レイノール辺境伯家
風生の洞から廃墟とかした街まで戻ってきた頃には、すっかり日は暮れていた。
薄霧が漂う夜空には丸い月がポツリと浮かんでいるのが見える。
いくら結界の影響を受けないとはいえ、夜間の移動は危険だという判断で僕たちは旧レイノール辺境伯領のこの街で一夜明かすことにした。
といっても、まともに使えそうな建物はリーゼさんが用があった建物ぐらいで、他は野ざらしとさして変わらない。
やむなく、渋々といった様子のリーゼさんの案内で建物の中にお邪魔することになったのだった。
「この建物は領主邸だったんだ。あっち側は食堂、向こうに水場がある。二階の客室なら好きな部屋を使うと良い。さっき確認した限りでは使う分には問題ない状態だったから」
妙に詳しい説明の後、リーゼさんは三階に消えていった。
領主邸は三階建てで、玄関ホールは吹き抜けになっている。
ホールから二階に上がるための階段が真正面にあり、そこから左右に分かれるように三階への階段が続いている。
二階に上がってすぐの壁には見上げる程に大きな絵画が飾ってあった。
何年も放置されていたそれはホコリを被っており状態もあまり良くないが、薄っすらと三人の男女が書かれているのが見えた。
一人は厳しい表情の男性で、その隣に華美に着飾った女性、そしてその二人の手前には椅子に座った黄金色の目の少女。
三人とも赤い髪であることが特徴的だ。
家族──領主一家の肖像画だろうか。
屋敷の中はリーゼさんが屋敷中の蝋燭に火を灯してくれたおかげで困ることはない。
探索のために燭台を持ち歩く必要もなく、しばらく使われていなかったとは思えないほどに快適だ。
適当に扉を開け中を確認すればそこは書斎だった。
大きな机と壁一面の本棚があるそこは、積み上げられていたであろう書類が床いっぱいに広がっていた。
とても使えそうにない。
更に別の部屋に入れば、豪奢なテーブルとソファが置かれていた。
部屋の隅に置かれている花瓶には、きっときれいに咲き誇っていたであろう花の残骸が残っていた。
テーブルの上には豪華なティーセットが置かれているのだが、そこから落ちてしまったのか、周りにはいくつか割れたものがそのままとなっていた。
そんな調子でまわった部屋はどれも荒れていると言うには少々異質な状態で、リーゼさんの言っていた使う分には問題ない客室は見つからなかった。
そして、あまり期待せずに二階の左端の部屋の扉をゆっくりと開けた。
その部屋は収集品を飾っていたようで、展示台や壁掛けが多くあった。
中に入れば妙な違和感を覚えた。
それが何なのか分からず、あたりを見回したのだがこれといって変なものは見当たらない。
泊まるのに必要な部屋ではないのだが、どうにも気になるので一歩また一歩と中へ入っていく。
部屋の違和感の原因に気付いたのは、部屋の中ほどまで入り込んでからだった。
床に敷かれている絨毯が奥に行くにつれて変色していたのだ。
窓に近いので日焼けかと思ったのだが、その色がどうにも日焼けには思えない。そして。
「──ひっ……」
奥にある展示台の裏に回り込んで僕は思わず声を上げた。
展示台の裏には二本の剣が突き刺さっており、その剣身には見事なまでに欠けた様子もない白骨がそれぞれ引っかかっていた。
──死体である。それも人の。
「なんでこんなところに……」
場所は二階の一番端にある部屋。
客室でもなく寝室でもなく収集品の保管室というあまり人の訪れなさそうな場所で、並ぶようにして残っているそれはあまりにも不自然だ。
病死でたまたまこの場所だったのであれば、二人分あるのはおかしい。
相手を道連れに自害したのであれば向かい合う形になるはずだ。
しかし剣は同じ方向に突き立っており、遺体も同じ方向を見ている。──何者かに討たれたのが一番可能性が高いだろう。しかしなぜここなのか……。
「こんなところで何やってるんだい?」
しゃがみこんで考え込んでいる間に様子を見に来たらしい。
入り口からリーゼさんが覗いていた。
「──あ、えっと……実は──」
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無駄に大きなテーブルの上には豪華とは言い難い食事が置かれている。
食器は屋敷に残っていたものを磨き、食材は持ち歩いていたものを。
何とも器にはそぐわない質素なものが乗っているだけの粗食だ。
食べ切るにもそれほど時間はかからなかった。
「アルノルト、ここの領主がどうなったか覚えているかい?」
お互いに食べ終わったところでリーゼさんが口を開いた。
「たしか、皇帝に泣きついたけど捕まって処刑されたって話でしたよね?」
「いや処刑はされていないよ。帝国法では処刑するほどの悪事を働いたわけではないからね。しばらく投獄された後、強制労働と教誨を経て、爵位剥奪の上釈放されたんだ」
思わずえ? と声を漏らしてしまった。
強制労働は刑罰の中でも重い方の罰だ。
内容は公にはなっていないが、かなりの重労働が科されると言われている。
それまで贅沢三昧だった者にとってはかなり堪えるものだったことだろう。
しかし、それでもそれまでの流れからして処刑──いわゆる死刑となっていてもおかしくないと思うのだが。
「随分と優しい刑罰にも思えますが……」
「いや、かなりたちの悪い罰だよ。甘い汁だけを吸って生きてきた奴らだ。自らが下賤だとしてきた労働に加えて、教誨、爵位剥奪。屈辱の極みだっただろう。あの二人にしてみれば死よりも辛い、拷問のようなものだったんじゃないかな」
言われてみればそうなのかもしれない。
頂点だと思っていた者たちが突然蔑んでいた者たち未満の扱いを受ければさぞかし屈辱だったことだろう。
「でも、その話と先程の、その……死体とはどんな関係が? 領主邸なので領主のものというのは分からなくもないですが……」
爵位を剥奪されているのだ。釈放後、領地に戻ったとは考えにくい。後任の領主の可能性もある。
「そうだね。普通であれば落ちぶれた貴族の末路なんて取るに足らない話ばかりだ。でも考えてみなよ。あの二人は金の亡者だったんだ。釈放後に取った行動なんて簡単に予想がつくだろう?」
自らの力で稼いだことのない領主は、食うに困って飢え死んだ? 盗みを働いてまた捕まった?
いや、それだとやはり話が繋がらない……。
「……どうなったんですか?」
「自らの資産を取りにここまで戻ったんだよ。爵位を剥奪された際にすべての資産を差し押さえられていることも忘れてね」
「あ……」
何とも間抜けな話だ。
まさか爵位はなくても領主の地位は失っていないとでも思ったのだろうか。
「まあ後は想像だけど、戻ってきた二人を見つけた領民が仇討ちしたとかそんなところだろうね。それぐらい恨まれていたんだよ。レイノール辺境伯家は」
ため息混じりに語ったリーゼさんは呆れ顔だ。
「──そういえば、辺境伯にはご息女がいたんですか? 二階に大きな絵がありましたが……」
先程からリーゼさんはしきりに〝二人〟と言っていた。
もしもあの絵が辺境伯一家の肖像画なのであれば、娘はどうなったのだろうか。
「あー……。まあ、いたけど……行方不明って言われてるね」
何とも歯切れの悪い言い方をした後、カップに口をつけた。
まるで誤魔化しているかのような印象を受ける動きだ。
〝言われてる〟という言い方も違和感がある。
辺境伯がいたのは今よりかれこれ一〇〇年以上も前の話のはずだ。
「……リーゼさん、何か隠しています?」
「まさか。令嬢については、捜索依頼が冒険者ギルドに出されていたってぐらいしか、はっきり分かっていることがないだけだよ。その後どうなったかも噂話一つないし」
「ギルドに依頼の記録は残っていないんですか?」
「──私、ギルド職員じゃなくて一応冒険者なんだけど」
呆れ返ったような声にハッとした。
ギルドに保管されている記録など一介の冒険者が見れるはずがない。
ましてや帝国建国ぐらいの時期の記録など残っているかも怪しいだろう。
そして訊ねればほとんど答えてくれることに慣れていたのかもしれない。
リーゼさんなら何でも知っている、勝手にそう錯覚していた。
「──っ、すみません……」
「分かってくれれば良いよ」
流れるような所作で食器を持ち上げたリーゼさんはそのまま部屋を出ていった。
その後を羽トカゲが「オレ、やっぱり肉が良かったぁ」と言いながら眠そうな仕草でついていく。
一人になったことで、広すぎる食堂が異様に不気味に感じられた。
何が、という明確な理由はなく、ただ漠然と不安を駆り立てられているような、そんな感じだ。
そんな空間から早く脱したくて、僕もそそくさと食堂を出た。




