ケートラック(2)
◆
二人乗りのケートラックの運転席と助手席には、壮年の夫婦が乗っていた。
商談帰りだという彼らは、アンバーとジィナを快く荷台に載せてくれた。
荷台には断熱性の高いトロ箱が積んである。
磯の匂いが漏れてくる。朝方までいた街に満ちていた海の香りだ──断じて、生臭いわけではない。本当に。
「七日に一度、町に野菜を売りにいっています」
男が運転席から荷台で揺られる二人に向けて、声を張り上げる。
朝一番に港町に野菜を売りに出て二日ほど商売をし、その帰りに港で干し魚や海藻などを仕入れてくる。残りの二日で、地元で仕入れてきた港町のものを商う。移動には各一日を費やしている。
それが彼ら夫婦のルーティンだそうだ。
アンバーたちが数日かけた旅路も、ケートラックならば一昼夜で移動ができるわけだ。老夫婦はどこかから貴重なイカイ産の燃料を調達しているらしい。なかなかのやり手だ。
アンバーが大きなつば付き帽子を脱いで、改めて礼を述べる。
「ありがとう、助かるよー」
「美女を運ぶなんてこたぁ、滅多にないからね!」
「それにしても、行商とは珍しいですね」
「ケートラックがあるおかげさね」
アンバーは冬空を見上げる。
ケートラックの荷台で、風に吹かれるのも悪くない。
もちろん、悪天候だったら、たまったものではなかったけれど。幸いに空は晴天。風もなく、荷台は小春日和である。
ふくふくと、アンバーは荷物の発する磯の臭いに鼻をひくつかせる。
「港町の匂いがする」
「ああ、たまに足を伸ばすんでさ」
行商人が口にしたのは、アンバーたちが長逗留していた港町の名だった。
「いいなぁ。ケートラックがあれば楽に往復できるよねー」
「まあ、燃料が手に入ったときにはね」
イカイから持ち込まれた乗り物である。ヒガンでは産出されない液体燃料を手に入れるのは、なかなか骨が折れるのだ。
戦役終結以来、両世界の交流は断絶している。
「それにしても、美人さんふたりと一緒なんて、せっかくの干し魚が茹で上がっちまうかもしれないね」
「がはは、違いないな!」
助手席でおかみさんが零した冗談に、行商人が快活に笑う。
二人の夫婦仲が睦まじいのが、笑い声からもよくわかる。
「大丈夫。私もジィナも過剰な熱を発したりはしないよ」
ずれた返答をするアンバーに、夫婦がまた愉快そうに笑った。
ケートラックの進む先には、アンバーの杖の先から金色の糸が延びている。
「この糸。どこまで続いているのやら」
アンバーが、手紙から伸びる糸を愛おしげに撫でた。
『縁の糸』はアンバーの魔力と因果──差出人と受取人の間にある『思い』と『縁』で紡がれている。アンバーが手紙に触れた瞬間に紡がれて、込められた因果が強ければ強いほど、糸は太く光り輝く。
今回、老婆に託された手紙から伸びる糸は一際輝いているようだ。
「……ところで、お嬢さん。さっき魔女って言ってたのは冗談だよな?」
朗らかだった男の声が、僅かに固くなる。
何かを探られているらしい。
魔女──自在に魔術と呼ばれる術を操り、時には人知と天理をねじ曲げるほどの存在となり得る存在だ。
まさに一騎当千。──魔女ひとりで千のイカイ兵を退ける力を持っていた。
イカイからの厄災および最大規模の軍事衝突だったとされる越境戦役が痛み分けとなったのも、魔女の存在という要因がなければ掴み得なかった結果だと言われている。
かつては、このヒガンに多く存在し、人々の営みの中に溶けこみ、超常の力を司っていた魔女たち──しかし、彼女たちも時の流れとイカイとの越境戦役とで数を減らしていた。
今もなお、存在が確認されている魔女の数は、両手で数えられるほどである。
──要するに。
アンバーが魔女を名乗ったことに対して、彼らは探りを入れているのだ。
魔女を名乗る詐欺師がいる。
もしも、本物の魔女だとしても──ただの人間である行商人たちにとって、警戒が必要なことにはかわりはない。
魔女は何もかもをねじ伏せるから。
魔女と人間は違う存在だから。
魔女はあまりに危険な存在だから。
……魔女は、兵器だから。
少なくとも、魔女たちの猛攻によりこの世界からの撤退を余儀なくされたイカイ側にいた人間の認識はそうだ。
ヒガンの人間でも、魔女に対して畏怖の念を抱いているものも多い。
つまり。
『魔女の手紙屋』の張り紙を見て、それでも依頼をしてくるのは──そうまでしても、どうしても届けたい手紙がある人だ。
「……冗談かどうかは、そちらで判断してよ」
アンバーは手にしていた封筒を、肩掛け鞄にしまいこむ。
使い込んだ革の鞄を貫いて、遠く遠く、光の糸は伸びている。
糸の行く先をしばらく見つめて、アンバーは揺れる荷台にごろりと寝転んだ。
「少なくとも、暴力も略奪もどんとこいな悪い魔女だったら、こんな場所で立ち往生してない。そうじゃない?」
それに、とアンバーは付け加える。
「こんなに可愛い魔女に会えたなんて、一生自慢できるでしょ」
「……アンバー、それは質問に答えてませんよ」
ジィナの指摘には返事をせずに、アンバーは瞼を閉じた。
夫婦は「それはそうか」と笑ったきり、何も言わなかった。
──どうやら、当面の信用は得たらしかった。
◆
ケートラックは走る。
しばらく経つと、進行方向に小さな集落が見えてきた。
街でも町でも村でもない、集落だ。
「あれが、あなたたちの集落?」
アンバーの声に、壮年の夫婦が応える。
「そうさ! はぐれ者の寄り合いだね!」
「イカイ軍に故郷を追い出された一団が腰を落ち着けて作った村なのよ」
越境戦役時には、侵攻をうけて居住地を追い出された人々が多く発生した。
彼らは流浪の民として、さまざまな場所で異邦人として過ごしてきた。
近頃は定住の地を得ている人々がいるとか、そういうことを耳にしているけれど──既存の町に彼らを受け入れる余裕がないことが悲しい。
「……そう。いい村だね」
アンバーが微笑んで、革鞄から封筒を取り出す。
住人が村と呼ぶならば、こちらもそれに習うべきだろうと言葉をなぞる。
「ところで、この村には本屋はあるのかな」
アンバーの問いに、助手席から女が誇らしげに声を張り上げる。
「本屋はないが、貸本屋があるよ。あんな小さな村だけれども、貸本屋がある。それが私たちの自慢さ!」
イカイとの争いは、市井の人々の文化を駆逐した。
小さな村に貸本屋があることを喜べるのは、やっと平和のようなものが訪れたことの証左だろう。
(糸の先が、まっすぐ集落に繋がっている)
港町の老婆の息子──手紙の受取人は、おそらくあの集落にいる。
ケートラックの行商人と行先が同じと、嬉しい偶然だった。
アンバーの目線からそれを悟ったのか、糸を見ることはできないジィナが呟いた。
「よかったですね、アンバー。少なくとも、海は越えずに済みました」
「ああ、君の銃の出番がなかったのもね」
アンバーの言葉に、むふんと不満げなのか誇らしげなのか分からない表情でジィナが頷く。
主人であるアンバーよりも年若い少女の背格好をしているが、ジィナが携行しているイカイ産の武器は、非常に幅広く、そして殺傷能力に優れている。
自分の安全が脅かされているのでもない限り、人殺しなんてしたくない。
あくまで、ジィナの武装は護身用だから。
「……はー、お腹空いた。村に美味いものはあるかな」
太平楽に呟くアンバーに、ジィナが呆れ声をあげる。
「食い意地ばっかりご立派ですね、アンバー」
「ふふん。食べることは生きること、だよ」
「そうですか。ジィナにはわかり得ません」
ケートラックは、走る。走る。