「天使様」
レストランのテラス席。視界を巡らせれば住人たちが行き交う姿が目に入る。
通り過ぎる者もあれば、会話を楽しみつつある光景。その穏やかな様子とは別で、なにやらもめているような様子がクロトの視線を誘導させた。
「お願いです! どうか……!」
一般人が街を警備していた兵にへと懇願し縋りついている。
見るからになよなよとし、どこにでもいそうな男性。必死と声を出して願うも、その願いを聞き届けられない兵はしつこい彼を無意識に突き飛ばしてしまう。
これは、例え兵であろうが誰だろうが、鬱陶しいと思われて仕方のない様子だった。突き飛ばされた男に同情もできない。
「す、すまない……っ。だが、何度も言っている通り、その付近では未だ魔物が殺気立っている。危険なため、諦めてくれ」
兵はどうにか謝り、そして関わらないようにと逃げる様に去って行く。
話の内容からして、男は無理を兵に頼み込んでいたのだろう。それは断られても仕方がない。100歩譲っても男が悪く見えてしまい、行き交う人々も一時期止めていた動きをやめて見て見ぬふりだ。
当然。これを見たからと言って、クロトが救いの手を差し出すこともない。
『う~っわ。街中でもめてるとか、入り口のとこ以外でも警備様方は大変だね~』
「それは俺が迷惑だとでも言っているのかクソ蛇?」
『過剰な反撃すんのもどうかってやつー』
「チッ。とりあえず、ああいうのには関わらない事が一番だからな、エリー」
関わる相手は選ぶべきだ。面倒な者と関われば、よくない事に繋がる可能性が多々ある。それを見越して、クロトは注意と今後のためを思い言い聞かせる。
……が。向き直った時にはエリーの姿は席にはなかった。
おかしい。先ほどまで残り少しのパンを食していた記憶があるというのに、その姿は忽然と消えていた。
「……」
若干、不快な表情をしたクロト。次に顔を向けたのは、先ほどの騒動の方角だ。
案の定。エリーが突き飛ばされ地に伏せていた男のもとに駆け寄っている。
エリーの長所。他人想い。
エリーの短所。無駄なまでの御人好し。
良さと悪さを兼ね備えた善人の魂だ。
「…………またか」
『そう言ってやんなって。姫君の優しさと心の広さは世界規模なもんで。…………でもそろそろ加減を学んでほしいよな』
良くも悪くも、それがエリーという少女だ。
クロトは残りのコーヒーを一気に飲みほす。
「うぅ……」
男はむくりと身を起こす。
大きな丸眼鏡をしており、倒れた拍子にずれたのか整える。
「あの。大丈夫ですか?」
誰も気にせず通り過ぎた後。白けた場に救いの手が差し伸べられた。
男はその手に視界が動き、しばし眩い光に見惚れてしまう。
そこには、少女が立っていた。日の光を背に、金の髪は煌めき、後光と合わさり、まるで天より舞い降りた、空想で語られる天使に見えたことだろう。
「……天使」
「…………え?」
あまり聞きなれない言葉に、エリーは小首を傾けた。
呆気にとられていれば、男は差し出した手をがっしりと掴み、瞳を輝かせて迫りよる。
「貴方は、天使様ですか!?」
何を勘違いしたのか、エリーを天使と見て、期待と熱いまなざしでいた。まるで、崇拝している信者のまなざし。
そういった、崇める様な仕草に、エリーは驚き。
「えええ!? ち、違いますけどっ」
きっぱりと、自分は天使ではないと断言する。
しかし、その声は届いていないのか、彼の輝く眼差しを覆すことはできず……。
困惑している最中、それはまるで無礼を働いた者への罰かの如く、男の頭部が天から踏みつけられ地に落とされる。
ようやく手が離れたと思えば、状況を確認してエリーは言葉を失う。
先ほどまで手を握ってきていた男を、クロトが踏みつけていたのだ。それも、これでもかとぐりぐりと靴底を擦らせてもいた。
「なに勝手に迫ってんだよ? 通報すっぞ?」
『むしろ極刑で焼いてやろうぜクロト。俺が許す』
「ていうか、こういう奴をどうにかできねー警備の奴らもほんと無能だよな。もう一回文句言いに行くか?」
「とりあえずクロトさんっ。やめてあげましょうっ」
さすがに見ず知らずの者を足蹴にするのはよくない。エリーはすぐにクロトにそう言ってやると、不服そうな顔で渋々足をどかした。
「う……、うぅ……。いったい、なにが…………」
「おい、そこのお前……」
何が起きたのか、それを確認しようとした男に今度は銃口が向けられた。
黒い穴を見た途端、男は「ヒッ!」と顔を青くさせる。
「人の連れに急に迫って、すんげー迷惑したんだが? そこんとこ、どうなんだ?」
「すっ、すいません! すいません!!」
情けなく男は謝罪し、抜けてしまった腰のまま後退る。
見た目通りのへっぴり腰なのか。少し脅しただけで簡単に折れてしまう弱さだ。ここまで清々しいほどの弱者を見れば、あとはキツめの忠告だけでよいとすら思える。
しばらく増えるえていた男。……だが、彼は銃を向けるクロトを見て、ふと目を丸くさせた。かと思えば、今度は更に顔色を悪くさせて言い放つ。
「あっ! ああ!! 貴方は、あの時の――魔銃使いさん!!?」
明らかにクロトを指差し、男はそう言った。
「あ? お前誰だよ?」
「覚えてないんですか!?」
「知らねー」
「クロトさん、お知り合いではないのですか?」
「こんなへぼい知り合いはいねーよ」
『忘れてるって可能性なくね? どうでもいい奴って記憶から薄れるもんだし』
その可能性は有り得た。
だが、それにしてはこちらの事を多少知っている様子でいる。彼は一発で手にしている銃を魔銃であると確信している。それはすなわち、魔銃を使用しているところを目撃しているということだ。
軽く脅す程度なら炎を使う必要はない。魔物相手や少し前のトラブル程度くらいなら利用するが……。
――なんだろうなぁ……。コイツの声……どっかで聞いたような…………。
記憶を探ると、ほんのわずかに心当たりが見えてくる。
もう少しで思い出せそうな気がする。というところで、先に彼から答えを言われた。
「あの時ですよ! 【生命結晶】を生成していた、あのおっかない研究施設ですぅ!! そこで貴方にさんざん脅されました!!」
「…………ああ、あん時のか」
ようやく思い出せた。
以前、ネアに教えられた『神隠しの家』での騒動の事だ。魔女の噂を餌に、訪れた者を捕え【生命結晶】という動力結晶を生み出そうとしていた施設。そこでクロトはこの男と会っている。
そういえば、こんなへたれな奴を道案内のために脅したなぁ。と、すっきりした様子で思い返した。
「……つーか、よく生きてたな、お前。確かあの後、あそこは竜巻で綺麗さっぱりなくなったはずだが?」
記憶が確かなら、イロハの魔銃で跡形もなく消されたはずだ。生存者がいたとは考えられないほど。
「あの後逃げ出したんですよ! 私だってあんな恐ろしい場所なんて知らなかったんです! 生活費のために、いい仕事がないか探しているだけなのに、どうして毎回あんなブラックな場所ばっかりに選んでしまってるのか知りたいくらいですよっ。この前のレガルでも明らか危なそうなので逃げましたよ! 案の定ブラックでしたよ!」
土壇場での危機管理能力が高いのか。勤め先を逃げ出すなどもどうかと思えるが、生きるためにそれくらいは許されるところもある。
運が悪い様で、妙に運が良いのかどうなのか。
「うーん。…………まっ、どんまい」
とだけ言ってクロトは彼の悲惨な人生の一部を流す。
ある意味、職に関して恵まれない体質を天から授かっているのだろう。その内いいことあるさ。未来に向かって頑張れ。という励ましの言葉を「どんまい」だけで流す。
正直なところ、他人の不幸や不憫話ほどどうでもいい事はない。それがクロトだ。
もはや先ほどまでの怒りが失せるほど白けてしまった。
「お前も厄介事の種にもなるから、手当たりしだいに善意振りまいてんじゃねーぞ?」
「す、すみません。……でも、可哀想じゃないですか」
「スルースキル身につけろ」
「……な、なんですかそれ?」
「無視する勇気を身につけろってやつ」
そんなこんなで。白けたからには長いする必要もない。クロトはエリーを連れてその場から遠ざかろうとした、その時だ。
「ま、待ってください!」
何を血迷ったのか。男は恐怖対象であるクロトの足にしがみつく。
「魔銃使いさん、御強いんですよね!? 是非頼みたい事が!」
「悪いな。名前もろくにしらない赤の他人を助けるほど俺も暇じゃねーんで」
「ユーロです! 私、ユーロって言います!」
『必死だね~』
「鬱陶しいだけだろうが。その根性でもう一回さっきの警備兵にでも縋りついてこい」
「ここ数日頼んでも無理なんです!」
「むしろよく数日間も耐えたなアイツら……」
街から追い出されてないだけまだマシだろう。
しかし、いったい何をこのユーロという男は頼み込んでいるというのか。しばらく前の彼が訴えていた内容を振り返ってみる。
どうも何処かへ行きたい様子だが、魔物の危険があるとかなんとか……。
「魔物も危険だと言われましたし、それに私としてはできれば強い方に一緒に来ていただくのが一番かと……!」
「そっかー、頑張って探せー」
「本当にお願いします! 行きたい場所があるんです! それに、そこには昔魔女がいたという話も。でも誰も信じてもらえなくてっ。以前なんとか同行していただいても、どうしでもたどり着けなくて……! 道は合っていたんです!」
ユーロを引きずりながらいたクロトが、ピタリと足を止めた。
彼からは、不本意ながら求めていたような言葉が複数存在している。
『魔女』。『たどり着けない場所』。
魔物がどうこうというのは二の次。おそらく、警備兵たちに追い返される一番の理由はそこにある。
話枯らして、一度ここの警備兵は善意でユーロと同行するも、目的の場所にたどり着けなかったのだろう。それからは無理と判断し、あれこれ言って諦めさせてきた。そんな矢先に出くわしたのがクロトだ。
不死身の魔銃使いという事をユーロは知っている。普通の人間よりも頼りになると思えたのだろう。
『……どう思うクロト? ちょーっとばっかし気になるんだが?』
「だな。……おい、お前」
「は、はい!」
「お前の言う場所に少し興味がわいた。案内しろ」