きっかけ
その日から僕は毎日少しずつ知っている話をした。
大昔にいた巨大な竜の話、竜に挑んだ冒険者たちと勇者の話を――。
僕が話している間、リーゼさんは口を挟むことなく静かに聞いていた。
そして知っていることはこれが最後だと話すと、ほんの僅かに残念そうに表情を歪めたように見えた。
リーゼさんは僕の頭を一撫でして、初日と同じように去っていった。
更にその翌日のことだった。
雲一つない晴天の下、いつものように大人たちはリーゼさんの指導で武器を振るっていた。
仕事の合間の短い時間だけだったが、最初に比べて全員様になっているように見える。
そんな最中、リーゼさんがふと空を仰いだ。その視線の先には何もない。
しかし、手をかざして見上げるその目は次第に険しいものに変わっていった。
「……全員、武器を持って家へ戻れ。家に戻ったら武器を手放して決して外を見るな」
静かな声だった。
しかし、叫んだわけでもないのに妙に通る声だ。
大人たちはその指示に意味がわからないとばかりにリーゼさんを見ていたが、その様子にいそいそと家へと戻っていった。
僕と同じく外に出ていた子どもたちも連れ戻されていく。
そして僕も両親に手を引かれて家の中に入った。
しばらくして、顔役が家にやってきた。
顔役は酷く慌てた様子で、窓を閉めて中が見えないように窓を覆えとだけ言ってそそくさと次の家へと行ってしまった。
両親も含めて何が起きているのか全く分からない。
ただ、顔役の様子から、リーゼさんの様子から酷く不安になる一方だった。
真っ暗な家の中でただ息をひそめるように身構えていると、外で突風でも起きたかのように窓が大きく揺れるとともに羽ばたく音が聞こえてきた。
その音からかなり大きな翼であることがうかがえた。
その数はどうやら一羽だけではないようで、いくつもの羽ばたきが聞こえる。
外の様子がわからない分、音で嫌な想像ばかりが頭をよぎる。
大きな翼を持つ生き物といえば、大鷲やグリフォン、ヒッポグリフが有名所だが、それらよりも遥かに大きいように感じた。
もしかしたら異常に成長した特殊な個体なのかもしれない。
だが、それよりもそれらよりも大きい生き物に心当たりがある。――竜だ。
竜といっても、ほとんどがその巨体故に飛ぶことはない。
リーゼさんが空を見上げたあたり竜の中でも比較的小型な飛竜ならありえるのではないだろうか。
いや、竜の話をしたせいでそんな考えになってしまったんだ、と僕は首をふった。
第一、飛竜といえどその個体数はとても少ないと聞く。
そんな希少な生き物がこんな辺鄙な村に一体何の用があるというのか。
仮に外に飛竜がいるとしても、たまたま通りかかっただけですぐに何処かに行くだろう、と自身に言い聞かせた。
外は未だごうごうと音を立てて風が吹いていた。
夜になって、広場に僕たちは集められた。
おそらく村民全員が集っているのだろう。それほど広くないそこは人でほぼ埋まっていた。
「あー、全員揃ったな。長老から話があるそうだ」
焚き火の前に立つ顔役がそう言って老人にその場を明け渡した。
その老人こそがこの村の長老だ。
長老は年齢故に出歩くことができないと聞いていたが、随分と元気そうに見えた。
「先程は急に引きこもらせて悪かったのぉ。何があったのか分からず不安だっただろう。単刀直入に言うと、飛竜がやってきたのじゃ」
長老の言葉に誰もが息を呑んだのがわかった。
端折り過ぎだろう、と野次を飛ばすものは誰ひとりとしていない。
それほど昼間の一件はみんなの精神をすり減らしたのだろう。
「幸い、飛竜は敵意を向けなければ襲いはしない。窓を覆わせたのもそのためじゃ。姿を見たら皆パニックになっておっただろう? そしたら一人や二人は飛竜の餌食になっておったろうよ」
ほっほっほ、と冗談でも言うかのように笑う長老。
その声に全員が肩の力を抜いた。
「こうして犠牲者がでなかったのもリーゼ殿の機転のおかげじゃ。そのことに関してワシは感謝しておる。……じゃが――」
長老が言葉を切り、眼光を鋭くした。
今までになく真面目な表情で村民を見渡す。
その時になって僕は気づいた。広場にリーゼさんがいないことに。
よそから来たとはいえ、今の話では彼女が影の功労者とも言える。
そんな人を呼んでいないのもおかしい話だろう。
「――あの者は竜殺しじゃった。今日の飛竜もあの者を追ってきたのやもしれぬ。故に山を降りてもらった」
竜殺し――その名の通り、竜を殺した者を指す言葉だ。
竜を殺すこと自体が非常に困難で、おとぎ話ですら勇者だけがそれをなし得たほどの偉業。
本来は栄誉な称号のはずなのだが、竜の強すぎる種族本能の影響で、竜を殺した者は他の竜に殺されるという呪いのような称号になっていた。
確かに彼女の存在は村にとってリスクなのかもしれない。
だが、自衛のために戦い方を教えてくれた人物に対してあまりに無碍な扱いではないだろうか。
おそらく、僕たちは彼女に何の恩も返せていない。
長老の言葉に村民たちがざわつく。
竜殺しという言葉に怯える者もいれば、僕と同じように首をひねっている者もいる。
その割合は半々といったところか。
「長老、ちょっといいか」
そんなざわつきの中、手を上げたものがいた。
村の門番を担う男だ。
「確かに村のことを考えれば長老の考えはわかる。けどよ、俺たちは与えられるだけで、何も返していない。そんなんでいいのか? 少なくとも俺は子どもたちに顔向けできねえわ」
「その心配はいらん。こちらからもそれに見合うだけの対価を支払ったからのう」
「金で解決したってのか⁉」
「それが向こうさんの希望だったでなあ」
長老の回答に、隣に立つ顔役が少し苦虫を噛み潰したような表情になった。
門番の男はそれ以上何も言えなかった。
まだ納得できていない様子だったが、本人が希望したと言われてしまえば、これ以上何を言ったところで主張する本人の気持ちでしかない。
それがわかっているからこその沈黙なのだろう。
「……分かった」
あたりは打って変わって静まり返っていた。
これ以上問答はないだろうと判断したのか、顔役が一つ頷いて解散を言い渡した。




