研究所
殿下に連れられやって来たのは、東塔だ。
東塔は丸々研究所になっているらしく、皇族や貴族、騎士とは異なった風貌の者たちが出入りしている。
建物自体は他と変わらないのだが、内装は他よりも明るいものになっていた。
「知っての通り研究所で取り扱っているものは様々でね、危険なものもある。脱走の恐れがあるもの、毒性のあるものといった外に出てしまうと危険なものはすべて地下にある。地上にあるのは危険性のないもの──例えば植物であったり、天気であったり、比較的日常に関わりのあるものが多いね」
そんな説明の中、僕たちは階段を降り始めた。用があるのは地下ということだ。
決して広い訳では無い階段を無言で降りていく。
靴音が長く響く。一体どれだけの階層があるのだろうか。
そして地下二階と思われるところで廊下に出た。
「まず、君たちに見せなければいけないのはここ」
そう案内された場所は、大きな部屋を六つに区切った場所だった。
僕たちはその部屋には入らずに継ぎ接ぎだらけの水晶板越しに見ているだけだ。
水晶板の向こうはすべてが白で構成されていた。
白亜の壁、目地のある白い天井、白いベッド、そしてその上に横たわる真っ白な包帯でぐるぐる巻きにされている人らしき何か。
六つあるベッド全てが同じ状態だ。
そのうちの一つが今まさに神官による治癒魔法を受けている。
「ここは医療関係の研究を行っている施設の一部だよ。公にはしていないが、今ここで旧【不死鳥】のメンバーが治療を受けている。とはいってもまだ治る目処は立っていないけどね」
その説明に僕だけではなくドレークさんたちも息を呑んだ。
直接会ったことはないものの、主要メンバーの殆どがAランクの強者揃いのパーティが、こんなところで包帯に巻かれているのだから。
一体なぜこんな事になっているのだろう。
「彼らはある依頼で向かった先で、何者かの策略でこの様な状態になった。全員がこんな状態だ。経緯は分からないが瘴気によるものであることは分かっている。瘴気については先程話した通りだよ。Aランクにもなれば瘴気に関わることも出てくるだろう。十分に気をつけるんだよ」
「──あの、何者かの策略で、ということはまだ──」
「それについてはもう犯人は捕らえて、今は審問待ちになっているから安心して構わないよ」
聞いただけではわからない惨状に言葉を失う中問うたゼインさんに、殿下は少しばかり眉尻を下げて答えた。
まだ少し聞きたいことがありそうな素振りをゼインさんが見せたが、それ以上訊ねることはしなかった。
さて次にいこうか、と言われ僕たちは殿下に続いた。
先程の階段を更に三階層分降りたそこは重厚な扉があり、更に魔法で封印までされているほどの厳重さだった。
それだけでただならぬ何かが扉の奥にあることが窺える。
扉の両脇に控えていた近衛騎士二人が殿下に敬礼して、魔法の封印を解除し扉を開いた。
途端に奥から何かの唸り声が響き渡る。
「この先は魔物について研究している区画なんだ。今のは生け捕りにした魔物の鳴き声だろうね」
そんな説明を聞きながら進む廊下の右側は重厚な壁と鉄格子付きの扉が並んでおり、左側は途方も無いほどの数の水晶板をつなぎ合わせてできた巨大なそれで部屋の中が見えるようになっていた。
水晶板の先では大きな机の上に雑多に道具が置かれており、壁一面を使うほどの大きな機械らしきものまであった。
中で作業をしている人たちは全員片眼鏡をつけ、付けていない方の目を閉じて器具の中を覗いたりしている。
反対側の鉄格子から見えた壁の向こう側には、黒いなにかがあった。
一瞬だったので動いているのかわからない。物体なのか生き物なのかさえも定かではない。
「殿下、お待ちしておりました」
長い廊下を進むことしばらく、鉄格子付きの扉の前に立っていた研究者が殿下に一礼した。
老齢とまではいかないものの、それなりに職歴が長そうな見た目をしている。
着ている衣服はボロボロで、少しばかり不衛生な印象を受けた。
「待たせてしまって悪いね。中を見れるかい?」
「もちろんです」
研究者はすぐに扉を開けて、部屋の中へ入れてくれた。
そして僕たちの視界に飛び込んできたのは、茶色く大きな体躯の魔物。
──間違えるはずがない。これは僕が初めての依頼で遭遇したワイルドボアだ。
「殿下のご指示で調べた結果、これはワイルドボアであることが確定しました。しかし、生態上ここまで大きくなることは異常です。それに、異様なほどの硬さ。なぜこの様な変化が起きたのか、ありとあらゆる手段を用いて調べたところ、あるものを突出して多く溜め込んでいることがわかりました」
「あるものというのは?」
「はい。それを話す前に説明しなければならないことがあります。皆様は魔力というものは何か、と考えたことはありますか?」
急な問いかけに僕たちは首を横に振った。
言われてみれば、それが何なのかまで突き詰めて考えたことはない。ただ、魔法を使うのに必要な力、という認識だけだ。
「近年の研究で魔力はある未知の力を体内で変換して放出しているようだということが見えてきました。その力を我々は〝魔素〟と呼称することにしました。我々は魔法を使う際、体内にある魔素を魔力に変換してそれを行使している、とお考えください」
「体内にある魔素を使い切ったらどうなるんですか?」
思わず問いが口をついた。それに研究者は嫌な顔ひとつせず答えた。
「いわゆる魔力切れの状態になりますが、無意識に周囲にある魔素を取り込んで元あった量を溜め込みます。瞬間での取り込む量も溜め込める量も個人差があります。魔力切れからの回復に個人差があるのはこのためでしょう」
「なるほど。本題に戻ってくれるかな」
脱線してしまったので、殿下が本筋に戻してくれた。少し申し訳なくて僕はうつむいた。
「失礼しました。このワイルドボアの変異種はその魔素の量が多かったのです。それも個体差では説明がつかないほどです。例えるのなら、イノシシとワイルドボア……いえ、人とSランクの魔物ぐらいの差があると言って良いかと」
イノシシには魔力がないことは有名だ。
なので、子供向けの説明ではワイルドボアとは魔力のあるイノシシだという説明がされる事が多い。
しかし、この研究者はそれでも違うかのように訂正を入れた。
Sランクの魔物ともなると途方もない量の魔力を持っていることが想像できる。
人でも魔力量の個人差があるが、魔力量が多い人と比べたところでその差は大したことはないということだろう。
それほどまでにこのワイルドボアは魔素を溜め込んでいたということを研究者は言いたいのかもしれない。
「魔素を多く溜め込んだ要因は掴んでいるかな?」
「残念ながらそこまでは……。ただ、これまで変異種としてこちらに運ばれてきた個体はすべて同様でした。魔素を多く持っていることによる変化もまた個体差があるようです」
「そうか。引き続き調査を頼むよ」
少し考えるような素振りをした後、殿下は研究者に微笑んだ。
研究者も一礼すると再び扉を開いて僕たちを廊下に出すと、扉を施錠した。
再び一礼して研究者は歩き去っていった。
そして僕たちは再び移動を始めた。
今度は先程とは違う階段を登り、四つ上の階層にやって来た。
そこは先程とは打って変わって塔の外壁素材がむき出しとなっており、灯りは蝋燭だけという少し薄暗い場所だった。
「ここには転移魔法の陣がある。ここから任意の場所へ転移することができる。これからは機動力が必要になるから、君たちの使用を許可しよう。気をつけてほしいのは、陣はここだけだから、帰りは使えないということだね。行ってすぐ戻るなら大丈夫だけど、転移魔法は発動するだけでもかなりの魔力を必要とする。維持するにも魔術師を何人もかける必要があることは認識しておいてほしいかな」
誰かがゴクリと喉を鳴らした。
どうやらメルストロジアさんのところで見たのはやはり転移魔法だったようだ。
床に刻まれた魔法陣はあの日見たものに酷似している気がする。
「あ、ここのことを誰かに話すのは厳禁で頼むよ。とはいえ、許可されていないと入り口で弾かれるけれどね」
思い出したように話した殿下は、ここにはもう用はないと踵を返した。
そして階段を上がり塔の外に出たのだった。




