第10話 逃走と証拠
御影たちがベンチから離れた瞬間、黒崎が「今だ」と言った。
4人は一斉に立ち上がり、公園の裏口へと走り出した。
「あそこだ!」御影の声が背後で響いた。
振り返ると、御影と技術者が追いかけてきていた。
「急げ!」黒崎が叫んだ。
4人は全力で走った。公園を出て、混雑した商店街へと飛び込む。人ごみの中を縫うように進み、追手を振り切ろうとした。
「こっち!」香澄が小さな路地を指さした。
路地に入り、さらに複雑に入り組んだ道を進んでいく。しばらく走った後、4人は人気のない裏通りで立ち止まった。
「振り切れたかな……」陽依は息を切らしながら言った。
「とりあえず、ここは安全そうだ」黒崎は周囲を確認した。
陽依はポケットからポータブルメモリを取り出した。
「これを見れば、何かわかるかも」
「でも、どこで見るの?」香澄が尋ねた。
黒崎が考え込んだ後、言った。「俺の家は危険だ。彼らはもう知っているかもしれない」
「うちも同じね」香澄も頷いた。
陽依は思いついた。「図書館はどう?視聴覚コーナーに調査用の端末があった気がする」
「いいな。しかもネットワークは限定接続だ。安全性も悪くない」黒崎が頷いた。
4人は人気のない裏道を抜けて、図書館の通用口から静かに入った。
奥の資料閲覧室へ進むと、窓際に一台だけ使われていない端末があった。
黒崎が確認してから電源を入れる。「スタンドアロンだ。問題ない」
陽依はポータブルメモリをコンピュータに差し込んだ。画面にはパスワード入力画面が表示された。
「パスワード……」陽依は考え込んだ。
「何か思い当たることは?」香澄が尋ねた。
陽依はしばらく考えた後、「Synchronicity」と入力してみた。しかし、不正解だった。
「違うか……」
次に「Himari」と入力。これも不正解。
思いつく限りの言葉を入力してみたが、画面は変わらないままだった。
「お父さんが私に見つけられると思ったパスワード……何だろう」
陽依はバックパックに手を添え、小声で呼びかけた。「シア」
「はい。応答モードです」
「……何か、わかることある?」
わずかな沈黙のあと、バックパックの奥から微かに声が返る。「拓己博士が大切にしていた言葉や日付はありませんか?」
陽依は突然思いついた。「そうだ!お母さんと結婚した日……」
陽依は日付を入力した。「20300614」
画面が変わり、ファイルが開いた。
「開いた!」
陽依がフォルダを開くと「SIA_CORE」の中に3つのサブフォルダが現れた。「EMO_DATA」「SYNC_PROT_v1.4」「EVD」。
陽依は「EMO_DATA」を開いた。そこには、シアの感情発達の記録が詳細に残されていた。脳波パターンのグラフ、感情反応の数値データ、そして短い動画ファイルもあった。
「これが証拠になるの?」香澄が尋ねた。
「ああ」黒崎は画面を見ながら言った。「これは、シアの内部状態が感情と呼べるレベルに到達していることを裏付けるデータだ。単なる反応のスクリプトじゃない」
シアは自分のデータを見て、静かに言った。「これが……私の心の記録」
黒崎は目線を移した。「エビデンス──証拠ってことか」
「EVD」フォルダには、御影の不正行為に関する証拠も含まれていた。彼がAIの感情発達研究を妨害していたこと、データを改ざんしていたことを示す文書やメールのコピーがあった。
「これで御影部長を止められるかも」陽依は希望を持って言った。
「でも、誰に見せればいいの?」香澄が現実的な問題を指摘した。
その時、陽依のスマートデバイスが鳴った。瀬崎からだった。
「瀬崎さん、データを見つけました!」陽依は興奮して言った。
「よかった」瀬崎の声には安堵が混じっていた。「今から言う場所に来てください。ネクサスAIの研究者たちが集まっています。彼らにそのデータを見せれば、御影部長を止められるかもしれません」
瀬崎は場所を伝えた。市内のとあるカフェだった。
「分かりました、今から向かいます」
電話を切ると、陽依は皆に状況を説明した。
「行こう」黒崎は立ち上がった。「でも、注意が必要だ。罠かもしれない」
「でも、他に選択肢はないよね」香澄も言った。
シアは決意を固めたように言った。「行きましょう。私の存在の意味を証明するために」
4人はコンピュータ室を出て、慎重に図書館を後にした。これから向かう場所でシアの運命が決まるかもしれない。そして、AIと人間の新たな関係の可能性も。
陽依はバックパックを胸元に引き寄せ、心の奥で静かに誓った。
ーー必ず守るよ、シア。あなたの自由を。