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断章『手紙の魔女と少年』Ⅳ

 

「あ、んたは魔女なの?」

 少年はそう尋ねた。

 超常の力である魔術を意のままに操り、かつてイカイからの侵略者を退けた人の形をした兵器。

 少年の居場所と名前をぴたりと言い当て、指先一つで炎を操る様子は、伝え聞いていた『魔女』そのものだった。

 ちらり、と少年はモッズコートの少女を盗み見る。銃を携えたままで佇む少女の銀髪が、ふわりと風に揺れている……魔女は使い魔を連れているのだという噂が、少年の頭をよぎった。

「ああ、そうだよ」

 あまりにもアッサリと、つば付き帽子の魔女は頷いた。


「……私は魔女。魔女で、手紙屋よ。ご贔屓にどうぞ」


 ◆


 少年の名をぴたりと言い当てたのは、なんのことはない。

 彼女はかつて攫われた少年の母親──花売り女から手紙を預かってきたのだ。

「これ、手紙……?」

 燻る異臭の中、瓦礫の山に座り、少年は受け取った手紙を大事そうに見つめる。

 けれど、少年は躊躇いがちにボロボロの封筒の淵を撫でるだけで、それを開けようとしない。

「何か問題でしょうか?」

 ジィナは短機関銃(アサルト・ライフル)を抱いたまま、少年に語りかける。

 白く光る髪が、さらりと揺れる。

 少年は居心地が悪そうに、もじもじと身体を揺らした。

「読めない」

 それは、ごく短い言葉だった。

 読めない。

 ──ボーキョー川のほとりにある、寂れた村である。まだ年端もいかぬ少年に読み書きを求めるのも酷というものだ。

 この空の下には、文字を持たぬ者がいる。幼い頃から文字と呪文に親しんできたアンバーが、ときおり忘れてしまうことだった。

「父ちゃんが、仕送りと一緒に送ってくる手紙も……村長に読んでもらってた。文字を使える大人は、村長のほかは五人しかいない」

 かつて幼い頃。少年は、自分の両親が村で数少ない文字を扱うことができる大人であることを、密かに誇りに思っていた。

 いつかは自分も──そう思っていたけれど、母が攫われた日を境に、そんな夢を抱くことも忘れていた。

「そうか。うん、そうだねー」

 アンバーはそっと手を伸ばす。

 柔らかく白いてのひらが、少年の前で花ひらいた。

「私が読んでも、構わない?」

「……ん」

 小さく頷いた少年は、アンバーに手紙を差し出した。

 アンバーは恭しく手紙を受け取って、丁寧に、丁寧に、封筒を開いた。

「魔女の手紙屋は、ほんとは代読は承ってないのだけれど──」

 すぅ、と大きく息を吸う。

 花売り女の文字は、驚くほどに整っていた。

 少年にもわかる平易な言葉で綴られたそれは、彼女の置かれた状況を文字の隙間に押し込めて、ただ我が子を案じていた。

 ひとつかふたつの、さわりの文を読んだとき、少年が小さく声を上げた。

「あの、待ってください」

「んー?」

「それ、母さんが、自分で書いたんですよね。だったら、俺、自分で読みたい。読めるように、なりたい」

 彼の住んでいた村はめちゃくちゃになり、おそらく復興は難しい。

 村に住んでいた彼らは流浪の民となり、各地でまた生きる場所を探すことになるだろう。

 かつて、少年の母は村の外に木の実を拾いにいって、人攫いに連れ去られた。

 大恋愛の末に一緒になったという父は取り乱し、母を探すといってこの村を出ていった。稼ぎ口をみつけては、独り残してきた息子に仕送りをしてくれていたけれど──それも今日までだ。送り届けるべき村の所在は、このヒガンから消える。

 野盗も人攫いも、そして小さな集落の消滅も、この世界では珍しくもなんともない。強い者は弱い者を踏みにじり、お互いに今日を生き延びる。

 それがこのヒガンの在り方だ。


 ありがとう、も。

 会いたかった、も。

 どうして置いていったんだという泣き言も。


 今の少年には伝える術がない。

「文字が読めれば、母さんの手紙を俺が自分で読めるんでしょう。文字が書ければ、父さんに文句のひとつも書けるかもしれないんでしょう」

「……ああ、そうだねー。そうやって言葉と心とを押しつけあうのは、生きているうちの特権だ」

 悪びれたふうに言い放つアンバーに、少年は少しギョッとした顔をする。

 少年の身の回りにいるのは、よくも悪くも素朴な人たちだ。アンバーのように、ふわふわとした言葉は使わない。

「アンバー。安請け合いだと、ジィナは思います」

 周辺の索敵を終えたジィナは、小さく溜息をついてアンバーに苦言を呈す。

 ちらり、と少年を見てすぐに視線を外す。

「……生きるだけでも、精一杯」

「精一杯生きるのには、慣れてる」

 少年はすかさず言い返す。

 ジィナは少しだけ驚いたように目を見開いた。

「なるほど、逞しいです。ぶらぼー」

 ジィナが小さく拍手をした。

 表情の乏しい彼女が、野盗たちを追い払ったのだという。あの火の海を制圧したとは思えない華奢な体つきと、物静かな佇まいをしている。抱えている小銃といい、モッズコートの中に見え隠れする黒光りする武器といい、イカイの武装で身を包んでいる。

「あんた、骨拾い(スカベンジャー)か?」

 骨拾い(スカベンジャー)。イカイからもたらされた戦災遺物を拾い集め、ときには自己流で修復修繕を施して売りさばく者たちの総称だ。

「違う。ジィナは骨拾いではなくて、骨です」

「ほ、ね」

「人型自律キカイ、さ」

 アンバーが口にした言葉に、少年は訝しむ表情をした。

「キカイってことは、人じゃないのか?」

「そう」

「……そう、なんだ」

 少年はそれ以上、何も言わなかった。

 子ども故の柔軟さなのか、それとも虐げられて生きてきた者ゆえの臆病さなのか、アンバーには判断がつかなかった。

 けれど、少年がどうにか生きる術を探していることはわかる。

 骨拾い(スカベンジャー)という言葉がでてきたのは、この村が骨拾いを生業にするものと交流を持っているからだろう。

 アンバーはめちゃくちゃになった村の中を眺める。

(あちこちに、イカイの遺物がある……骨拾いから買っているのか、骨拾いに売っているのか。とにかく、あれを狙って野盗どもがやってくるわけかー)

 ふむ、とアンバーは少し考えた。

 少年は、いつか手紙を書きたいと言っている。

 ──それだけで、彼に手を差し伸べる理由は十分だ。

「ボーキョー川の付近は、越境戦役中にイカイ人がたくさん住んでたんだってね」

「……? うん、そう聞いてる」

 少年は頷く。

「このあたりに、とても優秀な『骨拾い』の一族がいるんだよー」

「ん、たまに……この村の近くでも見かける……けど……」

 少年はアンバーの意図を汲みかねているのか、ごにょごにょと語尾を濁した。

 『骨拾い』との接触は、ヒガンでは好ましく思われない。この世界を滅茶苦茶にした、唾棄すべきイカイの技術を拾い集めて、ヒガンにばら撒く不届き者──厄災戦役によって作られた死体の山に群がる、浅ましいウジ虫。それが、『骨拾い(スカベンジャー)』の世間的な評価だ。それは、どこに旅しても変わらないものだった。

 それぞれの街で、地に足を付けて暮らすこと──あるいは、各地にばら撒かれた兵器のせいで、街同士の行き来にも不自由する暮らしが当たり前の世の中において、どの街にも属さずに、各地の戦災遺物を拾い集めながら移り暮らす骨拾いたちは、世の理から外れた存在と見なされていた。

「ねえ、少年」

 アンバーは少年の瞳を覗き込む。

 菫の砂糖漬け色の澄んだ瞳が、まっすぐに少年を捉えた。

「きみ、『骨拾い』になるつもりはあるかいー?」

 骨拾いに、なる。

 少年は少しだけ考える。

 この村は、もう放棄されるだろう。

 新しい住処へと付いていったところで、読み書きも出来ず後ろ盾もいない彼は、村の下働きとして生きていくほかはない。連邦郵便省が時折届けてくれていた、父からの仕送りも届かなくなるだろう。

 そんな日々を繰り返したところで、文字の読み書きができるようになることはない。

「……骨拾いになれば、文字を覚えられる?」

 少年の問いに、アンバーは柔らかく微笑んだ。

「そうだね。文字を覚えられるかはきみ次第だけれど、その骨拾いたちは文字を大事にしている。きみが望めば、イカイの文字だって読めるようになるかもねー」

「イカイの……いや、それは、あんまり、読めなくていいかも」

「そりゃあ、そっか。正直でいいねー!」

 大笑いをしているアンバーに、村人たちが冷たい視線を投げつける。

 野盗の放った炎によって住む場所を失ったばかりの彼らにとって、アンバーの柔らかな笑い声は神経を逆なでするものだった。

 たとえ、アンバーとジィナがいなければ、野盗どもに何もかもを奪われていたとしてもだ。

「……なりたい」

 少年は答えた。

「俺、読み書きができるようになりたい。だから、骨拾いになる」

 臆病な自分が、生まれ育った土地を離れる日がくるとは、思っていなかった。

 けれど……今、ここで踏み出さなければ、きっと二度と母に会うこともなく一生を終えることになる。──自分の心を書き残す手段もないままに、この世から消えることになる。

 それは嫌だと、少年は思った。

 母が寄越した手紙を手にしたときに、初めて、そう思った。

「いいだろう」

 手紙の魔女は頷く。

「ついておいで、一緒に行こう」

「はい!」

 少年は頷く。

 しかし、アンバーはちょっと決まりが悪そうに頬を掻く。

「……と、言いたいところなんだけど。私は手紙の配達がないと動けないんだ」

「は?」

「誰か文字を書ける人はいる? ちょっと、きみの紹介状でも書いてもらおう。今回はお題は結構だよ……きみの母君からは、ずいぶんな額を貰ったからねー」

 そう言って、アンバーはすたすたと歩いていってしまった。

 あっけにとられた少年がその背中を見送る。

「……そんなの、絶対嘘じゃないか」

 森の中で人攫いに誘拐されて、どこかの街に売られてしまった母──そんな状況の花売り女が、多額の依頼料など払えるはずもない。

 子どもにだって分かる嘘を臆面もなく吐く魔女に、少年は少しだけ笑ってしまった。


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