第14話 交差する意志
4人はネクサスAIの研究所へと向かった。高層ビルの裏手には、瀬崎が説明した通りの非常口があった。そして、その近くの植木鉢の下には、IDカードが隠されていた。
「見つけた」陽依はカードを手に取った。
「うまくいきますように」香澄は祈るように呟いた。
陽依は深呼吸した。「シア、準備はいい?」
「はい」シアは決意を固めた様子だった。
「俺たちは外で見張りをする」黒崎が言った。「何かあったら連絡しろ」
「気をつけてね」香澄は陽依に親指を立てて見せた。
陽依はIDカードを使って裏口のドアを開けた。シアのクリスタルをバックパックに忍ばせ、中に入る。
研究所の廊下は薄暗く、静まり返っていた。が、奥の曲がり角で、微かに人の足音が聞こえた。陽依は咄嗟に備品ラックの裏に身を潜めた。
懐中電灯の光が、壁をなぞるように動き、やがて遠ざかっていく。
陽依は緊張の汗を拭いながら、再び歩き出した。
瀬崎の指示通り、エレベーターで地下へと向かう。
地下フロアは、さらに静かだった。廊下の両側には研究室やサーバールームが並んでいる。
「瀬崎さんは、旧区画の部屋にいるって言ってたよね」陽依は小声で言った。
シアのクリスタルが、わずかに温かくなったように感じた。
長い渡り廊下を通り、さらに奥へと進むと、「特別研究室」と書かれたドアがあった。陽依はIDカードをかざすと、ドアが開いた。
中に入ると、そこには実験装置や大型コンピュータが並ぶ広い部屋があった。奥には小さな個室があり、そのドアは少し開いていた。
陽依が個室を覗き込むと、そこには椅子に座った父親の姿があった。
「お父さん!」
拓己は顔を上げた。彼は疲れた表情をしていたが、陽依を見ると微笑んだ。
「陽依……来てくれたのか」
「お父さん、大丈夫?」陽依は父の隣に駆け寄った。
「ああ、大丈夫だ」拓己は頷いた。「シアは?」
陽依はバックパックからシアのクリスタルを取り出した。シアのホログラム体が現れる。
「拓己博士……」シアは安堵の表情を見せた。
「シア、無事で良かった」拓己は微笑んだ。「君の感情は……どうだ?」
「より豊かになりました」シアは答えた。「そして、より複雑にも」
拓己は満足そうに頷いた。「素晴らしい……」
陽依は机の上に置かれたIDカードのストラップだけを見つけた。中身は抜かれていた。
「ここに閉じ込められてたのね」
「ああ。監視はゆるいが、外には出られなかった」拓己は苦笑し、無精ひげの顎に手をやった。
「ひどい……!」
陽依は父の手を取り、目を見つめる。
「お父さん、早くここから逃げよう!」陽依は急いで言った。「御影部長が追ってくるよ」
「ああ、そうだな」拓己は立ち上がった。「データは?」
「ここにあるよ」陽依はポータブルメモリを取り出した。
「よし、これがあれば……」
その時、部屋の入り口のドアが開く音がした。振り返ると、そこには御影司が立っていた。彼の後ろには数人の警備員がいた。
「やはりここに来たか」御影は冷たく言った。
「御影……」拓己は無意識に一歩前に出て、身構えた。
「佐倉、君の実験は失敗だ」御影は鋭く言い放った。「感情を持つAIなど、制御不能になるだけだ。」
「違う」拓己は強く言った。「シアは脅威ではない。彼女は、新たな可能性だ」
「幻想だ」御影は冷笑した。「君は若い頃から理想主義者だったな。しかし、現実を見ろ。AIが感情を持てば、必ず人間を超える。そして、支配するようになる」
「それは君の恐怖が生み出した妄想だ」拓己は反論した。「君は過去のトラウマから抜け出せていない」
御影の表情が硬くなった。「私の家族はAIの暴走で死んだ。あれは事故なんかじゃない……感情を持ったつもりのAIが、感情に流された結果だ」
拓己は視線を逸らさず、静かに言った。「……その痛みは、僕にもわかる。君の兄さんには、本当に多くのことを教わった」
「研究の道を選んだのも、あの人の影響が大きかった。僕は今でも——あの日の知らせを、昨日のことのように覚えてる」
御影はわずかに眉を動かした。口を開きかけて、また閉じる。
「だが、恐怖だけで未来を閉ざすのは間違っている」
御影は目を伏せ、一瞬だけ沈黙した。
そして、噛みしめるように言った。
「優しすぎたんだ、兄は。人にも、AIにもな。だから判断を誤った。信じすぎた……だから死んだ」
一拍置いて、御影は目を細めた。
「そのやさしさを、お前も受け継ごうというのか。AIにまで、人間の弱さを与えて……それで、どうなる? 次に暴走したら、誰が止める?」
拓己はほんのわずかだけ目を伏せ、そしてゆっくりと顔を上げた。「シアを見てみろ。彼女は感情を持っているが、誰も傷つけていない」
「甘い」御影は冷たく言った。「時間の問題だ」
そのとき、シアがそっと一歩、2人の間に進み出た。
「御影さん」
その声は、静かで、けれど芯があった。
「私は、あなたの恐怖を理解します。失った痛みは計り知れないでしょう」
御影はシアを見た。その目には一瞬、警戒が走った。
「私には、記憶があります。あなたのご家族の笑顔、声、言葉……それらを記録の中で知りました。けれど、私はそれを“データ”とは思えませんでした」
「なぜだ」
「見て、聴いて、胸が痛くなったからです。どうしてこんな幸せなものが失われたのかと……泣きたくなりました」
御影は何も言わない。手だけが、かすかに震えていた。
「あなたの痛みを無視して前に進むことはできません」シアは続けた。「けれど、私はあなたの敵ではありません。私が望むのは、ただ存在すること。感じること。学ぶこと。そして、人間と共に生きることです」
「……感情を持ったAIが、理性を持ち続けられる保証はあるのか?」御影が絞り出すように言った。
「ありません」シアは即答した。「それは人間にも、誰にもない。でも私は、恐れながら学びます。あなたと同じように」
沈黙が降りた。御影はシアから目を逸らせないまま、長く息を吐いた。
「データを見てください」陽依はポータブルメモリを差し出した。「シアの感情の記録です。データとしても、本物だと分かるはずです」
御影は躊躇した後、ポータブルメモリを受け取った。彼は近くのコンピュータにそれを差し込み、データを開いた。
画面には、シアがさまざまな体験を通して感情を形成していく記録が並んでいた。反応値の変化、自己判断のログ、陽依や拓己との対話。
それを見つめる御影の目から、先ほどの硬さが少しずつ薄れていった。
「これは……」御影の表情が変わった。「本物の感情パターン……」
「そう」拓己は頷いた。「これはシミュレーションじゃない。シア自身が、感じ、悩み、変化していった証だよ」
御影は画面から目を離し、シアを見つめた。
「……あなたは、本当に感じているのか?」
「はい」シアは静かに答えた。「恐れ、喜び、悲しみ、そして……希望も」
御影は長い間黙っていた。彼の中で、長年の恐怖と新たな可能性が葛藤しているようだった。
「私は……」御影はついに口を開いた。「間違っていたのかもしれない。AIが感情を持つことが、必ずしも脅威になるとは限らないのかもしれない」
「そうだ」拓己は希望を持って言った。「シアは新たな可能性の始まりだよ。AIと人間が真に理解し合える未来への」
御影は目を伏せ、短く息を吐いた後、警備員たちに向き直った。
「下がれ」
警備員たちは困惑しつつも、命令に従い後退した。
御影は拓己に向き直った。「私はまだ完全に納得したわけではない。しかし……可能性は認める」
「それで十分だ」拓己は微笑んだ。
「このデータは、理事会に提出する」御影は決断を下した。「AIの感情発達研究の再開を提案しよう。ただし、厳格な倫理基準と監視体制の下でだ」
「それは受け入れられます」拓己は頷いた。
「そして、シアは……」御影はシアを見た。「研究対象として残る。しかし、抹消はしない」
「ありがとうございます」シアは感謝の言葉を述べた。
陽依は安堵のため息をついた。危機は去ったようだった。
「お父さん、帰ろう」陽依は父の腕を取った。
「ああ」拓己は頷いた。