vs. ワイルドボア……?
僕は一人丘の上に立っている。
武器である剣はゼインさんに預けてある。その彼は今、少し離れた雑木林の中だ。
その他の装備品はなんとか手持ちのローブで隠すことができた。
ドレークさんは目標に見つからないように、背の高い草が多いところで隠れている。
おそらく、僕が合図すればあまり時間をかけずに駆けつけられる距離だと思う。
そっと深呼吸をして、意識を気配察知にすべて向ける。
気配察知はスキルの一つだが、その効果は使用者の意識に左右される。
スキルを使っていても注意散漫であれば視界に入るまで気づかないということもある。
逆に熟練者になれば集中しなくても遥か遠くでも気配を追うことができるそうだ。
習得自体は簡単で実用的ではあるものの、その後の習熟についてはなかなかにセンスが必要なことで有名なスキルだ。
かくいう僕はまだまだスキルを使いこなせていない。
こうやって精神統一をして、しっかり意識しなければ魔物は愚か、人ですら気配を察知することができない。
範囲もそれほど広くない。
「…………」
風で切り揃えた黒髪がなびく。
草木の葉が風に揺れてさざめく。
そんなささやかな音に僕の息を溶け込ませた。
意識も僕の体から離れ、草原に溶け込んでいく――。
「…………! 来た!」
僕の意識が少し離れた場所に動く何かを捉えた。
そちらへ振り向けば、茶色い体の魔物が駆けているのが見えた――のだが、どうにも思っていたものとは違った。
ワイルドボアは、家畜のイノシシに似ている。
その違いは攻撃的か否か、その体に魔力を帯びているか否かというものがある。
もちろん、攻撃的な方がワイルドボアであり、魔力を帯びているのもワイルドボアだ。
そんなワイルドボアは雑魚魔物としても一般的で、訓練所ではその討伐方法を一般教練として指導項目に入れている。
つまるところ、訓練所の卒業生は総じてワイルドボアを倒す手段を知っているのだ。
もちろんその見た目についてもよく知っている。
何なら実物で実践したことだってある。
故に僕は首をかしげてしまった。
明らかにその大きさが、僕の知っているそれではなかったのだから。
小さいのであれば、成体ではなく子供なのかもしれない。
だが、僕の目に映るそれは明らかに大きすぎた。
少し肥え過ぎたどころではない。
僕の知るそれの倍以上はある。
「横に跳べぇっ‼」
遠くからドレークさんの怒声が響いた。
僕はそれに驚いて反射的に横っ跳びをした。
その真横を巨大すぎるワイルドボアが駆け抜けた。
――ちょうど先程まで僕がいたところを、だ。
冷や汗が止まらない。
ドレークさんに言われなければ、僕は今頃挽肉になっていただろう。
それほどの威力と速さを持った突進だった。
僕が突然のことに硬直している間に、ドレークさんがワイルドボアに向かって戦斧を振り上げていた。
ワイルドボアは反転するために前足を大きく振り上げていて隙が大きい。
狙いを間違えなければ確実に当てられる状況だ。
「くっ……!」
しかし、戦斧は方向転換を終えたワイルドボアにあっさりと押し返されてしまった。
おそらく通常のワイルドボアよりも機動力が高いのだろう。
先程の突進スピードも納得だ。
そんな中、僕の目の前に剣が突き刺さった。
ゼインさんが投擲してくれたのだ。
そして、僕がその剣を引き抜いている間に、ヒュンと甲高い音と、金属同士がぶつかり合うような音がした。
その音につられて振り返れば一本の矢が地面に落ちていた。
先端があらぬ形でめり込んでいる。
「ゼイン! 手を抜いてんじゃねえ‼」
「今の一番硬い弓使ったって!」
ゼインさんは未だ雑木林の中だ。
普段の話し方からは信じられないほど声を張っているようだ。
ゼインさんは弓をメインに使う。
スキルも弓向けのものが多いらしく、特に貫通に関したものは一通り揃っているそうだ。
そんなゼインさんが放った矢がひしゃげて落ちている。
一体何が起こったのだろうか。
「あぁ! もう!」
もう一度甲高い音が聞こえた。
そして程なくして同じく金属同士がぶつかり合うような音がした。
そして目に映ったのは、ワイルドボアに突き刺さるはずの鏃が丸根に突き刺さっていく瞬間だった。
「嘘だろ……」
先程は怒ったものの、やはり信頼しているのだろう。
二度目の失敗にドレークさんが愕然としていた。
貫通特化のベテラン冒険者が放った矢が弾かれたのだ。
仕方のない反応だ。
しかし、困ったことになった。
貫通特化であるにも関わらず弾かれてしまうともなると、僕の剣はおろかドレークさんの戦斧でも傷つけられるかどうか怪しい。
そうなると今の僕たちで討伐対象を討伐する手段がないということになってしまう。
依頼は基本、最初に受領した人もしくはパーティのみしか参加できないようになっている。
依頼書自体が受付で回収されてしまうからだ。
つまり、あとから別の冒険者がやってくることはない。
あるとすれば、誰かが救援を依頼した場合ぐらいなのだが――
「くそっ。ゼイン! 撤退だ! っつっても、こいつが逃してくれる気がしねえが」
弾かれてしまうともなれば、ゼインさんに援護してもらって撤退するという手が使えない。
自力で逃げるしかないのだが、機動力の高さから人の足であれから逃げるのも無理なように思えた。
先程からワイルドボアの突進が続いている。
今はかろうじて避けられているが、このまま続けていればいずれ体力が尽きて致命傷を負うことになりそうだ。
ワイルドボアと冒険者の体力勝負。
試すまでもなくワイルドボアに軍配が上がるだろう。
近くを通りかかった人はいない。
僕たち以外この依頼を受ける人もいない。
この場から逃げる手段も、目標を倒す手段もない。
完全な手詰まりだ。
どうにかしようにも有効打が思いつかず、焦りばかりが募る。
無意識に腰のポーチに手が伸びていた。
中身の殆どは怪我をしたときの応急処置に使うものだが、退却に使う道具も――なくはない。
あるのは煙玉一つだ。
効果は小範囲に煙幕を張るもので、視界に頼るタイプの魔物には隙を作るだけの効果はあるが、仮に匂いで相手を識別するタイプの魔物であればほぼ意味をなさない。
多少混乱させることはできるかもしれないが、それも一瞬のことだろう。
その間に撤退できるとは思えない。




