表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/44

配達完了


「大丈夫ー?」


 アンバーの声に、ジィナは手短に応えた。


「当面の稼働に問題はありません。ただし、損傷箇所多数」

「まじか。痛そう」

「自律式人型キカイに、本来的な意味での痛覚はありません」


 折れた腕をぶらさげて、平坦に告げるジィナ。

 アンバーは少しだけ困った顔で、相棒の頬の泥を拭った。


「ジィナが痛みを感じなくても、私が痛いんだ」

「妙なことを言いますね」


 助け起こしたジィナとしばらく話し込んだのちに、アンバーは先程まで隠れていた岩穴にむかって歩く。

 火熊の死骸には一瞥もくれない。

 仕留めた獲物にも武勲にも、少しも興味がないようだ。


「すげーな、おい」


 貸本屋が、なかば呆れたように呟く。

 アンバーはちょっとだけ肩をすくめてから、白い手を差し伸べた。


「さて……配達のご依頼だね」


 傾いた日がアンバーの麦金色の髪を照らす。

 放心ぎみだった男は、ハッとして荷物のなかの封筒の束を漁った。

 何通も積み重なった封筒の中から、男は一枚を選ぶ。


「手紙屋、これを届けてほしい」

「ずいぶん、分厚い手紙だねー」


 アンバーは目を丸くした。

 ずっしりと持ち重りがしそうな厚さだ。貴重な紙を費やして、何をこんなに書いたのか。


「これは、初めて本を仕入れたときに書いたものだ」


 貸本屋は、懐かしそうに目を細める。

 目の前にその日の風景を映しているかのように、瞳が揺らいだ。


「仕入れといっても、褒められたもんじゃない……越境戦役で放棄された町の本屋から、まだ読める本を拾ってきた」


 家を出てから五年経った頃のことだった、と貸本屋は呟く。


「ああ、やっぱり!」


 アンバーが、ぽんっと両手を合わせる。


「店に積んであった修繕中の本、どこから仕入れたのかと思っていたんだ-」


 廃れた街からあれらを拾い集めているわけだ。

 たしかに、それならば元手がなくとも本を商うことができる。

 

「ああ、数も頻度もたかがしれているが」

「謙遜するねー。できることを、できる範囲で成すことには意義があるよ。あの修繕、すごく丁寧でいい仕事だった」

「お、おう。魔女に褒められるとはな」


 男が僅かに口の端を歪ませる。

 照れているようだった。

 アンバーは、男が持参した手紙を一瞥する。


「分厚い封筒だ」

「……仕入れた本の書き抜きが入ってる。親父にも理解できそうな短い文章を書き写した」

「貸本屋がわざわざ写本かー。手間がかかったろうね」


 男は小さく頷き、続けた。

 書物を慈しむ気持ちが、表情から滲み出ている。


「こっちは貸本行商で北海まで行ったとき。これはあの集落の開拓がはじまったとき。妻と結婚したとき、娘が生まれたとき……」


 男は分厚い封筒を次々に指差して、淀みなく語る。書き付けた紙は、本の修繕に使う紙の切れ端を再利用したものだ。

 ──そこまで手間と時間をかけて、それでも父親に送ることのできなかった手紙たち。それらはすべて、彼のなかで積み重なっていた。


「……この手紙をあんたに託せば。そうすれば、あの街への道はわかるんだな?」


 まっすぐに投げかけられた男の問いかけに、アンバーは頷く。

 火熊を倒す魔術を行使するために、一度は解いた縁の糸──貸本屋と父を繋ぐ手紙は、ここにもある。

 男は封筒の束から、一通の手紙を取り出した。


「これを──娘が生まれたときの手紙だ」


 他の封筒とは違って、ごく薄手の封筒だった。

 貸本屋の男は手にした封筒をじっと見つめて、アンバーに告げる。


「結局、俺も親父と同じだよ。血迷って両親に感謝の手紙を書いたんだ。娘が生まれた夜に、変に感傷的になってさ」

「その手紙を故郷にいるご両親に届ける。それが君の願いだね?」


 貸本屋の男は、頷いた。


「そうだ。あんたに依頼する。これを……あの港町に届けてほしい」

 

 封筒に書かれた宛先の文字。

 それを指先ですこし撫でて、アンバーはふわりと微笑む。


「──いいだろう、今、(えにし)の糸は紡がれた」

 


 手紙の魔女は、麦金色の髪の毛を一本引き抜く。

 貸本屋の男から預かった封筒から、金色の糸が伸びていく。


 最後の小さな照れ隠しなのか。

 男がアンバーに託したのは、父親宛の手紙ではなかった。


 古びた封筒の表面。

 宛先を書くべきところに、彼の母親の名が書いてある。


 ……『アイーシャ』。


 彼の母親──港町でアンバーに手紙を託したショールの老婆の名だった。

 それは集落で父の帰りを待っている貸本屋の愛娘と、同じ名だった。





 海辺の街に、夕日が沈む。

 海から陸に向かって吹く風は、春を待つ淡い匂いを纏っている。

 街の片隅にある安宿屋の二階。女が窓の外を、ぼんやりと眺めていた。


「はー、参った。お客が来ないねー」


 女は──手紙の魔女アンバーは、数日前まで滞在していたのと同じ港町の、同じ宿屋の、同じ部屋で、今日も手紙配達の依頼を待っている。


 町から街を移動するのは、手紙を運ぶときだけ。

 それがアンバーが自らに課した旅のルールだ。


 受取拒否の手紙を運んで、元いた街に戻ってきた。

 だから、アンバーは今ここにいる。

 いくらかの報酬は受け取ったけれど、状況は振り出しに戻ってしまった。


 遠くに海が見える窓を開け放して、窓の桟に気だるげにもたれ、毛布にくるまって。眼下に広がる街並みを遠く眺めながら、アンバーは手にした干し芋をムシムシと咀嚼している。


「それ、ずっと食べてて飽きませんか?」


 室内にも関わらずモッズコートを着込んだままのジィナが、素朴な疑問を口にした。イカイ産の自律式人型キカイである彼女は、干し芋を食べない。

 右腕が三角巾で吊ってあるのは、魔獣・火熊との戦闘行為で受けた損傷だ。

 破損したジィナの右腕が自動的に快復しない。

 近いうちに修繕が必要になるだろうが、本人はいたって平然とした顔でベッドに腰掛けている。


「全然飽きないよー。この干し芋、なかなか美味しいの」

「……それにしたって、これは多すぎます」


 部屋の隅。小さな棚には、干し芋が詰まった袋が積み上げられている。

 保存食だからすぐに悪くなるものではないだろうが、この先数ヶ月は干し芋に困らない生活ができそうな量だ。


「お金もないし、配達で消耗したから腹ごしらえしなくちゃ」


 アンバーはにまっと笑って、ジィナに干し芋を見せつけるように食べる。

 世界の理を越えて、人の縁を可視化する魔法。

 アンバーが操るそれは通常の魔術よりも、魔力の消費が著しいのだ。

 ……見た目は至極地味なのに。


「そのことですが」


 と、ジィナが静かに問いかけた。


「一件目の依頼で以前までの滞在費は精算しました。山の中で受注した配達の依頼料は? それがあれば、困窮はしないはずでは」

「……私は魔女の手紙屋。依頼料は時価、だよ」


 干し芋をもちもちと噛みながら、アンバーは応えた。

 ねっとりと甘く、どこか懐かしい味がする。 

 ジィナもそれ以上、追求することはなく──とにかく、今は依頼人を待つしかないのだった。


「……まあ。しばらはく、朝から揚げ菓子(ドーナツ)を買いにいかなくてよさそうですね」


 干し芋の山を見つめながら、ジィナは言った。

 アンバーは「ええっ」と悲壮な声を上げる。


「あれ、好きなのにー」

「お金がなくちゃ買えません。今後、ジィナの修理代もかかりますので、お忘れなく」

「……はぁい」


 大きなつば付き帽子に埋もれるように、アンバーは窓にもたれかかった。

 船乗りのしるべ星が、暮れなずむ空に光っていた。風が吹いている。


 また風が依頼人を連れてきてくれるかもしれない、とアンバーは思った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ