赤髪の女
この国にはこんなおとぎ話がある。
〝竜が眠りしその地にて、勇者は生まれ出る〟
竜が拾い育てた人間の子供が世界を救う――。
そんな起こり得ない話に子どもたちは夢を抱き、大人たちは淡い期待を内に秘める。
――いつか自分が、誰かがその勇者になるのではないか、と。
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ロヒカルメ村――レスヴェラル帝国の国境付近の山に位置するその村は、農業で成立している。
とはいっても険しい山岳地帯の山稜にあるがゆえに、畑作よりも果樹がメインだ。
そんな辺境の村にはこれと言って商業がない。あるのは農地と十数件の民家ぐらいで、生活はほぼ自給自足だ。
村ではどうにもできない資源は時々やってくる行商人から買うぐらいしか方法がない。
近くの街まで買い出しに行くにしても距離がありすぎる上、険しい山道を通らないといけないため、一介の農民には荷が重いのだ。
「ま、魔物だあぁ!」
こんな山奥でも魔物は出る。
しかも定期的を通り過ぎて見ない日の方が少ない頻度でやってくるのだ。
「くそぅ! この前の襲撃で武器はほとんど壊れちまったぞ!」
「次の行商まで保つと思っていたんだが……」
「とにかく戦えないやつは避難させろ! 戦えるやつは農具でも木の棒でもなんでも良いからかき集めてくるんだ!」
この日は運悪く、武器を卸してくれる行商人が来る前に魔物がやってきてしまった。
警備を担う男や顔役は慌てた様子で叫んでいた。
数十名しかいない集落だが、刻一刻と近づく魔物の姿に慌てふためき誰もがパニックを起こしている。
まだ幼い子供を抱きかかえて右往左往する母親、我先にと山を駆け上る青年、置き去りにされる足腰の弱った老人。
自衛手段が限られた状態で、皆自身のことでいっぱいいっぱいだ。
村にあった長剣や槍を構えた男たちが魔物がやってくる方角で待ち構えるが、見えた頭数に絶望の色を浮かべた。
後からやってきた男たちも手に持つ武器――もとい木の枝に一抹の不安を隠せない。
誰もが足を震わせる中、一人の男が魔物の前に躍り出る。
男は長剣を振り斬りつけるが、当たった魔物はびくともしない。
魔物はなにかしたか? と言わんばかりの視線を男に向けるとそのまま男に体当りして吹き飛ばした。
もう無理だ、と一人、また一人と男たちは逃げ出していく。
しかし逃げ出したところで村に安全な場所などない。
ただただ遠くへ走るしかないのだ。
「バカ野郎! 逃げるな!」
顔役が怒声を上げた。
それでも守りに回っていた男たちの数は減っていく。
そして近づきつつある魔物。
もはや今いる守り手はただ足がすくんで身動きが取れない者たちだけだった。
魔物の姿はもう目と鼻の先。
その場にいるものたちがもうだめだと覚悟した時、魔物と男たちの間に赤い何かがどこからともなく舞い降りた。
それは、透き通るような深紅の髪の女だった。
女は身の丈ほどもある槍を横に一閃した。
一拍おいて魔物の体がずれ落ちる。
その表情はまるで何が起こったのかわかっていないようだ。
彼女の背後にいる男たちも同様だった。
「全く、雇い主をおいていなくなる傭兵がどこにいる!」
倒された魔物の向こうから聞こえる怒声。
そこには馬車を繰る小太りの男がいた。
馬車は村の入口近くまで来て止まり、御者の男が女に小言を言い続ける。
「良いじゃないか。魔物に襲われて壊滅していたら無駄足になるところだったんだ」
男の小言などどこ吹く風と、女はそれだけ言って男に背を向けた。
「村の長か、代表者はいるかい?」
振り返りながら女は男たちに訊ねたのだが、魔物の討伐から始まって突然のことの連続に男たちは固まっていた。
「…………長老は避難しているから俺が代わりに……」
最初に立ち直ったのは顔役だった。
彼は高齢となり身動きが取れない長老の代わりでもあるので適任だ。
「村の状況を確認したい。説明してくれるかい?」
女の問いに顔役はうなずくだけだった。
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魔物の襲撃から一夜明け、大人たちの頼みで傭兵のお姉さんが戦い方の指導をしてくれることになったらしい。
傭兵が連れてきたおじさんは行商人らしく、村の広場で店を開いている。
品物がなくなり、仕入れられるものを仕入れたら帰るとのことで、ここからはお姉さんと別行動らしい。
今日は村の外で武器の扱い方について説明している。
なんでも、村にある壊れた武器の殆どが間違った使い方によるもので、正しい使い方をすればそうそう壊れることはないらしい。
なので今日はほぼ座学だそうだ。
結構離れた場所でやっているはずなのに、村の中央までお姉さんの声はよく聞こえる。
剣の握り方は、とか、構え方は、とか……。
僕も本当は参加したかったけど、子供は危ないからと今回の参加者は大人たちだけだ。
つまらない……、と小石を蹴っ飛ばしているうちにお姉さんの声が聞こえなくなっていた。
座学に参加した大人たちがぞろぞろと村に戻ってきている。
「はあ……知らなかったなあ。剣もちゃんと手入れしないといけないなんて」
「そうだなあ。……まあ、よくよく考えれば農具だって手入れするし、武器はしなくて良いなんてなんで思ってたかなあ」
僕とすれ違った大人がそんな事を言っていた。
「これじゃあ、商売上がったりだな。次からは品揃えを変えるか」
ついでに行商人のつぶやきがどこからか聞こえた気がした。
大人たちの流れを逆らうように村の外へ向かっていくと、入り口で大人が一人、お姉さんと何かを話していた。
大人の方が少し困ったような顔をしていたので、もしかしたらお姉さんになにか聞かれたのかもしれない。
そんな様子をそっと眺めていたら、お姉さんが僕に気づいてこちらにやってきた。
お姉さんは僕の目の前で立ち止まると、目線を合わせるようにしゃがんだ。
まるで澄んだ水でできているかのような透通る赤髪と同じ色の瞳が近づいて僕は思わず目を逸らした。
「私はリーゼ。君、名前は?」
「……あ、アルノルト……」
「アルノルト、この村におとぎ話とか伝承……言い伝えとかあるかい?」
リーゼさんの突然の問いに僕は言葉が出なかった。
こんな辺鄙な村に変わった話などあるはずがない、という気持ちがあったからかもしれない。
「…………帝国でよく聞く竜のお話ぐらいしかないよ」
「そうかい。……もう遅い時間になってしまったね。また今度、その話を聞かせてくれないかい?」
リーゼさんは僕の返事を聞くことなく立ち上がって笑むと村の奥へ行ってしまった。
取り残された僕は、その背で揺れるゆるく結われた赤髪を眺めていた。




