キカイ調律師
「どうも、ヤミ医者です」
老人はひょいっと片手をあげた。
白髪に寝癖はついているが、枯れた風貌は謎の清潔感を漂わせている。
これでもアンバーが知る限り、もっとも腕のいいキカイ調律士だ。
「悪かったな、ちょいと昼寝してた」
「久しぶりだね、ヤ……グンドウ」
「んだよ、名前で呼ばれるなんざぁ、照れ臭いじゃねぇか」
「きみのことをヤミ医者って呼ぶのはやめろって、そこのお嬢さんに釘を刺された」
かはは、とグンドウは闊達に笑う。
「ヤミはヤミだろう、医者ってのは威勢が良すぎるかもしれんがな!」
「……そっちが問題じゃないんだって」
むくれる娘の髪を、わしゃわしゃとかき回す。
どこにでもいる、くたびれた初老の男。
だがグンドウは、アンバーが知る限りもっとも腕のいいキカイ調律士だ。
「しかし、グンドウに孫がいたとはね」
「ん、俺の……まぁ、娘だな。義理のだが」
「ふーん」
「ここのやつらには、孫娘って言ってますがね」
ヒガンでは珍しい話ではない。
なにせ、生活や文明の基盤がやっと回復してきたばかりなのだ。
グンドウが孤児のひとりくらい養育しても、おかしな話ではない。
「まあ、俺もこの年齢だろ。義理の娘よりも孫ってほうが通りがいいだろうってんで、そうしてるんですわ」
アンバーが把握している限り、グンドウの年齢はすでに七十近い。国によっては長老と呼ばれる年齢のはずだが、背筋も口調もシャンとしている。実際の齢よりも随分若く見られるだろうが、幼い娘がいるほどではない。
「ともあれ、まだまだ元気そうで安心したよー」
「ああ、せっかくヒガンで生きようって腹括ったんだ。まだまだ、くたばるには惜しいってもんだ」
「せいぜい、孫娘のために長生きするんだねー」
それで、とグンドウはジィナの右腕に目をやる。
開封した修理依頼書を一通り読んで、溜息をついた。
「大型魔獣・火熊と戦闘ぅ? こりゃあ、随分派手にやったもんだな……えー、油圧式ワイヤーの在庫あったか……?」
見事な白髪を掻きながら、グンドウはぶつぶつと独り言を呟いている。
一通りの部品を作業台のうえに揃えると、ジィナにむかって「ここに座んな」と顎をしゃくった。示された丸椅子に、ジィナはストンと腰を下ろす。
「さーて……こりゃ、派手にやったな」
ジィナの右腕を吊っていた三角巾を解いてグンドウは苦笑した。
アンバーはその様子を見て、ほっと息をつく。
「修理、してくれるみたいだねー」
「おー。やってやりますよ」
ヤミ医者はジィナの右腕を弄りながら返事をする。
「最近はキカイも少なくなってきたからな。久々に腕が鳴るぜ」
「……厄災は遠くなりにけり、か」
アンバーの前に、ごとんと大ぶりなマグが置かれた。
真っ黒い泥のようなものが、ほこほこと湯気をたてている。
「どうぞ。おじいちゃんのお客さんなら、おもてなしをする」
グンドウの孫娘だった。ぶかぶかのオーバーオール姿とトレイを持った立ち姿が、なんともチグハグだ。
「おわ、でた。私これ、好きなんだよね」
「大事に飲めよ、ヒガンじゃ手に入らん品だ」
アンバーの前に置かれたのは、イカイ人の飲み物だ。
とろりとした褐色で満たされたカップが、ほこほこと湯気を立てている。
食べ物や飲み物は腐るし痛む。越境戦役が過去のものになるほどに、イカイの品がヒガン人の口に入ることは少なくなっている。
「ミッロっていう飲み物。感謝して、お客さん」
「うまーい」
ずず、と啜ると濃厚な甘さと苦さ。
トロリと喉を下る感触とサリサリと口に残る粒子が癖になる。
「あーあ。どうしてごはんは腐るんだろう。なのに厄災遺物は腐らないんだから、世の中めちゃくちゃだ」
ほう、と大満足の吐息をついてアンバーはうっとりと呟いた。
「……ジィナは腐りません」
「ごめんごめん、ジィナのことじゃないよ」
厄災遺物はヒガンに蔓延っている。
──キカイ製の量産兵士ギデオン。
──人間に紛れる人型自律キカイ。
──ヒガンの空を周回する要塞バビロン。
──世界の裂け目を内包した紅塔
イカイ文明の爪痕は、この世界に残っている。
そういえば、とグンドウが言った。
「ちょっと前に、イカイ製品の部品を仕入れたんだ。なんでも、スクラップになったギデオンが急に出回りはじめたそうでなー。それで、『骨拾い』がしこたま売りつけにきたんですわ」
『骨拾い』というのは、いわゆる廃品回収業を営む人間だ。
高値で売れる廃品があると聞けば、どこにでも駆けつける命知らずたちだ。
「……へー」
「誰かが厄災遺物を大量破壊したんですかね?」
「ははは、どうかなー」
アンバーは遠い目をした。
……ぐぅうぅ、と腹が鳴る。
そういえば、もう完全に燃料不足である。
手紙魔術は燃費が悪いのだ。
「参ったな、こりゃ時間がかかるぞ」
ジィナの腕と部品の在庫を見比べていたグンドウが言った。
アンバーは素人なりに質問をして、会話を試みる。
「何か部品が足りない?」
「いや。こいつの腕を型取りしないとならん。樹脂が固まるのに時間がかかる」
「ふぅん、それじゃ」
「腹ごしらえをしましょう」
アンバーが言葉にする前に、ジィナが割り込んだ。
グンドウが、『お好きにどうぞ』とばかりに手をふって、自分は作業に没頭しはじめる。
ジィナが言った。
「……燃料切れでしょう、アンバー」
「はは、さすがだねー。相棒」
右腕部品が完全に脱落しているジィナが、左手の親指をグッと立てた。