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断章『手紙の魔女と少年 Ⅰ』


 燃えさかる炎。響く怒号。




(──結局、俺には何もできやしないんだ)




 少年は嘆いた。


 家を焼く炎に炙られた右頬が熱い。


 生まれ育った家に火を放ったのは、かつてヒガンのほとんどを征服し蹂躙したイカイの機械……ではなく、同じヒガン人だ。


 いわゆる、野盗。


 越境戦役後に爆発的に増えた強盗、野盗、ならず者たちは、数を減らすどころか増加の一途を辿っている。




 少年は思う。


 


(俺たちが、何か悪いことしたのかな)




 今は納屋の中に隠れているが、じきに野盗どもは彼を見つけ出すだろう。


 殺されるのか、それともどこかへ売られるのか。


 嗚咽を漏らさないように両手で口を押さえて、少年は自らの不甲斐なさに涙を流した。何もしないまま、何もできないままで死んでいく。それが自分の運命なのだろうか。


 ここは小さな村だ。


 野盗どもの標的にされた段階で、この村で生活してきた者たちの運命は決まっていた。この場で死ぬか、散り散りに逃げ延びるか。


 どちらを選んでも、少年が父母の帰りを待つ村は永遠に失われてしまう。




(ああ、もう父ちゃんにも母ちゃんにも会えないのかもしれない)




 少年の母は村の外に木の実を拾いにいって、人攫いに連れ去られた。


 大恋愛の末に一緒になったという父は取り乱し、母を探すといってこの村を出ていった。稼ぎ口をみつけては、独り残してきた息子に仕送りをしてくれていたけれど──それも今日までだ。




 父の居場所も知れず、少年はこの村から逃げ出すか……あるいは、この場で死ぬ。


 旅の人である父からの手紙も仕送りも受け取ることは叶わないし、母にもう一度会うこともないだろう。




 野盗も人攫いも、そして小さな集落の消滅も、この世界では珍しくもなんともない。強い者は弱い者を踏みにじり、お互いに今日を生き延びる。それがこのヒガンの在り方だ。




 ありがとう、も。


 会いたかった、も。


 どうして置いていったんだという泣き言も。




 ……どんな言葉も、どんな感情も。


 少年の気持ちは、もう家族には届かない。


 うずくまったままで少年は唸る。




「……ちくしょう」




 悔しかった。


 悲しかった。


 せめて、もう一度。




「父さんと母さんと、話したいよ……」




 その時だった。


 タタタタン、タン──という乾いた破裂音が聞こえた。


 一呼吸。


 まばゆい閃光が、少年の網膜を焼いた。




 ──轟音、轟音、そして轟音。




 腹を震わせる爆音が響く。




「えっ」




 少年が顔を上げた。


 炎が少年の赤毛を、さらに朱く照らす。 


 隠れていた納屋から、そっと顔を出す。




 ──野盗たちが、炎に巻かれていた。




 なんだ。


 一体、何が起きたのだ。




 少年の村を襲った野盗たちは、瞬く間に灰と消えた。




 イカイとの戦争で、このヒガンを守ってくれる神様なんていないのだということを人間は思い知った。


 強い者が生き残り、弱い者は死ぬ。


 弱い者の声は誰にも届かず、空しく消えていく。


 そんなこと、村から一歩も出たことがない少年だって知っていた。




 では、村が助かったのはどうして?


 誰が、この奇跡を起こしてくれた?




 少年は目をこらす。


 炎の向こうから、人影が現れた。


 人影が、ふたつ。


 大きなつば付き帽子の女と、それよりも幼いモッズコートの少女。


 まっすぐに、つば付き帽子の女が少年の方に向かって歩いてくる。




「やば」




 油断した。しっかりと隠れていたはずなのに。


 どうして居場所がバレているのだろうか。


 バクバクと暴れる心臓を押さえて隠れていると、なんとも太平楽な声が少年の耳に届いた。




「やほー、探したよー。君が受取人だね?」




 続けて声が口にしたのは、少年の名前だった。


 もう逃げても隠れても無駄だと判断して、少年は納屋から顔を出す。




「そう、ですけど」


「やあやあ、こんにちはー」




 大きなつば付き帽子の女は、ひょいっと片手をあげた。


 女は先端に小箱が縛り付けられている長杖を肩に担いでいる。




「……あの恐そうな人たち、燃やしちゃったけど問題なかった?」




 帽子の女の後ろに佇むモッズコートの少女は、イカイ人が使うよう銃火器を構えている──この死体の山と火の海は、モッズコートの少女が作ったものだと直感した。




(なんだよ、こいつら……たった二人で、あんなにたくさんの男を倒しちまった……)




 もしかして。


 殺される相手が、野盗から謎の女二人に変わっただけかも。


 少年がそう思った瞬間。




 帽子の女が杖の先端にくくりつけていた小箱を開けて、取り出したものを少年に差し出した。




「どうぞ。手紙のお届けです」


「…………は?」




 手紙のお届けです。


 頬を焦がす炎と野盗たちの死体を背景にして発するには、暢気すぎる言葉だった。




「だから、手紙です。君宛てに……ほら、早く受け取ってよ」




 ん、と差し出されたのは簡素な封筒。


 その表書きには、どこか懐かしい文字が並んでいる。




「これって──」




 ……人買いに攫われた、母の文字だ。


 気づいた瞬間、少年は息を呑んだ。




 森の中で攫われたまま、居場所も知れなくなっていた母。


 もつれる指先で封筒を開ける。


 少年の母は人買いから逃れて、遠い街で暮らしているらしい。


 夫と息子がまだこの村にいるかどうかもわからないままに、この手紙を出したらしい──どこにでも、誰にでも、必ず手紙を届けると嘯く女を頼って。




「あり、がとう」




 短い言葉とともに少年の頬に涙が零れる。


 母の無事を知って、安堵と懐かしさに思わず、喉を鳴らす。




「……礼には及ばない」




 つば付き帽子の女は肩をすくめる。


 麦金色の髪の毛に、炎が揺らめいて──まるで彼女自身が炎の化身のように、恐ろしくも麗しい。




 ぱちん、と。


 帽子の女が指を弾いた。




「火、消しとくね」




 静かに女が言ったときには、野盗どもが放った炎は消え失せていた。ついでに、野盗どもを焼いていた業火も。


 超常の力だ。大昔に失われてしまった神秘の業だ。




 


「あ、んたは魔女なの?」




 少年は思わず尋ねた。


 超常の力である魔術を意のままに操り、かつてイカイからの侵略者を退けた人の形をした兵器。


 自分の居場所と名前をぴたりと言い当て、指先一つで炎を操る様子は、伝え聞いていた『魔女』そのものだ。


 ちらり、と少年はモッズコートの少女を盗み見る。銃を携えたままで佇む少女の銀髪が、ふわりと風に揺れている……魔女は使い魔を連れているのだという噂が、少年の頭をよぎった。




「ああ、そうだよ」




 あまりにもアッサリと、つば付き帽子の女は頷いた。




「……私は魔女。魔女で、手紙屋だよ。ご贔屓にどうぞ」










 ◆









 かつて、ある日。突然に。


 この世界と、隣の世界との間にある境界がゆらいだ。


 隣の世界──『イカイ』との接触により、相対的にこの世界は『ヒガン』と呼ばれるようになる。


 イカイ人が侵略先のこの世界に対して用いた『ヒガン』という呼び名を嫌う者はいるが、いちど定着してしまった言葉は簡単には消えない。


 そもそも、わざわざ自分たちの世界に呼び名を付けることなどないのだ──他に世界があることさえ、知らなければ。


 やがて始まった『越境の厄災』と呼ばれるイカイからの侵略、そして多大な犠牲と被害を出した両者による最大の軍事衝突である『越境戦役』により、ヒガンは衰弱した。




 二つの世界同士の衝突は、多くの犠牲を産んだ。


 侵略と交戦の日々が続き、やっとのことで対話と協定締結が模索された。


 互いの世界への不干渉と境界の引き直しという着地点を見出し、いったんの終結を見せたのだ。


 だが、戦争の傷跡は、世界の在り方を変えてしまった。




 あちこちに存在するかつての戦場には、狩る者のいなくなった魔獣や、『イカイ』から持ち込まれたまま放置された無人兵器が彷徨っている。


 町と町は分断され、流通は機能不全に陥った。


 ほとんどの人間は、産まれた町で一生を終える。そして、一度町を出ていった者とは、住まう場所がわからなければ手紙のひとつも交わすことはできない。




 そんな世界で、魔女は手紙を運ぶ。


 宛先がどこであろうとも、宛所がわからなかろうとも。必ず届けるための魔法を、魔女アンバーは持っている。

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