辺境伯領へ
翌朝早く、僕たちは帝国の北東部、旧レイノール辺境伯領に向けて出発した。
馬車が使えないため道中はすべて徒歩だ。
軽く見積もって一ヶ月はかかる距離なのだが、当然僕たちはその距離を走る。──転移魔法は今回の目的では使用できないとのことだった。
「次の街まで休憩なし、途中で魔物が出たら速やかに討伐。怪我の手当はしないから、自己管理は忘れずに」
言い終わるのと同時に僕たちは走り始めた。
指定の街までは徒歩でおよそ三日。それをぶっ通しで走るのは常人には不可能だ。
少なくても僕は無理だ。なのでこういうときのための体力だけを回復する薬を仕入れてある。多分持ち物の半分はこれなんじゃないかと思う。
残念ながら僕はマジックバッグを持っていないので重たくて仕方ないのだが、背に腹は代えられない。
必死に走ること一〇時間以上。なんとか日暮れとともに街にたどり着いた。
それまでに消費した回復薬は一本。なかなか順調だ。
しかし既に息も絶え絶えで、門をくぐると同時にその場に座り込む始末だ。
対してリーゼさんは僕の後をついてきながらも息一つ乱れていない。一体どんな化け物じみた体力の持ち主なのだろうか。
「今日はここの宿で泊まって、明朝日の出とともに次に向かうよ。必要なものがあれば今のうちに用意しておきなよ」
その場から動けない僕をよそにリーゼさんは人混みの中に消えていった。
夜は休ませてもらえるのはありがたいけど、もう少し気を使ってほしいんですけど──!
このような展開はこの後も続き、本来の目的地まで実に十回繰り返されることになった。
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「さて、アルノルト。明日、目的地に着く予定だけど、軽くレイノール辺境伯領について確認しておこうか。まずは、現状はどうなっている?」
「えっと、辺境伯領全域が樹海になっているんですよね? 入ったら出られない、目印も無くなってしまうとか。遺跡としてのランクはAだったかと」
最後の中継地の宿屋で、就寝前にリーゼさんが部屋までやって来たかと思えばこれである。
レイノール辺境伯領全域が遺跡認定されている最大の理由が、樹海に入れば出られない事によるものだ。
そんな危険な場所においそれと人を送るわけもいかないので、国が管理する遺跡として扱われているのだ。
「そう。過去に様々手段が試されたけど、どうやっても自力で戻れた人はいなかった。たった一人を除いてね」
「え? それは初耳です。どんな手を使ったんですか?」
「遺跡認定するにも調査結果は必要だからね。どうやったかは──まあ明日わかる。……あと樹海になる前については知っているかい?」
「領地全域が大農場だったと聞いています。農作、酪農、畜産、食料関連を一手に担っていたとか」
「そうだね。旧王国の食料事情はすべて辺境伯が握っていたと思って良い。当時の王家も辺境伯に頭を下げたなんて噂があったぐらいだ。辺境伯がどんなやつだったのかは覚悟しておいた方がいい」
食は生きる上で切っても切れないものだ。
それをすべて掌握している個人がいれば、確かにそんなこともあるかもしれない。
しかし妙に具体的な話だ。何か知っているのだろうか。それに、覚悟をしなければならないとは、一体どんな……。
「明日の朝は霧が出るそうだ。霧の中進むのは危険だから、出発は昼前にするよ」
気づけばリーゼさんの話は終わっていた。
明日の事務連絡をして退出した彼女を見送って、僕はベッドに横になった。
リーゼさんの口ぶりからして、樹海の対策は大丈夫なのだろう。
僕自身の装備も問題ない。消耗品もほとんど補充できている。唯一体力の回復薬が手に入っていないが、これはあの魔法薬の店でしか扱っていないものなので仕方がない。僕の特注品なのだ。
あと考えなければならないことは、リーゼさんの忠告についてなのだが……一体何を覚悟しろというのだろうか。
守銭奴? 権力主義? 一体どんな人だったのだろうか。
それに故人が現代に何の影響を与えるというのだろうか。
全く想像もつかない。
そんな考えの中、疲労でうつらうつらと自然に眠り、気づけば翌日になっていた。
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樹海の入り口にたどり着いたのは昼を過ぎたあたりだった。
予報通り立ち込めていた霧は晴れており、少しひんやりとした風が吹いているものの活動には何ら問題のない天気となっていた。
樹海は外周をぐるりと城壁並みの頑丈な壁に囲まれており、街道沿いに一箇所だけ門が設置されている。
その門の両脇にはやはり城門と同じように二人の騎士が控えており、中に入ろうとする僕たちは呼び止められた。
「この先は立入禁止です」
ため息一つついたリーゼさんは懐から冒険者の身分証を見せた。
足の様子から場合によっては強行突破するつもりのようだ。
「──失礼しました。皇帝陛下から伺っています。最大限の便宜を図るように、と」
騎士の反応にリーゼさんは片眉を上げた。想定外だったようだ。
「皇帝陛下? エルム殿下ではなく?」
「はい。間違いなく皇帝陛下の署名で承っています」
「ふーん……」
やり取りの傍らで開けられた門を潜ろうとするリーゼさんに再び騎士が声をかけた。
少し感情が揺らいだような気配がしたが、何食わぬ顔でリーゼさんは振り返った。
「あの、差し出がましいことは重々承知していますが、近隣住民から収穫に入りたいという要望が来ていまして、同行させられないでしょうか?」
「…………。近隣住民を遭難させたいのかい? 今回は私用だから連れていけない。すぐでなくて良いのなら、皇弟殿下に陳情を伝えて依頼にしてもらいなよ」
「ご無礼をお許しください、レフェス侯爵」
「──、ここにいるのはただの一介の冒険者だ」
リーゼさんのあからさまな顰めっ面に騎士が謝罪したのだが、それが逆効果だったようで、彼らを見ることなく大きなため息をついて片手を振りながら樹海に入っていった。
レフェスという名に首を傾げながらも僕は素っ気ない対応をされた騎士に一度頭を下げて、その後を慌てて追った。
──レフェスは僕の家名なのだ。




