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父の遺書


 遺書だなんて、たいそうなものではなかった。

 貸本屋の男は、父からの手紙をそう振り返る。

 稚拙な字で、文章とも呼べない文章で、ただ書かれていた、父の悔恨だ。


 数十年ぶりに訪れた、かつてと少しも変わらない港町。

 夕暮れには茜色の空を真っ白い海鳥が飛び、朝焼けの水平線をちっぽけな漁船がゆく。他の街との交易に出かける船なんて、ほとんど立ち寄ることはない。


 閉鎖的で、時間の止まった俺の故郷。

 夜明け前、親父の亡骸を乗せた小舟が海の彼方にむけて旅立った。

 沖合のある地点まで小舟を引いていくと、波が遠くへ死者を連れて行ってくれる。


 死者のお供として、灯籠を一緒に海に流す。

 夜明けの波間に浮かぶ弔いの炎。

 

 これが昔からのやり方だ。

 自分の魂が海に還ることを、この街の人間は心底から受け入れている。だから、ほかの方法で弔うことはない。

 越境戦役でたくさんの人間が死んだときには、小舟が足りないほどだったという。


 すっかり日の高くなった頃。

 俺は葬儀を終えて一段落ついた実家のダイニングに腰掛けていた。


 こんなに椅子は小さかっただろうか。

 そして、こんなに実家はガランとしていただろうか。


 涙ひとつ見せることもなく親父を立派に見送った母に、俺は尋ねてみた。

 母は台所に立っていて、親父の好きな巻き貝を茹であげたところだ。

 大鍋に山盛りの貝が湯気を立てている。潮の香りが家に充満する。


「……親父は幸せだったのだろうか」


 記憶と変わらない街で、記憶よりもずっと小さくなった母親が即答する。


「当然、幸せだったに決まってる」


 なんの疑問も抱いていない、まっすぐな言葉だ。


「最期の何日か、あんたと会えて、きちんと話せて。奇跡みたいじゃないか」

「母さんがそう言うなら、そうだったのかもな」


 俺は麦金色の髪をした魔女をちょっと思い出しながら頷いた。


「そうでしょう。きっとあの人なら、こう言うだろうね」

「……悪くない、って?」


 俺が言うと、母は少しだけ驚いた顔をした。

 そうして、俺が幼い頃に、若き母が夫である親父のことを見つめていたのと同じ表情で俺をじっと見上げた。


「ああ、そうさね。悪くないって言うだろうね」


 きっと、親父がこの人のことを愛していたのと同じように、この人も親父のことを「悪くない」と思っていたんだろう。

 小さな集落の貸本屋で俺を待っているであろう妻と娘の顔を思い出した。


「……そういえば、魔女の手紙屋は見つかったのか?」


 母は小さくかぶりをふる。

 麦金色の髪の、美しい魔女。

 突然の配達依頼の代金を払う宛てのなかった俺は、彼女が道中でやたらと美味そうに食べていた携行食の干し芋をありったけ押しつけた。

 集落で栽培しているもので、住人たちは飽き飽きしている干し芋だ。金はあとから必ず払う、と言ったのだけれど、あの女は「これで十分」といって同意をしてはくれなかった。


 彼女のおかげで、俺は生きている親父と話すことができた。

 書き写していた本の一節を、死の淵でまどろむ親父に読んで聞かせた。

 静かな時間だった。


 父が息を引き取ったあと、俺と母親はあの魔女と機械少女の二人組を探し回った。街に唯一の宿に連泊しているはずだと聞いたが、あの馬鹿みたいに目立つ大きなつば付き帽子を、何度尋ねても見つけることはできなかったのだ。

 まるで、魔法で遠ざけられてしまったかのように。


 母は空を見上げて、途方に暮れたように言った。


「きっと、またどこかへ手紙を運んでいったんでしょう」


 そうに違いない、と俺は思う。

 ああ、そろそろ帰らないといけない。

 もうじき集落の顔役の夫婦が、遠路はるばるケートラックでこの港町に野菜を売りにくるはずだ。帰りはそれに同乗させてもらおうと思っている。

 親切な彼らは、きっと快く荷台を貸してくれるだろう。

 山道はもう、こりごりだ。


 実家の小さな窓の外。

 街の外側に広がる陸地と、空を見つめる。

 あの麦金色の髪がどこかで風に靡いている様を思い浮かべて、俺は思った。


 このたった数日間の冒険を、書き残しておくのもいいかもしれない。

 花の名をつけた娘が大きくなって、それを読んだらどんな反応をするだろう。


 荒唐無稽な御伽噺だと笑うだろうか。それとも──。

 そんな未来はなんだか、悪くないような気がする。


 懐かしい故郷の海風を感じながら、俺は親父が遺書と呼んだ手紙をそっと開いた。



※※※



 ──おまえへ。


 むしのいいお話だけれど、この手紙をおまえがよむことがあったのならば、ばかな父親の、い書だとおもって、よんでほしい。


 そのあとは、捨てても、かまわない。

 

 字を、書くのは、いつぶりかも。おぼえていないが、よめるかどうか、さきに、かあさんに、よんでもらうつもりだ。


 海で生きることしか、知らなかった。

 自分の知らない道を、おまえに歩ませることを、ゆるせるだけの、器量もなかった。もう、奇跡のひとつでも、おきなければ、おまえにあうこともないだろう。だから、これをかいている。


 どうか、どこかで、元気で生きていてほしい。

 いつか、おまえがたっしゃで生きて、これをよんでくれたなら。

 それを想像すると、おれの一生は、わるくなかったような気がしてくる。


 おれがいなくなっても、おれの知らない場所で、おまえがこれをよむ。

 身勝手だが、おまえが、本をなりわいにしたいと、おもった理由が、すこしわかるかもしれない。こういう気持ちを、おまえは小さなころから、知ってたのか。


 おまえは、すごいなあ。


 おれが、あいつのことを、わるくないと思っているように、おまえにも、だいじな人ができたらいいと思う。


 あいつの名まえは、花の名まえだそうだ。

 山のてっぺんにさく、花。

 あいつはおれのだいじな、いちりんの花だ。

 そう、かあさんに、つたえておいてくれ。


 どうか、どうか幸せで。

 


 父



※※※


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