終わり
女の人って、結局、男の人から大切にされたいんだよね。片思いで終わったけど、主人公は医者から大切にされ、ていねいに話を聞いてもらえて、心が回復したし、心が満足したから夜の街をさまようこともなくなったんだよ。
「今、彼女が来ているんだ」
と、困った表情をして医者は言った。顔のいい男というものは困った顔をしてもイケている。クリスマスの晩にそんな彼に会いに来る女性はきっととんでもない美人なのでしょう。わたしはとてつもない敗北感を覚えた。
「間が悪くてすいませんでした」
蚊が鳴くように謝ると、わたしは医者のマンションを背にした。
雪の降るクリスマスに、わたしは世界でたったの一人きりだった。冷静になって、医者が裸になったわたしを抱かなかった理由を考えた。未成年で未熟だから魅力を感じないというのも確かにあっただろうが、本当の理由は別に好きな女がいたからだったのだ。多くの行きずりの男がわたしの体を求め、笑ってしまうくらい同じ表情でわたしの乳房をなめたというのに、本当に愛している男から、わたしはまるで受け入れられなかった。世界中から自分が見放されたという不安と絶望がわたしのこころをやりのように刺した。きっとわたしのこころはどくどくと赤黒い血液を流していたことだろう。
性的逸脱行動を起こす娘の扱いなど、業務上知り尽くすくらい知り尽くしているはずの若い医者でも、やっぱり男の顔に戻って考えてみたら、わたしに対して強い嫌悪感を感じたりするのだろうか。医者と会うまでのわたしは、口悪く表現したら、ただの公衆便所だったのだろう。彼からしたら、やっぱりわたしは汚いバカな女なのだろうか。生きていちゃいけない存在だったのだろうか。
部屋に戻ったわたしは布団に入って静かに泣いた。しばらくすると携帯が鳴った。
「はい、もしもし」
「やあ! キミ? ボクだけど」
「はい、お医者さんですか?」
わたしの様子を心配した医者からだった。
「さっきはせっかくたずねてきてくれたのに、あんな追い返し方をして申し訳なかったね」
「さっきのは、お医者さんの彼女でしょう? 仕方ないですよ」
医者は彼女のことを説明しだした。実はあの彼女は医者が片思いをしている相手であって、付き合っているわけでもなんでもないのだそうだ。彼女は勤務先の病院で知り合った精神科の同い年の女医で、同僚として勤務し、告白したりもしたが、「あなたのような弱い男とは付き合うつもりがない」と言って断られたのだそうだ。
そんな風に、わたしを安心させてどうするつもりなんですか? と聞いてみたい気持ちを押さえ込んで、彼の話をそっと聞いていた。
「どちらにしろ、わたしは先生を諦めなくてはならないの」
涙声でそう訴えると、彼はすぐさま否定した。
「頼むから、ボクのそばに居て欲しいんだ。ボクには自分と同じ痛みを知っている人間が、どうしても必要なんだよ」
「無理よ・・・・・・・・・・」
白い沈黙が電話の向こうがわに広がった。
そんなの無理よ。まるで都合のいい話だわ。自分が片思いをして苦しいから、自分に片思いをしている女の子をそばにおいて置きたいだなんて、ほんとうに勝手な話だわ。そう感じ取りながらも、わたしはわたしでまた、自分の気持ちをなんともする方法を見出せないままでいた。
数日後、携帯にメールが届いた。医者からだった。
-ボクの方がキミに見放された気分だよ。キミに無理だって言われた後、ボクの頭の中は真っ白になったんだ-
そんなメールを受取っても、子供のわたしにはどうにもすることができなかった。返事もせずにほっておくと、医者から何度も電話がかかってきた。
「ボクと、いままでと同じような付き合い方をするかしないか、どっちか決断して欲しいんだ」
わたしは、即答でNOと答えた。本心はその逆だった。わたしは医者と恋人として付き合いたかった。しかし、医者は同じ傷を知るもの同士としてわたしと付き合いたかったのだ。わたしは自分が傷つくことだけは避けたいと思った。そしてわたしは逃げるという選択肢をとった。
それから、数ヶ月が経った。わたしは医者のおかげで、なんとか精神的にも立ちなおったといえるところまで回復した。見知らぬ男を求めてネットにアクセスすることも夜の街を出歩くこともなくなった。今となっては何故あの頃の自分が、だれかれかまわずセックスしたのか不思議でならなかった。医者を恋しくなったわたしはひさしぶりに彼のマンションをたずねた。チャイムを鳴らしてもドアをノックしても「すいませーーん」と声をかけても、何の返事もなかった。どうしても医者に会ってお礼が言いたかったわたしは、マンションの前を通るたびに立ち寄ってチャイムを鳴らしドアを叩いた。
ある日、医者と同じくらいの落ち着いた年恰好の女性が彼のマンションを訪ねていた。
「あ・・・・」
この女がクリスマスの日の彼女なんだわ。直感でそう思ったわたしは、彼女の顔をまじまじと見つめた。
「あなたね。彼がいつも話していた十八歳のかわいらしい大学生って。もう具合は大丈夫なの?」
医者が自分の好きな女にわたしのことをそんな風に話していたなんて意外だった。
「はい、彼のおかげでなんとか元気に回復しました。今日はそのお礼を言いに来たのですが・・・・」
「彼ね、今、病院に入院しているの。そして、担当はわたしってことになっているの」
彼女の専門が精神科医だということは聞かされていた。ということは、彼は精神科に入院しているのだろ。
「あなたが訪ねてきたことは、彼にきちんと伝えておくから、安心してまかせてちょうだいね」
彼女はやさしく笑うと、彼のマンションを背にした。
8
それから、十年の月日が経った。あれからそれほど多くもない数の男と付き合い、結婚の話も出たが、あの時のように魂が結びつきあうような感触をえる出会いは一度たりともなかった。いつも頭のなかには薄いフィルターがかかっていて、うまく作動しない感情の中で男と恋に落ち、『結婚』という言葉が相手の口から出てくると、何故か急に熱が冷めた。 もともと燃え上がるほどの恋というわけでもなかったので、その冷め方も大きかった。
医者は、幼児虐待の後遺症を分かち合える人間として、わたしを求めているに過ぎなかった。女としてのわたしは男としての医者をあんなにも狂おしく求めていたというのに、一度たりともその願いが叶うことはなかった。大人になった今になって考えてみれば、医者は冷たかったのだというよりもやさしかったのだと思う。あの時に、無防備なこころのままのわたしを抱いてしまったら、きっと彼はわたしを傷つけることしかできなかっただろう。医者はそうなることをわかっていて避けていたのだ。
十八歳だった頃、寂しさを埋め合わせる為だけに一日に何人もの男とセックスをしたが、今となっては同じ行為が子供を残す為だけの儀式のように思えるようになってきた。そんな事に依存しなくてもわたしは心を自分自身で満たすことができるようになったし、それは医者がもたらしてくれた薬効だったに違いない。
自分がどうして変われたのかはわからない。しかし、あの時のほんの数ヶ月の医者と過ごした時間が、わたしの人生を変えたことだけは確かだった。客観的に見て自分が変わったかどうかもわからないが、少なくとも自分の中では医者との出会いをさかいに他人に求めなくても自分を安定させることができるようになった。
あの頃のわたしにとって医者は万能の神のはずだった。十八歳のわたしにとって三十二歳の男は何でもできる完璧な人間だった。しかし、あの頃不安定だったわたしよりも、実際は医者の方がもっとずっと救いを求めていたのだ。わたしは、生きたくて、彼にすがりつくだけだったのに、すがりついていた相手こそが、自分よりももっともっと救いを求めていたのだった。
あれから、医者は何度も何度も精神病院へ入院したと、女医から聞いた。そして、その後、女医と結婚した。彼にとって、彼女と結婚するのが一番よかったのだと、わたしは自分に言い聞かせた。
彼が居なくなってしまってから、わたしのこころは宙に浮いて一人きりになってしまった。そして、言い寄ってきた男にだけ、ほんのすこしこころのドアを開け、そして結婚の文字を聞くまでの間、寄り添うことを繰り返していたのだった。同じ事を何度も何度も繰り返すだけで、その未来にはやっぱり幸せなど存在しないかのように思えた。
もう、あんなにも狂おしく、男の人を愛することはないのかもしれないそう思うと悲しみが音をたてた。
医者と出会ってから、なぜか不思議と世間と自分の歯車が再び音を鳴らしてうまく作動するようになった。わたしは、大学構内で新たに別な友達をつくり、留年せずに卒業した。いまとなっては、あの頃の自分にとってどうして生きることがあんなにも痛かったのか、わからないままでいる。
終
愛着に問題のある女の子は、自分の感情がわからなかったりする。主人公はなんだかわからないけどとても不快な感じに”さみしい”っていう気持ちの言葉ををラベリングされ、自分の寂しさを受け止めました。そして自分で自分を許す作業を行うことができたのです。




