配達完了
◆
「大丈夫ー?」
アンバーの声に、ジィナは手短に応えた。
「当面の稼働に問題はありません。ただし、損傷箇所多数」
「まじか。痛そう」
「自律式人型キカイに、本来的な意味での痛覚はありません」
折れた腕をぶらさげて、平坦に告げるジィナ。
アンバーは少しだけ困った顔で、相棒の頬の泥を拭った。
「ジィナが痛みを感じなくても、私が痛いんだ」
「妙なことを言いますね」
助け起こしたジィナとしばらく話し込んだのちに、アンバーは先程まで隠れていた岩穴にむかって歩く。
火熊の死骸には一瞥もくれない。
仕留めた獲物にも武勲にも、少しも興味がないようだ。
「すげーな、おい」
貸本屋が、なかば呆れたように呟く。
アンバーはちょっとだけ肩をすくめてから、白い手を差し伸べた。
「さて……配達のご依頼だね」
傾いた日がアンバーの麦金色の髪を照らす。
放心ぎみだった男は、ハッとして荷物のなかの封筒の束を漁った。
何通も積み重なった封筒の中から、男は一枚を選ぶ。
「手紙屋、これを届けてほしい」
「ずいぶん、分厚い手紙だねー」
アンバーは目を丸くした。
ずっしりと持ち重りがしそうな厚さだ。貴重な紙を費やして、何をこんなに書いたのか。
「これは、初めて本を仕入れたときに書いたものだ」
貸本屋は、懐かしそうに目を細める。
目の前にその日の風景を映しているかのように、瞳が揺らいだ。
「仕入れといっても、褒められたもんじゃない……越境戦役で放棄された町の本屋から、まだ読める本を拾ってきた」
家を出てから五年経った頃のことだった、と貸本屋は呟く。
「ああ、やっぱり!」
アンバーが、ぽんっと両手を合わせる。
「店に積んであった修繕中の本、どこから仕入れたのかと思っていたんだ-」
廃れた街からあれらを拾い集めているわけだ。
たしかに、それならば元手がなくとも本を商うことができる。
「ああ、数も頻度もたかがしれているが」
「謙遜するねー。できることを、できる範囲で成すことには意義があるよ。あの修繕、すごく丁寧でいい仕事だった」
「お、おう。魔女に褒められるとはな」
男が僅かに口の端を歪ませる。
照れているようだった。
アンバーは、男が持参した手紙を一瞥する。
「分厚い封筒だ」
「……仕入れた本の書き抜きが入ってる。親父にも理解できそうな短い文章を書き写した」
「貸本屋がわざわざ写本かー。手間がかかったろうね」
男は小さく頷き、続けた。
書物を慈しむ気持ちが、表情から滲み出ている。
「こっちは貸本行商で北海まで行ったとき。これはあの集落の開拓がはじまったとき。妻と結婚したとき、娘が生まれたとき……」
男は分厚い封筒を次々に指差して、淀みなく語る。書き付けた紙は、本の修繕に使う紙の切れ端を再利用したものだ。
──そこまで手間と時間をかけて、それでも父親に送ることのできなかった手紙たち。それらはすべて、彼のなかで積み重なっていた。
「……この手紙をあんたに託せば。そうすれば、あの街への道はわかるんだな?」
まっすぐに投げかけられた男の問いかけに、アンバーは頷く。
火熊を倒す魔術を行使するために、一度は解いた縁の糸──貸本屋と父を繋ぐ手紙は、ここにもある。
男は封筒の束から、一通の手紙を取り出した。
「これを──娘が生まれたときの手紙だ」
他の封筒とは違って、ごく薄手の封筒だった。
貸本屋の男は手にした封筒をじっと見つめて、アンバーに告げる。
「結局、俺も親父と同じだよ。血迷って両親に感謝の手紙を書いたんだ。娘が生まれた夜に、変に感傷的になってさ」
「その手紙を故郷にいるご両親に届ける。それが君の願いだね?」
貸本屋の男は、頷いた。
「そうだ。あんたに依頼する。これを……あの港町に届けてほしい」
封筒に書かれた宛先の文字。
それを指先ですこし撫でて、アンバーはふわりと微笑む。
「──いいだろう、今、縁の糸は紡がれた」
手紙の魔女は、麦金色の髪の毛を一本引き抜く。
貸本屋の男から預かった封筒から、金色の糸が伸びていく。
最後の小さな照れ隠しなのか。
男がアンバーに託したのは、父親宛の手紙ではなかった。
古びた封筒の表面。
宛先を書くべきところに、彼の母親の名が書いてある。
……『アイーシャ』。
彼の母親──港町でアンバーに手紙を託したショールの老婆の名だった。
それは集落で父の帰りを待っている貸本屋の愛娘と、同じ名だった。
◆
海辺の街に、夕日が沈む。
海から陸に向かって吹く風は、春を待つ淡い匂いを纏っている。
街の片隅にある安宿屋の二階。女が窓の外を、ぼんやりと眺めていた。
「はー、参った。お客が来ないねー」
女は──手紙の魔女アンバーは、数日前まで滞在していたのと同じ港町の、同じ宿屋の、同じ部屋で、今日も手紙配達の依頼を待っている。
町から街を移動するのは、手紙を運ぶときだけ。
それがアンバーが自らに課した旅のルールだ。
受取拒否の手紙を運んで、元いた街に戻ってきた。
だから、アンバーは今ここにいる。
いくらかの報酬は受け取ったけれど、状況は振り出しに戻ってしまった。
遠くに海が見える窓を開け放して、窓の桟に気だるげにもたれ、毛布にくるまって。眼下に広がる街並みを遠く眺めながら、アンバーは手にした干し芋をムシムシと咀嚼している。
「それ、ずっと食べてて飽きませんか?」
室内にも関わらずモッズコートを着込んだままのジィナが、素朴な疑問を口にした。イカイ産の自律式人型キカイである彼女は、干し芋を食べない。
右腕が三角巾で吊ってあるのは、魔獣・火熊との戦闘行為で受けた損傷だ。
破損したジィナの右腕が自動的に快復しない。
近いうちに修繕が必要になるだろうが、本人はいたって平然とした顔でベッドに腰掛けている。
「全然飽きないよー。この干し芋、なかなか美味しいの」
「……それにしたって、これは多すぎます」
部屋の隅。小さな棚には、干し芋が詰まった袋が積み上げられている。
保存食だからすぐに悪くなるものではないだろうが、この先数ヶ月は干し芋に困らない生活ができそうな量だ。
「お金もないし、配達で消耗したから腹ごしらえしなくちゃ」
アンバーはにまっと笑って、ジィナに干し芋を見せつけるように食べる。
世界の理を越えて、人の縁を可視化する魔法。
アンバーが操るそれは通常の魔術よりも、魔力の消費が著しいのだ。
……見た目は至極地味なのに。
「そのことですが」
と、ジィナが静かに問いかけた。
「一件目の依頼で以前までの滞在費は精算しました。山の中で受注した配達の依頼料は? それがあれば、困窮はしないはずでは」
「……私は魔女の手紙屋。依頼料は時価、だよ」
干し芋をもちもちと噛みながら、アンバーは応えた。
ねっとりと甘く、どこか懐かしい味がする。
ジィナもそれ以上、追求することはなく──とにかく、今は依頼人を待つしかないのだった。
「……まあ。しばらはく、朝から揚げ菓子を買いにいかなくてよさそうですね」
干し芋の山を見つめながら、ジィナは言った。
アンバーは「ええっ」と悲壮な声を上げる。
「あれ、好きなのにー」
「お金がなくちゃ買えません。今後、ジィナの修理代もかかりますので、お忘れなく」
「……はぁい」
大きなつば付き帽子に埋もれるように、アンバーは窓にもたれかかった。
船乗りのしるべ星が、暮れなずむ空に光っていた。風が吹いている。
また風が依頼人を連れてきてくれるかもしれない、とアンバーは思った。