宿敵
生まれ故郷であるロヒカルメ村を出発して、一番近い街で馬車に乗った。
このまま順調に進めば、殿下の指定した期日まで余裕を持って帝都にたどり着くことができるだろう。
それまでは行きと同じく薬学研究など、移動しながらでもできる試練を進めるのみだ。
「いやあ、助かりますよ。昨日も結構大きな魔物が街道に出たとかで護衛なしじゃ不安だったので」
気さくにそう話したのは、馬車の御者だ。
彼が言った通り、街では街道で出た魔物の話でもちきりだった。
そのため街から出ている定期の馬車はすべて運休になってしまい、偶然急ぎの用があるらしい御者の護衛を引き受ける代わりに乗せてもらっているという次第だ。
魔物の情報は冒険者ギルドでもあまりなく、とりあえず大きい、ということぐらいしかわかっていない。
今のところ人的被害は出ていないようなので、出くわさないことを祈るばかりだ。
「いえ、僕も急いでいたので。一応気配察知の範囲を広げていますけど、念のためすぐに止まれる速さでお願いします」
「もちろんですよ。止まれずに魔物に突っ込むなんてごめんですからね」
「ははは。それもそうですね」
見上げれば雲ひとつない青空が広がっている。
このまま何も起こらないよう祈りながらも気を引き締め直した。
昼を過ぎ、あと少しで中継地である街に着く頃になって気配察知にいくつかの反応が現れた。
どうやら魔物ではなく人のようなのでほっと胸をなでおろした。
しかし進行方向からしてこちらに向かって進んでいるようなのだが、この時間に徒歩でというのは少し妙だ。
徒歩で隣町まで向かうには遅い時間だ。おそらく夜もだいぶ更けた頃に着くのではないだろか。
少しずつ近づくにつれて話し声が聞こえてきた。
周りに人がいないのでだいぶ声を張り上げているようだ。
「なんでこの俺様が、歩きで護衛なんかしなくちゃならないんだよぉ! ったく、いつの間にか冒険者登録も消されちまってるし、どこもまともに取り合わねえ。くそっ! なんで野良の傭兵なんざやらなきゃなんねえんだ」
「そうおっしゃらず……。お陰でこうして護衛していただけて感謝しておりますとも」
「へっ! 報酬はもちろん用意できてるんだよなぁ⁉」
「もちろんですとも。街まで無事にたどり着けたらしっかりお支払いいたします」
そんな会話に思わず乾いた笑いが漏れた。
なんというか……あの傭兵は本当に大丈夫なんだろうか。色んな意味で。
肉眼でそんな彼らの人相が確認できる距離になって、僕は無意識に身を隠した。
見えたのは、一人は背が低い小太りの男で、大きめのバックパックを背負っていた。
そしてもう一人は痩せぎすの男。
忘れもしない。僕が冒険者登録をした際に絡んできたあの男だ。
「おや? どうなさったので?」
僕の動きを不審に思ったのか、御者が訊ねた。
彼には素知らぬ顔でそのまま進んでほしいと伝えた。
僕は息をひそめることに全力を注ぐのみだ。
そして、僕の乗る馬車と男たちの距離は近づき……何事もなくすれ違った。
痩せぎすの男がちらりと馬車を見たが、それ以上のことはせずにそのまま進んでいってくれたので大丈夫そうだ。
「はあ……」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です。以前ちょっと一悶着がありまして」
「そうですか……。……おや、街が見えてきましたね。向こうでも聞きましたが、本当に報酬はなくて大丈夫なんですか?」
「はい。馬車代をまけてもらいましたし」
「定期の馬車より粗末な荷馬車なんで、お代はいただけませんよ」
そんな他愛のない会話をしながら、街の入口までたどり着いた。
そしてそんなタイミングで強い反応が気配察知に引っかかった。
場所は来た道を戻って少しのところだ。
振り返って目を凝らせば、巨大な何かが平原を横切って街道に突っ込もうとしていた。
その先には人影がある。あれは間違いなく先程の男たちだ。
「え、ちょっと旦那ぁ!」
御者が呼び止めたのも意に介さず、僕は馬車を飛び降りた。
「僕のことは気にせず街に行ってください!」
距離はあるものの万が一ということもありえる。
僕が戻るのを外壁の外で待たせるのは良くない。
逸る気持ちを抑えて御者に声をかけて、街道を走る。
反応からしてかなり強い魔物だろう。
今までの経験上Bランク以上はある。
そして襲われているであろう男たち──の傭兵は冒険者だった頃のランクはD。
太刀打ちできるはずがない。
痩せぎすの男のことはあまり良く思っていないが、こうして目撃してしまって放置できるほど悪感情を持っているわけでもない。
「──あれは……」
近づくにつれて魔物の姿がはっきりしたものになる。
巨大なそれは、イノシシに似た姿をしている。
真っ黒な体躯に異常な大きさ。紛うことなき変異種のワイルドボアだ。
こちらはもう宿敵と言っても良いかもしれない。
初めての依頼で戦ったワイルドボアよりも遥かに大きく、周りに撒き散らしている魔力の余波も圧倒的に強い。
同じ変異種とはいえ、以前の敵とは別物レベルの強さはありそうだ。
対して今の僕もあの頃から身体的にも技術的にも成長しているはずだ。
勝てるかどうか、までは分からないが、瞬殺されるようなことはないと思いたい。
痩せぎすの男とワイルドボアが会敵したのが見えた。
痩せぎすの男は持っていた剣を構えたが、動きを追えていないのか攻撃できずにいる。
そんな痩せぎすの男はそっちのけで、依頼主と思われる小太りの男は既に離れた場所まで逃げていた。
魔物まであと少しというところで、突進前の動作が見えた。
対して痩せぎすの男はそれを真っ向から受けるつもりなのか、動く気配がない。
「ああ、もう!」
そんな自殺行為のような行動を見過ごせるわけもなく、僕は走る速さを上げて痩せぎすの男に突進した。
当然攻撃する意図はなく、それぐらいの勢いじゃないと間に合わないと判断したからだ。
そのまま勢いを殺すことなく痩せぎすの男に突っ込み、担ぎ上げるようにして遠くに投げ飛ばした。
雑だと罵られても緊急事態なのだから仕方がない。
丁寧に扱われたければ、自力でなんとかできるぐらい強くなって欲しいものだ。
「てんめぇ、何しやがる! ぶっ殺されてえのか⁉」
予想通りの反応に少し安心した。
これだけ元気であれば、この場から逃げることは可能だろう。
「依頼人は逃げたから早く行け!」
魔物に向き合ったままそう叫べば、痩せぎすの男は今頃気づいたのか、舌打ちして最早点ほどに小さくなった依頼人を追いかけた。
妙な対抗心で邪魔されるようなことにならなくてよかったと思うべきか、周りの状況に気づけないことを愚かと思うべきか。
痩せぎすの男がある程度離れたことを確認して、魔物に改めて向き合う。
魔物は律儀に僕の準備が整うのを待ってくれていたわけではなく、僕の動きを見定めていただけのようだ。
先程から前足を何度も上げては下げを繰り返していた。
驚くべきことに、街からここまでかなりの距離を走ったにも関わらず息が上がっていない。
体力面での消耗がないのはありがたい。
三年前であれば、この距離を走るだけでも戦闘に響いていたはずだ。
それもこれもこれまでの訓練と鍛錬の賜物だろう。
「……………………」
大きさは雷鳥カルラと同じぐらい、知能は僕の知るワイルドボアよりも圧倒的に高いのは言うまでもないだろう。
そしてこの巨体での突進は防御不可と見るべきか。
幸い先程の男たちは近くにおらず、僕自身も守るべきものがない。
大人しく撤退といきたいのだが、こうも様子見されているとなると追撃される恐れがある。
下手に街に逃げ込めば、街に被害が出るかもしれない。
ここは仕留めるしかないだろう。
それに、こんな危なそうな魔物を放置するわけにもいかない。




