赤い月の弟子
前線を進む事数時間後、昼間に来ていたとしても薄暗いであろう森の中に小さな集落があった。
ボロボロで、中から人の気配は一切しない。
だが、クモの巣のような物だけはそこらじゅうにある。
ここが、悪魔の巣だ。
「ミファ、ここだな」
彼女も頷いている。
よし、これなら全てを焼き尽くす事が出来……る?
腹部に違和感。
ヒヤッとした感覚。
何だ、これ。
腹から、黒く細長い物が生えている。
それには細かな毛が生えていて気持ちが悪い。
俺がそれを蜘蛛の悪魔の足だと理解した瞬間から、強烈な痛みに襲われた。
「ッッッ!」
声の出ない程の痛み。
体が痛みから逃れようと、魔力を魔術で刃にして足を切断してそこから転がるように逃げ出した。
背後に居た個体はさっきまでの悪魔と違った。
大きさは俺の数倍。
魔力は感じ取れない。
だけどさっき足を斬った時、魔力の流れる物を切断する時特有の弾力のある抵抗感があったから、多分魔力は持っている。
痛い、でも、落ち着け。
まずは、傷口を塞がねぇと……。
「キュアメデック……」
痛みと出血が酷い。
さらに不慣れな魔術。
魔力の変換効率は最低だったが、出血を止めるぐらいは出来た。
「バックブースト!」
後方に飛ぶ魔術で距離を取る。
コイツの魔力は感知しにくい、目視で捉えるべきだ。
他の悪魔の反応は無い。
だがコイツ一匹だと思いこむのは危険だ……。
なら、こいつごと吹っ飛ばすのみ!
悪魔が何かを察したのか、糸を飛ばしてくる。
広く、逃げ場のない網目状だ。
でも、燃えやすいだろ!
「フレイムシールド!」
炎の盾を呼び出すと、俺の予想通り糸はまるで熱されたフライパンに一滴だけ水を垂らした時のように、音を少し立てて消えていく。
このまま、盾で守りつつ倒せばいい。
「アメア!」
……魔術が発動しない。
術式を間違えている?
それはない、頭の中に術式は教えてもらった時と変わらない長さと正確さを守っている。
なのに……ッ!
全身の筋肉が痛む。
この感じ……魔力が足りてないんだ。
だけど、ラエルさんはこの魔術は一日二回まで使えると言っていたのに……何で……。
キュアメデックにバックブースト、それにフレイムシールドまで使ったからだ。
魔力量を確認すると……おい、これどうなってんだ。
魔力の最大値が二割程減っている。
この状態で既に一度アメアを使っているし……魔力が、もう無い。
「来るなッ!」
足がもつれて動かない。
腕は痙攣し、魔力の無くなった今となっては役に立たない杖すらも持つ事が出来ない。
絶望が、近づいてくる。
口を開き、俺を食べようと近づいてくる。
真っ黒な塊に浮かぶ赤色の無数の目。
それの全てが俺の命を狙っている。
魔力が無いせいか、俺の恐怖心がそうさせているのか、悪魔の姿がさっきよりも大きい気もする。
嫌だ。
死にたくない。
でも出来る事は何もない。
「ミファ……」
見えていた彼女も、既に居ない。
手の届く範囲にあるのは、確実な絶望のみ。
『わたしね、あの旅の人に魔術を教えてもらったんだ!』
『魔術!? すごいよミファちゃん!』
『これからいっぱい修行するの! それでね、いつか必ず、ナーパム君の事守ってあげる!』
『ナーパム君は魔術師になりたい?』
『そりゃなりたいよ! だって、強くなって悪魔を倒したいもん!』
『そっか、なら……』
『ミファちゃん!?』
『どう? これからはこれぐらいのセミロング? でいく事にしたの!』
『腰ぐらいまである長い髪も似合ってたと思うけど、それも似合ってるんじゃないかな』
『ナーパム、ほら、特別魔術科の入学許可症を持ってきましたよ』
『え……まじで俺も行くの?』
『まさか幼馴染を一人で行かせるんですか? ナーパムは甲斐性無しではありませんよね?』
小さい頃の記憶から、最近の記憶までが鮮明に蘇る。
まるで昨日の事のように、全てがはっきりと見えている。
ああ、これが走馬灯ってやつなのか。
『ナーパムは何もしなくていいんです、困ったらこう言うだけで悩みも辛い事も、全て解決しますからね』
「助けて……ミファ……」
俺は凡人だ。
天才のミファに並ぼうとしたのが間違いだった。
彼女は、何も間違っていなかった。
大人しく……守られていればよかった。
「ナーパムッ!」
血を流し過ぎた、意識が朦朧とする。
今まで見えていた彼女よりも、リアルな彼女が……。
最後に幻覚でも影でも、ミファを見れてよかった。
「ピリラ式英雄魔術! "赤い空"!」
「よくもナーパムを……私の、私だけのナーパムに傷をつけたな! ピリラ式転生魔術……"黒い月"ッ!」
薄れゆく意識の中で、俺は真っ赤な空と、黒い星を見た。
目が覚めた時、俺は自室の、自分のベッドにいた。
俺は……死んでない、生きている。
腹部から伝わる痛みが、俺が生きている事を確実な感覚として教えてくれる。
「……ミファ」
ベッドの横に置かれた椅子に、ミファがいる。
彼女の周囲には様々な治療用具と回復魔術についての本が散らかっていて、俺の手当ての為に色々としてくれていたのが嫌でも分かる。
そんな彼女は、俺のベッドに突っ伏すように眠っていて、普段綺麗に手入れされている髪の毛は少しだけ、癖がついてしまっていた。
……どれだけ眠っていたんだろう。
どれだけ彼女が心配しただろう。
「お前、結構髪に癖あるんだな」
上半身を起こし、彼女の髪を触る。
普段程では無いが、それでもやはりツヤツヤしていて、サラサラと手触りがいい。
それにいい匂いもする。
前から疑問だったんだが、俺とこいつは同じ髪を洗う薬品を使っているのに、全然匂いが違うんだよな。
少し離れていただけなのに、この匂いがたまらなく……落ち着くんだ。
……少しだけ、少しだけならいいよな。
「スー、ハー……甘くて、優しい匂い、ミファの匂いだ」
もっと、もっとミファを……。
髪の毛を掻き分けて彼女の横顔を見ると、真っ赤になった彼女と目があった。
「えっと……元気で嬉しいのですが、流石にその、いきなり髪の毛を触られて匂いを嗅がれるとは予想してませんでした……アハハ」
……やっぱあの時死んどけばよかった。
「……今すぐ殺してください、せめて殴って下さい」
「驚いただけですから……ほら、髪と私の匂いが好きなんですよね、今だけは堪能していいですよ」
「そういう訳じゃ……その」
ミファはベッドで眠る俺の隣に座った。
そして、俺の肩に頭を乗せる。
「なら私は自分の意志でこうしていますから、ナーパムが何をしていても知らない事にします」
温かい彼女の体温が伝わる。
あの冷たい前線には無くて、俺がずっと求めていた物。
居るのが当たり前のようになっていた、だが今ならはっきりと分かる。
俺の一番大切な物だ。
「……ごめん」
俺は謝っていた。
彼女のいう事は正しかったのに、俺は感情でそれを否定したから。
勝手に前線に行ったから。
色々と謝らないといけない事がある。
だけど、俺は今。
「何がごめん、なんですか?」
「勝手な事をしたし、お前の考えが正しいのにそれを信じずに感情で否定したし……だから」
ミファが居なくなる事、ミファに見捨てられる事だけを恐れている。
「ミファ……お願いだから……見捨てないで……」
悪魔の群を相手するよりも。
死ぬかもしれない戦いよりも。
彼女が居なくなる方が怖い。
「……今から私がナーパムにしてきた事を全て話します」
「俺にしてきた事……?」
「はい、それを聞いた上で……決めて下さい」
ミファは、優しい顔で、ゆっくりと話を始めた。




