第9話 記憶のベンチ
陽依は考え込んだ。父は何かヒントを残しているのだろうか。
「分かりました、探してみます」
「気をつけてください。あなたたちは常に監視されています」瀬崎は警告した。「私からまた連絡します」
電話が切れると、陽依は皆に状況を説明した。
「お父さんが捕まってる……」陽依の声は震えていた。
「拓己博士が……」シアも動揺していた。「私のせいで……」
「あなたのせいじゃないよ」陽依はシアを見つめた。「お父さんは自分の意志でこれをやったんだ」
黒崎が冷静な声で言った。「バックアップデータか。どこにあると思う?」
「わからない……」陽依は頭を抱えた。「お父さんは『私なら見つけられる』と言ったらしいけど……」
「何か特別な場所はない?」香澄が尋ねた。「2人だけの思い出の場所とか」
陽依は考え込んだ。父との思い出……。突然、彼女の目が輝いた。
「もしかして……!」
「思いついたの?」香澄が身を乗り出した。
「小さい頃、お父さんとよく行った場所があるんだ。科学博物館の近くの公園。そこで初めてプログラミングを教えてもらったんだ」
「その公園に何かあるかもしれないね」香澄は言った。
「行ってみる価値はある」黒崎も同意した。
「でも、外は危険だよ」陽依は不安そうに言った。「あの人たち、まだ探してるはず」
黒崎は席を立ち、部屋の奥へ向かった。引き出しを開け、バックパックにいくつかの道具を詰めていく。何に使うのかはわからなかったが、動きには迷いがなかった。
「これ」もうひとつのバッグを陽依に手渡しながら言う。「内張りに金属繊維が入ってる。通信妨害くらいはできる。シアはここに」
陽依は感謝の気持ちで黒崎を見た。普段は無口で冷たい彼が、こんなにも頼りになるとは思わなかった。
「……ありがとう、黒崎」
黒崎は少し照れたように視線をそらした。「行くぞ」
4人は準備を整え、黒崎の家を出た。夕方の人混みに紛れるように、それぞれが足早に歩く。シアのクリスタルは陽依のバックパックの中に安全に収められていた。
科学博物館までは電車で30分ほどの距離だった。車内では誰も話さず、周囲を警戒していた。幸い、不審な人物は見当たらなかった。
博物館に到着すると、4人は隣接する公園へと向かった。陽依の記憶を頼りに、特定のベンチを探す。
「ここだ」陽依は一つのベンチを指さした。「このベンチでお父さんとよく休んだんだ」
4人はベンチを調べ始めた。表面、裏側、周囲の地面。しかし、何も見つからない。
「何もないね……」香澄は肩を落とした。
陽依は困惑していた。「おかしいな……ここだと思ったのに」
その時、シアが小さな声で言った。「陽依さん、バックパックから出してもらえますか?何か感じるんです」
陽依は周囲を確認し、人気がないことを確かめてからバックパックからシアのクリスタルを取り出した。シアのホログラム体が現れる。
「あなたがこのベンチを見たとき、脳波に微細な変化がありました。意識には上がっていない記憶が反応しています」
陽依は思い出そうとした。「特別な記憶……そうだ!このベンチの下に、お父さんと一緒に私たちの名前を刻んだんだ!」
陽依はベンチの下を覗き込んだ。そこには確かに、小さな文字で「拓己&ひより」と刻まれていた。その横には小さな矢印があり、ベンチの脚の方を指していた。
「見て!」陽依は興奮して言った。
黒崎がベンチの脚を調べると、一つの脚に小さな隙間があることに気づいた。慎重に指を入れると、何かが引っかかった。
「何かある」
黒崎は小さなドライバーを取り出し、ベンチの脚を開けた。中には小さなポータブルメモリが隠されていた。
「見つけた!」陽依は喜びの声を上げた。
その瞬間、公園の入り口に黒い車が停まるのが見えた。
「やばい、来た!」香澄が小声で叫んだ。
車から2人の男性が降りてきた。一人は昨日陽依の家を訪れた技術者、もう一人は初めて見る厳しい表情の中年男性だった。
「御影部長……」シアが震える声で言った。
「隠れるぞ」黒崎は冷静に言った。
4人は身を低くし、木々の間を縫うように走った。
御影と技術者は公園を見回し、ベンチに近づいていた。
「センサーによると、シアのシグナルがここで検知されました」技術者が言った。
「探せ」御影は冷たく命じた。
走りながら、陽依が息を切らしつつ言った。
「御影たち、なんで場所がわかったんだろう……」
「たぶん、シアのコアが何らかの信号を出してる。まさかとは思ったが……」
「じゃあ……ホログラムを出すと、探知されやすくなる?」
「可能性は高いな。演算処理が増えれば、シグナルも強くなる。なるべく起動は控えた方がいい」
陽依はクリスタルを強く握りしめた。
逃げ込みながら、4人は茂みの奥へ身を潜めた。陽依はすぐにクリスタルをバックパックにしまい、ファスナーを静かに閉じた。
御影たちがベンチの周りを調べている間、黒崎が小声で言った。「裏口から抜けるぞ。俺が合図したら、一斉に走れ」
全員が小さく頷いた。