異常
「アル。いいか、よく聞け。俺が合図したら帝都に向かって走れ。帝都についたらギルドで救援依頼を出すんだ」
魔物から目を離さずにジリジリと後退しながらドレークさんが言った。
「えっ? ドレークさんは?」
「ここで足止めする」
現在地から帝都までの距離はそれなりにある。
僕が全力で走ったところで最短ルートでも小一時間はかかってしまうだろう。
それから依頼を出してすぐに駆けつけてもらったとしても更に数時間を要するかもしれない。
それまで耐えられるのだろうか。
「煙玉があります。それで一緒に……!」
「無駄だ。こいつ、普通のワイルドボアよりも勘が良い。視界を奪ったところで臭いで追われる」
先程からドレークさんは相手になにかしようと動いてはそれを辞めてを繰り返している。
自身の動きに気づかれたと判断したのだろう。
確かに反応が良すぎるように思う。
「でも……!」
「でもも、へったくれもねえ! 絶対に行くんだ!」
視界の先でワイルドボアが前足を大きく振り上げた。突進の予備動作だ。
まるで僕たちの小細工など通用しないと示すようだ。
「今だ! 行け‼」
狙いを定めて突進動作に入れば、止まるまで急に向きを変えることはできない。
帝都に逃げるなら今しかない。
すぐに追いつかれてしまう可能性が高いが、うまく逃げ果せられる僅かな可能性にかけて僕は踏み出した。
無力さと申し訳なさが足を鈍らせるが、それでも前へと地面を蹴る。
「――は?」
――のだが、後ろから聞こえた間の抜けた声に僕は思わず振り返ってしまった。
先程までワイルドボアがいた場所で、倒す術のなかったそれが力なく地に臥せっていた。
その頭には一本の槍と赤髪の女の姿があった。
「随分と硬いやつだねえ……。貫通させるつもりだったのに、鼻にも届いていないんじゃないかい?」
女は槍を引き抜き、ワイルドボアから飛び降りた。
「何でお前がここにいるっ⁉ リーゼ!」
そこにいたのはこの国で唯一のSランク冒険者であるリーゼさんだった。――紛れもなく僕の探し人だ。
「何でって言われてもねえ……」
「たまたま通りかかったってわけでもねえだろ」
文句を言いながらもドレークさんはワイルドボアの状態を確認している。
仕留め損なっていて、後で暴れられると危ないからだ。
「ああ、それならガリオンに頼まれてだよ。それにしても随分なデカブツだねえ」
やれやれと首を振りながら、リーゼさんは倒したそれを見上げる。
それだけでこのワイルドボアがどれほど大きいのかがよく分かる。
「爪だけでも持ち帰ろうにもこうも硬いと剥ぐことすらできねえ。なんか手はねえか?」
依頼の達成報告には何かしらの証拠が必要だ。
収集系の依頼であれば依頼品を納品すれば良いのだが、討伐系は討伐対象がその証拠扱いになる。
状況によっては体の一部でも認められるが、原則本体を持ち帰ることになっている。
例外として一部だけでも良いと認められているのは、運ぶのが困難である場合と、近づくことが危険である場合だったはずだ。
今回の対象は例外として認めてもらえるだろう。
ドレークさんはリーゼさんに訊ねながらも、なんとか切り出せないかと戦斧であちらこちらを切りつけている。
僕も当然手当たり次第に剣で試している。
――が、やはり傷をつけることすらできない。一体どうなっているんだろう……。
「あるにはあるけど……」
リーゼさんはそう口にしながら、鈍く輝く白亜の剣をどこからともなく取り出して素振りするかのように軽く一閃した。
程なくしてまるで溶かしながら切られたかのようにワイルドボアの頭がきれいにずれ落ちた。
ドスンッと重々しい音が響いた。
「はぁ⁉」
「え?」
そう叫びたくなる気持ちはわかる。
あれほど歯が立たなかった相手が、いともたやすく切断されてしまったのだから。
もちろん死後柔らかくなったわけではない。
今だって僕の剣もドレークさんの戦斧も全く刃が入らない。
「いつものことだが……意味わからん」
ドレークさんはその場にしゃがみこんでしまった。
疲れたからではないことだけは確かだ。
「あははっ。まあ、武器の性能の問題だからねえ。それよりも、これはこのまま回収するよ。ジェイたちの達成報告は一緒に処理されるから先にギルドに戻ってなよ」
「ジェイじゃねえ! ドレークだ‼ って回収って――」
リーゼさんは腰につけているポーチからおよそポーチには入り切るはずのないサイズの分厚い本を取り出した。
どうやらポーチはマジックバッグのようだ。
先ほどの剣もあれから取り出したのかもしれない。
取り出した本を開くと、勝手にパラパラとページがめくれていく。
やがてそれも止まると本が淡く輝きだし、その輝きがワイルドボアの死体を包む。
そして光が収束するとともにワイルドボアの姿は血の一滴残らず消えていた。
「アーティファクトの一種だね」
いつの間にか戻ってきていたゼインさんが僕の隣で呟いた。
アーティファクトとは、たまに遺跡で見つかる特殊な道具だ。
現代の技術では再現不可能なものがアーティファクトとして認定され、高値で取引される。
それ目当てで冒険者になる者も多いのだが――今はそこが問題ではない。
「あの、アーティファクトって、一人でいくつも持てるものなんですか?」
マジックバッグもアーティファクトの一種だ。
高値で取引されるようなものをいくつも持てるなんて想像したこともなかった。
「ああ、自分で見つけたものなら、売るかそのまま所持するかは決められるから可能といえば可能だね」
そもそも遺跡は冒険者ギルドと皇室の許可がないと入ることができない。
そして入る条件はたいてい依頼によるものだが、そんな依頼は数年に一度程度の頻度だと聞く。
それに、今発見されている遺跡はほぼ調べ尽くされて何も見つからないとも言われているのだが……。
「終わりっと。じゃあ私はこれ持ってギルド本部行くから」
本をパタリと閉じたリーゼさんはそう言って本をポーチにしまった。
「別にアーティファクトを使ってまで全部持ち帰る必要なんかねえだろ」
「それがそうも言えないんだよ。これだけ異常だらけだと色々調べる必要があるしね。ということで、これはギルド経由で研究所預かりになるだろうね」
研究所は国直轄の研究機関だ。
研究内容は生態系の調査から新薬開発までと様々だ。
アーティファクトの鑑定も担っており、とりあえずよく分からないものは研究所、と言われるぐらい手広く扱っている巨大組織でもある。
今回対峙したワイルドボアも、その異常性から研究所で調査を行うべきという判断なのだろう。
――調査可能かどうかはさておき。
やることを終えたリーゼさんは、状況を飲み込めていない僕たちのことを気に留めることなく手をひらひらと振って去っていった。




