表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蒼の境  作者: 神奈川楓
第一章 蒼の始まり
17/55

17 影の庇護

 翌日、アークライト家に予期せぬ客人が現れた。

 頭の先からつま先まで厚手の黒いローブに身を包み、顔には仮面をつけた人物。

 その異様な姿に、屋敷の空気は一瞬で張り詰めた。

 カルスと黒鱗は即座に立ち上がり、無言のままセレナとエリーゼを庇うように背後へ下がらせ、自らは一歩前へ出た。

「……どちら様でしょうか。アークライト家に、どのようなご用件で?」

 カルスは礼節を保ちながらも、鋭い視線を相手へ向ける。

 その正体不明の人物から、露骨な威圧感は感じられない。

 しかし、内側に秘めた“何か”が、得体の知れぬ不気味さを放っていた。

 カルスと黒鱗の感知をもってしても、ローブの下に隠された素顔も、実力の深さも、正確に読み取ることができない。

 沈黙を守っていたローブの人物が、ふっと低く笑った。

「そう緊張するな。ワシは、令息――イズナに頼まれ、おぬしらを助けに参った」

 仮面の奥から、永い時を生きた者のような声が漏れた。

 それは紛れもなく、イズナの内に潜むアウレの声である。

 そして、この黒いローブに身を包んでいるのは――他でもない、イズナ本人だった。

 アウレの提案に従い、イズナは己の身体を“精神力”で完全に覆い隠していた。

 それによってカルスたちの原力感知は遮断され、さらに黒いローブで体格や動きまでも隠されている。

 精神力を操れない武人にとって、今のイズナは実体を掴めない“未知の存在”でしかなかった。

「……イズナに、頼まれただと?」

 カルスが困惑の声を上げた、その瞬間。

 仮面のイズナは音もなくローブを翻し、数個の革袋をふわりと宙へ放った。それらは緩やかな弧を描きながら、カルスの足元へと落ちてくる。

 カルスは反射的に袋を受け止めた。

 開いて中を覗いた瞬間、目が大きく見開かれる。

「なっ……これは……」

 震える指で取り出したのは、小さな小瓶だった。

「ヒールポーション……しかも、この澄みきった透明度は……」

 信じられないというように、カルスは息を呑む。

「これほどの品質のものは、見たことがない……」

 冷静沈着な彼の声が、わずかに上ずっていた。

「何だと?」

 黒鱗も思わず身を乗り出し、一つの袋を手に取る。

 中から別の瓶を取り出し、光にかざした。

「……原力回復のポーションだ。それも、かなりの上物だな。ほかにもあるぞ」

 袋の中には、解毒薬、麻痺薬など、基本的な薬品が整然と並んでいた。

 だがそのすべてが、市場に出回るものとは一線を画す“上級品”ばかりである。

「この品質……市場に出せば、一瓶で三万ゴルは下らん。

 この袋全部となれば……軽く百五十万ゴル以上の価値だ」

 三万ゴル。

 それは並の貴族が一か月かけてようやく手にする額に等しい。

 しかもポーションは、品質が高いほど生死を分ける。

 危険な状況になればなるほど、その差は決定的になるのだ。

 まして、ほとんど市場に出回らない上級品ともなれば、いくら金を積んでも手に入らないことすら珍しくない。

 黒鱗の言葉に、カルスは言葉を失った。

 ――アークライト家は、イズナを救うための素材を集めた結果、ほぼ全ての財産を売り払い、借金まで抱え込んでいる。

 この薬の山は、まさに喉から手が出るほどの救いだった。

 ふっと何かに思い至ったように、カルスは顔を上げた。

「……あなたは、錬金術師なのですか?

 もしかして、イズナの『原力凋零』を治してくださったのも……あなたなのですか?」

 仮面の奥から、静かな笑いが漏れる。

「礼には及ばん」

 その、肯定とも取れる短い言葉を聞いた瞬間、カルスと――いつの間にか傍らに駆け寄っていた妻セレナは、弾かれたようにその場で深く頭を下げた。

「……ありがとうございます。

 息子を……我が家の希望を救ってくださったこと、何とお礼を申し上げればよいのか……!」

 背後では、《ブラックバイパー》の傭兵たちが目を見開いたまま、硬直していた。

 錬金術師――それは、どれほどの金や権力を積んでも、そう容易には雇えない、雲の上の存在である。

 そんな存在が、なぜ没落したアークライト家に現れたのか。

「この御恩……一生をかけても、返しきれぬでしょう……」

 震える声でカルスが尋ねるが、仮面のイズナはその言葉を遮るように、ひらりと手を振った。

「ワシは令息と縁がある。それだけのことじゃ。

 ……その薬は、使うも売るも、おぬしらの自由じゃ」

 そう言い残し、仮面のイズナは悠然と背を向け、玄関へと歩き出す。

「お、お待ちください!

 せめて、お名前だけでもお聞かせ願えませんか……!」

 切実な呼びかけに、仮面のイズナは足を止めた。

 だが、振り返ることはない。

「……アウレじゃ。時が来れば、また会うことになる」

 その澄んだ声を残し、黒いローブの影は、風に溶けるように屋敷から消えていった。

 屋敷に残されたカルスたちは、しばらくの間、夢でも見ていたかのように呆然と立ち尽くしていた。

「錬金術師……アウレ様……」

 カルスは、手の中の小瓶を強く握りしめる。

 これまでの絶望が、たった一人の出現によって、音を立てて覆されていく――そんな予感が、確かにあった。


 ――アークライト家に、正体不明の凄腕錬金術師がついた。

 その噂は、北境の冷たい風に乗って、瞬く間に広まった。

 財務大臣の報復を恐れ、これまでアークライト家と距離を置いていた有力者や傭兵たちの反応は、そこから一変する。

 錬金術師という存在は、戦場に立つ戦力ではない。

 だが、その身分が持つ影響力は、戦局そのものを左右するほど絶大だ。

 イズナの狙いは――

 最初から、そこにあった。


 午後の柔らかな日差しが降り注ぐ中、イズナは庭で軽く体を動かしていた。

 そのとき、エリーゼの声が背後からかかる。

「ねえ、お兄様。……本当は、あのお面の人、お兄様なんでしょ?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ