13 波乱の種
静かだが重みのある声が、騒がしい広場を冷やした。
現れたのは、従者の服を纏った男だった。しかし、その身に宿す原力は、クロードのような小物とはまるで別物だった。鍛え抜かれた刃のように鋭い。
イズナは荒い息を整えながら、その男を睨みつける。
「バ、バルド……! 助かった、よくやったぞ!」
地面に尻もちをついたまま、クロードが声を上げた。
腰を抜かし、見るも無惨な有様である。
どうやら、今しがた割り込んできた男こそが、新領主となるヴィミリアン男爵が息子の護衛として付けていた――“本物”の護衛らしい。
しかし男――バルドは、震えるクロードには一瞥すらくれなかった。
ただまっすぐに、イズナだけを見据えている。
「属性原力。そして、レベル17で見事なスキルの制御……さすがは覚醒の儀でトップに立った天才といったところか」
バルドが半歩、前へ出る。
その瞬間、広場の空気が一変した。目に見えぬ重圧が、幾倍にもなってイズナの身体へとのしかかる。
先ほどのクロードとは比べものにならない。
――確実に、レベル30を超えた「上位」の強者だった。
「主であるヴィミリアン家に刃を向けるというのなら――私としても、見過ごすわけにはいかんな」
イズナは奥歯を噛み締めた。
(……まずい。こいつは、クロードとは次元が違う)
消耗した身体に鞭を打ち、原力を練り直す。
アウレは、イズナの胸の奥に走った動揺を感じ取ったのか、静かな声で脳裏に囁いた。
(……案ずるな。もう少しじゃ)
(もう少しとは?)
だが、アウレはそれ以上、何も語らなかった。
「バルド! 何をしている、早くそのクソガキを殺せ!!」
背後から、クロードの怒鳴り声が響く。半ば狂気じみた叫びだった。
しかし、その命令を受けたはずの男――バルドは動かなかった。
主のほうを振り向きもせず、ただ遠い一点をじっと見つめている。
やがて、ひとつ深く息を吐き。
そして、静かに告げた。
「……撤退するぞ」
「な、何を言っているんだ! いいから早くこいつを――」
「カルス元男爵が、戻ってきている」
「な……っ、何だと!?」
その名を聞いた瞬間、クロードの顔から血の気が引いた。
“北境最強”と謳われた男、カルス・アークライト。
もし本当に帰還しているのなら、今の戦力で逆らうなど自殺行為に等しい。
クロードは悔しさに顔を歪めながら、震える手でイズナを指さした。
「……覚えていろ!
父上が軍勢を率いて到着すれば、今日の仕打ち――
貴様らに百倍にして返してやるからな……!」
捨て台詞だけを残し、クロードたちは逃げるようにして広場を後にした。
張り詰めていた空気が、ふっと緩む。
イズナは大きく息を吐き出した。
足元に散らばった氷の破片が、冬の日差しを受けて静かにきらめいていた。
しばらくして、地を揺らすような蹄音が近づいてきた。
カルス元男爵が馬を駆り、背後に小隊を従えて雪煙を巻き上げながら姿を現したのだ。
カルスの馬は迷うことなく屋敷の前へと駆け抜けた。
彼は跳ねるように鞍から飛び降りると、家族の姿を目にして大きく息を吐く。そこには、傷一つない妻と子どもたちが立っていた。
「……無事だったか」
胸を撫で下ろしたのも束の間、カルスの視線がイズナで止まった。
次いで、その瞳が大きく見開かれる。
「イズナ……お前、その原力……戻ったのか?」
激闘の直後で、今のイズナの原力は薄らいでいる。
しかし、鋭い感覚を持つカルスには、息子の体から立ち上る確かな原力の脈動がはっきりと感じ取れた。
「はい。……おかえりなさい、父様」
イズナが静かに、だが迷いのない声で応えると、カルスはしばし言葉を失い、それからゆっくりとうなずいた。
「ああ……ただいま」
周囲の惨状に目を走らせる。砕けた石壁、折れた剣、そして雪面に散らばる氷の破片――。
家族を守り抜いた息子の成したことを物語る光景だった。
カルスは重い声で言った。
「……まずは中に入ろう。ここで何があったのか、すべて聞かせてくれ」
屋敷の会議室。
重苦しい沈黙を破ったのは、カルスと共に現れた一人の男だった。
「バルド……。まさか、あの“独狼のバルド”か?」
イズナの説明を聞き終えた中年の男が、確かめるように低く呟く。
カルスもまた眉間に深い皺を刻み、隣に座るその男へと視線を向けた。
「黒鱗、知っているのか?」
黒鱗と呼ばれた男は、腕を組んだまま重々しく頷く。
「ああ。奴は俺たちと同じ傭兵だ。主な根城は王都近郊のはずだな。
レベル30の壁を突破して『上位』に入ったという噂を耳にしていたが……どうやら本当だったようだ」
「レベル30……『上位』か」
カルスの表情がわずかに曇る。
『上位』であることの意味を、カルスは誰よりも知っている。
いくら才能や経験を積んでも、レベル29の『正位』が、レベル30の『上位』に勝つことはまずない。
たった1の差。
だが、その隔たりは決定的だった。
原力を操れる“量”が、もはや比較にならないほど違うのだ。
ふと思い出したように、カルスはイズナの方へ向き直った。
「紹介が遅れたな、イズナ。こちらは黒鱗団長。傭兵団を率いている」
「はっはっは、堅苦しい挨拶は抜きだ」
黒鱗は大きく笑い、親しげにイズナを見つめる。
「君の父親とは長い付き合いでね。昔、北境の山脈でA級魔獣を狩っていた時、カルスに命を拾われたことがあるんだよ」
「初めまして、黒鱗団長。父を助けてくださって、ありがとうございます」
イズナはきちんと椅子から立ち上がり、深く頭を下げた。
その丁寧で落ち着いた仕草に、黒鱗は感心したように目を細める。
「礼儀正しいな。さすがはカルスの息子ってところか。
それにしても――」
彼は、テーブル越しにイズナを値踏みするように見つめた。
「レベル17で、レベル19を正面から叩き伏せた、か。
……なかなかのものだ」
「……たまたま、運が良かっただけです」
イズナが控えめに答えると、黒鱗の口元に不敵な笑みが浮かんだ。
「謙遜は嫌いじゃない。だが、実力を矮小化しすぎるのもよくないな」
男の声色が、ふっと低くなる。
「――君を見て、少し“希望”が湧いてきた」
「……希望?」
イズナが怪訝そうに訊き返す。
黒鱗は椅子の背にもたれ、一瞬だけ天井を仰ぐと――
ゆっくりと口元を歪めた。
「“あの一件”だよ」
カルスが、わずかに目を伏せる。
その変化を見逃さず、イズナの胸に小さな不安が広がった。
「……“一件”とは?」
視線を戻した黒鱗は、少年をまっすぐ射抜く。
そして、ためらいなく言い放った。
「――なあ。もう一度、“貴族”に戻りたくはないか?」




