動かさず、低く答えた。

「……問題なし」

 その短い言葉には、場の空気を凍りつかせるほどの重圧があった。

 レベル39の『上位』。その一振りは城門をも砕き、一軍すら一人で屠る。

 小細工など、彼の“力”の前では意味をなさないと言わんばかりだった。

「ははは! さすがはアカツキ殿だ!」

 カイエンは満足げに笑い、クロードを振り返る。

「聞いたか、クロード。これこそが真の強者の言葉だ」

 カイエンは馬車の上から軍勢を見下ろし、ゆっくりと軍配を掲げた。

「行くぞ、町へ。

 我らに刃向かった連中に、見せしめというものを思い知らせてやる」

 鋼の擦れる音と軍靴の響きが、北境の冷たい空気を切り裂く。

 カイエン、アカツキ、そして独狼バルド――

 三人の『上位』を擁する軍勢が、ついにアークライト家の屋敷を目指して進軍を開始した。



 北境ノーザランドの町中。

 カルスたちはすでに門前に陣を敷き、武器を構えていた。

 二階の一室で、イズナは母セレナと妹エリーゼに「少し様子を見てくる」とだけ告げ、部屋を後にする。

 その足で秘密の隠し場所へ向かい、黒いローブと仮面を身につけた。さらに精神力を全身にまとわせ、気配を完全に消す。

 誰もいない空き部屋の窓際に身を潜め、イズナは冷えた瞳で地平線を見据えた。

 やがて――

 遠方の雪原が大きく舞い上がり、白い霧の壁のようなものがこちらへと迫ってくる。

 重厚な鎧の擦れる音。

 馬のいななき。

 ヴィミリアン家の紋章を掲げた軍勢が、門前へ向かって黒い波のように押し寄せてくる。

「来たか……全員、気を引き締めろ!」

 カルスの凛とした声が戦場に響く。

「応ッ!!」

 傭兵と兵士たちの短い返答が、雪の空気を震わせた。

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