親子げんか
◆
「おかあさん?」
アンバーは思わず、聞き返した。
人型自律キカイには、母などいない。当然のことだ。キカイはイカイ人たちの技術によって「作られる」ものなのだ。
「さあな、何なのかはわからんが……ともかく、その妙なキカイ人形があの子だったってわけですわ」
戯けて肩をすくめるグンドウ。
「妙なキカイ人形なんだよ、あいつは。髪も茶色くて、目の色だって人間と変わらない」
グンドウの言葉に、アンバーは思わずジィナの白銀色の髪を眺める。
真っ白く透き通った、人工的な髪の色。
人型自律キカイの外見は、基本的にはジィナのような人間離れした色彩になっているはずだ。まるで、「絶対に人間と間違うことがないように」という識別用の刻印のようだ。
ミュゼの鳶色の髪と瞳を思い出す。
あまりイカイ製のキカイに詳しくないアンバーでも、彼女の見た目が非常に珍しいものであることはわかる。
グンドウの話を聞きながら食べていた、串にささった蜜がけの餅菓子(山街のあちこちで売られていた)を呑み込んで、アンバーは首を傾げる。
「……彼女は、自分がキカイだって自覚がないってこと?」
アンバーの言葉に、グンドウは頷く。
「俺の見立てではそうだ。あいつは再起動した瞬間から、記憶喪失の子どもとして振る舞っている」
「……で、きみは彼女を亡き娘の名で呼んでるの? それ、ちょっと屈折してる」
無神経ともとれるアンバーの発言にグンドウは苦笑する。実際、後ろめたい気持ちがあったからこそ、グンドウはミュゼを『孫娘』だと周囲に紹介していた。
「ありふれた屈折だとは思うがね。おそらくミュゼが『おかあさん』と呼んでいたのは、あいつの前の持ち主だろうな」
「そう呼ばせた、てこと」
「ああ。イカイ人は生殖能力に劣ると聞く。ありえる話だろう」
「ふぅん。イカイ人が、キカイを子どもとして育てていた?」
「まあ、『育ち』はしないがな」
皮肉を吐くグンドウの説に、アンバーは少し納得してしまう。
「ジィナ。それって、よくある話なの?」
アンバーに尋ねられたジィナが「ふむ」と唸る。
「ジィナたちは、ヒトの穴埋めのために作られました。ミュゼの前の持ち主が、『娘』を求めていたのならば、あり得る話だとジィナは思います」
「なるほどねー。あの子が人型自律キカイにしては、えらく感情的なのはそのせいなのかな」
「……どうだかな」
あくまでも、娘の代わりにしているわけではない。
そう自分に言い訳をするために、『孫娘』だの『義理の娘』だのと、ミュゼの呼び名をいじくり回していたのだ。
きっと手紙として綴ることすらできない混沌とした思いを抱えて、グンドウは呻く。
決して人になることはできないキカイに、人のふりをさせることのやりきれなさ。そんなことは、わかっている。
けれど、もうグンドウは、ミュゼをただのキカイとして扱うことはできなかった。
「ジィナは不思議に思っています。グンドウはなぜ、ミュゼを人間として扱うのですか。あなたは、キカイ調律師です」
「あいつがイカイ製の人型自律キカイだとバレれば、帝国の奴らに破壊されるかもしれない……だったら、ミュゼとして……人間として生活していたほうが……」
グンドウの娘は、もうこの世にはいない。
ミュゼはあくまでキカイ人形であることは、調律師であるグンドウは誰よりもわかっている。
誰よりも理性ではわかっていて、グンドウはイカイ製の人型自律キカイを、娘の名で呼びつづけているわけだ。なんて傲慢な振る舞いなのだろう。
まるで、自らの娘の──本当のミュゼの魂を、このクソみたいな現世に引き戻して離さないための、悪趣味な黒魔術のような振る舞いだ。人型自律キカイという限りなくヒトに近い存在の、世にも醜悪な使い道だ。
そんなことは、グンドウにもわかっている。嫌というほどに、わかっているのだ。
「……出来心だったんだ」
グンドウは、懺悔するように声を震わせる。
「あいつを修理したことも、ミュゼの名で呼んだことも、ちょっとした気の迷いだと思ったんだ……だから……」
「のーうえい!」
グンドウの言葉を遮って、ジィナが異議を唱える。
「ありえません。ジィナたちは、自分を人間だと偽ることを禁じられています」
「ほお、それはイカイの決まりごとか」
「……ジィナたちは人間のように振る舞えと命令されれば、その命令を実行します。でも、自らがキカイであることを忘れるなんて、あってはならないエラーです……自分がキカイだと認識できないキカイは、壊されるべきです」
グンドウが、ぽつりと呟く。
ジィナの意見は正論なのだろう。だが、今のグンドウには正論など響かない。
「はは、俺はキカイ調律師だぜ。『壊されるべき』ってのは、ずいぶんと刺激的だ」
それきり、沈黙が地下室に満ちた。
グンドウは力なく項垂れたまま、ジィナの右腕を修理するための下準備をしている。
やがて、グンドウは黙ったままジィナの右腕の修理をはじめた。
時間がかかると言っていた型取りはほとんど終わっているようで、手際よくジィナの右腕を組み上げていく。
こんがらがってきたな、とアンバーは眉間に皺を寄せる。
嫌になるほど、厄介ごとが山積みだ。
──人型自律キカイであるミュゼが、自分を人間だと思い込んでいるのは何故なのか?
──人間を模した外見や、識別信号なるものを送ることすら放棄しているのは何故なのか?
──ミュゼが発したという、「おかあさん」とは何なのか?
わからないことだらけだった。
アンバーは、少しだけ打算的に考えようとする。魔女とて、越境戦役のために人々と交わるようになってから、世間の荒波に(ちょっとは)揉まれてきた。他人の事情に必要以上に深く関わる必要などない、という賢い選択が存在することもわかっている。ああ、小賢しいことを考えるのは腹が減る。蜜がけの餅菓子も、とうに食べきってしまった。
……とにかく、アンバーとしては、ジィナの右腕が治ればそれでいいのだ。
それでいい、はずだけれど。
「ねえ、もうひとつ気になっていることがあったんだ」
もう少しだけ、深入りしてもいいだろう。アンバーは顔をあげた。
グンドウに右腕を見せていたジィナだけが、ゆっくりと顔を上げる。
だぶだぶのモッズコートを脱いで、白い洗いざらしのシャツ姿になっているせいで右腕の欠損が痛々しい。
黙っているグンドウのかわりに、ジィナが答える。
「気になること、ですか?」
「うん……きみたちさ、どうして喧嘩してたの?」
シンプルな質問。
なかなかに激しい親子喧嘩だった。何か大変な理由があるに違いない、とアンバーは思ったのだ。
グンドウはちょっとのあいだポカンとした表情を浮かべていたが、たちまち眉間の皺を深くした。
「ああ、そんなことか」
「ほあー? 『そんなこと』がきっかけで、キカイ相手に顔真っ赤にしてたのは、どこのヤミ医者かな」
アンバーの挑発に、グンドウが「うぐ」と喉を鳴らした。
ずいぶんと表情が豊かになったものだな、とアンバーは思う。
記憶にあるキカイ調律師は、本人が人型自律キカイだと言われても信じてしまうほどに、生気のない男だった。
あんな怒鳴りあいをするような男だとは、とうてい思えなかった。
グンドウを変えたのは、どう考えてもミュゼだろう。
「……あいつ、俺の跡を継ぎたいんだとさ」
「跡継ぎ? 調律師になりたいってこと?」
「ああ」
グンドウが眉間を揉みながら、深く溜息をつく。
言葉を選んでいるようだった。
「ミュゼのやつ、本当に俺のことを親みたいに思ってるんだろうな。親の跡目を継ぎたい、孝行娘だろ?」
「キカイ調律師としての技能を習得することに、何か問題があるのでしょうか」
その技能で右腕を修理してもらっているジィナの問いかけに、グンドウは短く答えた。
「……あいつ《ミュゼ》が、自分がキカイ人形だと気づいちまうかもしれないでしょうが」