「歌姫」
北の国。魔科学の発展を極めたアイルカーヌ。
王都は古き建造を残しつつ、数多の魔科学で飾られた、異様と意外な華やかさに満ちていた。
過去に東との戦争を期に、アイルカーヌは魔科学兵器のために技術を発展。戦後はそれらの技術を糧に人々の暮らしに向き合い、世界に広めていった国だ。
その技術は今、新たな文化の発展へと進む。
王都のスピーカーから流れるメロディーが、歌が、全ての人々の耳や心を射止めてゆく。彼らが惹かれるのは1人の少女の放つ美声。美声は言葉だけでなく歌を紡ぐ。それだけでは留まらず、王都の至る場所に映し出された投影画面には少女の歌う様を映し出す。愛用のギターと、バックの演奏者たちによる心弾む音。黒の衣装とミニスカート。それらと共にステップを刻み、自慢の桃色の髪を揺らす愛らしい少女。
アイルカーヌの【歌姫】――ルゥテシア。
彼女の歌声は老若男女問わずに心に響かせてくる。それはまるで、初恋を味わうかの様なときめきを届け、人々に活気も与えてゆく。街中では彼女に浴びせる声援で溢れかえっていた。
しかし、1人。浮かない顔でいた。
扉の前で、リキは顔をうつむいている。
外の音が気に入らないわけでも、人々の声に苛立ちを得ているわけでもない。
リキは手ぶらのまま。それが一番の原因となっている。
イロハという魔女の遺産を所持する者を見つけたのはよかった。身を抑える事もできたはずだ。しかし、リキはなんの成果も得られず帰還。それが何よりも自分を責める結果となっている。
魔銃も、流されたと思われる魔鋏も。なにも持ち帰ることができず。どう伝えるべきがずっと悩んでいた。
「…………いつまでも、こうしてはいられません……よね」
偽りを申告することを拒絶するも、どう伝えるべきか戸惑う。
頼まれた側とはいえ、なんの成果も得られずまま戻ってきたことは責任となって覆いかぶさってくる。
どう思われるか。事実を伝えて失望されるか。はたまた、嫌悪を向けられるか。そんな不安がリキにはあった。
無意識に、扉に触れようとする手が震えてしまう。
脳裏に浮かんでしまった良くない光景。それが現実に起こり得ると思えば、今すぐにでも再び捜索に戻るべきと、逃げる様に扉から離れようとした。
その時、リキの意志を無視し、扉が開かれる。
驚いた様子で扉に向き直れば、暗闇の視界に光が差し込むような、そんな声が呼びかけてくる。
「――リキくーん! おっかえり~♪」
あどけない少女がリキを呼びながら飛びついてくる。
リキよりも背丈は高く、年頃の少女。魅惑の桃色髪をツインテールにした、今アイルカーヌで注目を集めている――【歌姫】ルゥテシアがそこにはいた。
愛おしそうにリキを抱きしめ、甘えた美声を発する。
「も~、寂しかった~。リキくんいなくて、あたし寂しかった~!」
「も、申し訳ありません……ルゥ殿。てっきり、また「らいぶ」というものに行かれているものかと……」
「あ~、あれ? あれは前のやつの再放送だよ。毎日だと疲れちゃうし~。今日はもうお仕事終わってるから~、ゆっくりしよ」
戸惑うリキの手を取り、ルゥテシアは部屋に彼を招き入れる。
リキは拒むことはなかった。むしろ、ルゥテシアに惹かれてしまう。
2人が今いるのはアイルカーヌ王都でも有力者たちが住まう上級階層。その片隅だ。
周りは大きな屋敷が多いが、ルゥテシアの家は一般の住人と変わらない。それはルゥテシア本人が望んだものである。もてはやされる【歌姫】とはいえ、ルゥテシアは一人身。最低限の生活用品と、自分のための可愛らしくぬいぐるみや桃色の空間で飾られた自室。それだけで彼女は他の何処よりも満たされていると思っている。
なんせその空間には――彼がいるのだから。
「ねーねー。お仕事後にマネちゃんからお菓子貰ったの! 最近できたばかりのケーキ屋さんのだって。すっごく美味しいって評判みたいで、食べて感想聞かせてって~」
ルゥテシアは自室にリキを招き、テーブルにケーキを置いてゆく。
甘い香りが漂うも、リキは肩をすくめて正座したまま。身を固めてしまっている。
上機嫌なルゥテシア。その様はリキにとっては緊張を高めてしまっている。見つかる前に街から離れるべきだったとすら思える。その反面で、寂しい思いをさせてしまった罪悪感までもある。
なかなか反応を示さないことに、ようやく気付いたルゥテシアは小首を傾ける。
「どうしたのリキくん? リキくん、甘いの好きでしょ?」
ビクッ!
リキの肩が、わかりやすく跳ね上がる。
「い……いえ……、その……っ」
「な~に~? ひょっとしてリキくん、このケーキ……嫌いだった?」
「そうでは……っ! ……ただ、…………その」
どう言葉にすればよいか、わからなかった。
しかし、下手な嘘はルゥテシアを傷つけてしまう。そう思えた。
リキは腹をくくり、顔を俯かせて説明を始める。
「…………申し訳……ありません」
「……?」
「その……ヘイオス殿に頼まれていた事なのですが」
「ああ、なんか言ってたね、ヘイちゃん。なんだっけ? 魔女さんの作った魔武器を集める……だったっけ?」
「……はい。魔武器の所有者を見つけはしたのですが……その、自分の不手際で、二つあったにも関わらず、どちらも見失ってしまい。……結局、なにもできず……戻ってきてしまいました」
「……」
まるで、怒られる事を恐れて顔を向けられない子供の様だ。
返答がないことにリキは顔を上げる事ができなかった。
その無言はどんな表情でいるのか。それを知るのが怖くもあった。
ルゥテシアは静かにリキへ手を伸ばし、彼の鬼の面をパッと取り上げた。
「……っ!」
驚くリキの顔をルゥテシアは上げて自分を向き合わせる。戸惑う少年の光のない眼差しを、草原の様な黄緑色の瞳がじっと見つめ返す。
「もしかして、リキくん、あたしが怒ると思ってるの?」
「……ですが、自分は」
「怒んないよ! なんであたしがリキくんを怒らないといけないの? だってリキくんは、あたしのために頑張ってくれてるのにぃ!」
――嗚呼。本当に、…………彼女は眩しい。
ルゥテシアの声が、自分を励ます事が、盲目であるリキの視界を明るくすらしていく気分だ。
迷いも不安も、全てが彼女という光に消えてしまう。
思わず見惚れてしまったリキは言葉を失った。
「でもびっくり。リキくんでも失敗しちゃうことってあるんだね。そんな焦んなくていいよリキくん。そんなことより一緒に甘いの食べて元気だそ」
励まし、ルゥテシアはケーキを向けてくる。彼女の甘えた声にはどうしても逆らえる事ができず、リキは自分の失態を一度忘れる事とした。
しかし、そうもいかず……。
部屋に置かれていた機器から呼び出す様な音が鳴り響く。2人は同時にそちらの方にへと振り向く。置かれているのは四角い箱の形状をしたもの。
「……ヘイちゃんたちかな?」
ルゥテシアは箱に寄りボタンの指先で押す。すると、箱には投影画面が映りこむ。
画面に映ったのは眼鏡をかけた黒衣の男。――ヘイオスだ。
アイルカーヌで開発された魔科学による伝達機器の一つ。固定型の通話機だ。
『ルゥテシアか。ちょうどよかった』
「やっぱりヘイちゃんだ~。どしたの?」
相手がヘイオスだとわかれば、リキは再び身を固めてしまう。
『いや、リキは戻ってきているか? そちらの進捗を聞きたいのだが……』
「リキくん?」
ルゥテシアは、ちらりと後方にいるリキを見る。予想通り、とても話しづらそうな様子だ。
『こちらもまた予定が増えてな。魔武器の回収はできればそちらにも任せたいと思っている。先日、魔銃使いの1人の居場所を伝えたのだが……』
ヘイオスの声はリキにも聞こえている。その情報からリキは行動し、魔銃使いの1人と接触できた。
しかし、結果はとても言えたものではない。
『いるならリキから詳細を聞きたい』
当の本人から結果を聞くのが早い。そう判断したのだろう。
おそらく、今戻ってきているのだろうとヘイオスもルゥテシアの様子から察している。ここはおとなしくリキに変わるべきなのだろう。
……だが。
ルゥテシアは次にむすっとしてヘイオスにそっぽを向く。
「やーだー! リキくん今帰ってきてるけど、そいつら頑張って探してくれてたの!」
『……いや、ならリキに話を』
「ヘイちゃんは色々厳しくてやだー!! リキくんにだって休憩は必要だよ! これ以上リキくんと一緒にいられなかたら、あたしだって仕事に支障でるじゃん! 責任とってくれんの!? 軍隊動いてもらっちゃうんだからーー!!」
わがままを言い放つ。確かに、アイルカーヌの【歌姫】がその気になれば、最悪軍を動かしてしまうやもしれない。それほどアイルカーヌにとってルゥテシアの存在は大きいのだ。
勢いに押され、ヘイオスはたじろぐ。
『わかったっ。……こちらも頼んでおいて悪かった。では、なにか成果があれば次の連絡の際に伝えてくれ』
「ぶー。わかったー……」
どうにか怒りを堪え、ルゥテシアは渋々了承。そして通話を切る。
ヘイオスとの対談が終われば、ルゥテシアは不貞腐れた顔で戻ってきた。
「…………ルゥ殿。嘘はいけないかと」
「ぶーっ。だって、ヘイちゃんがもしリキくんが失敗したなんて知ったら、絶対怒ってくるもん! リキくんはなんにも悪くなーい。怒るヘイちゃんが悪いー」
「申し訳ありません。……自分がちゃんとできていれば」
「リキくんは全然悪くなーい! というか、その魔銃使いのせいでリキくん困ってる。許せないよ!」
責任は取り逃がした魔武器所有者にへと向く。
頬を膨らませていたルゥテシア。彼女はしだいに不敵な笑みを浮かべる。それは【歌姫】というよりは、小悪魔の様。
「リキくん。もしも、リキくんがいじめられて困ってたら、ちゃーんとあたしに言ってね。――そいつら全部、あたしがやっつけてやるんだから」
ルゥテシアは首にかかるチョーカーに指を滑らせる。
アイルカーヌには多くの街で誰でも利用できる公衆の通信場所がある。ガラス張りの四角い箱を模した狭い部屋。それらが横一列に並ぶ前で、オリガはしゃがみ込んで行き交う人々を眺めていた。
カラン、と音が鳴る。部屋から誰かが出入りした事を知らせる音。
「どうだった? リキぽん魔武器ゲットしてた?」
待っていたオリガが首を傾けながら問いかける。
通話を終えたヘイオスは少々疲れた様子でため息をついていた。様子からして、あまりうまく話が進まなかったと見える。
「まだだそうだ。だが、協力には応じてくれているらしい……」
「ひょっとして話し相手ルゥちんだった?」
「……ああ。あまり癇に障ると軍隊を動かすまで言われた。……ある意味できそうで恐ろしいな」
「あはは~、確かに~。超有名人だもんね」
オリガが眺めるアイルカーヌ国内の街。その一角でもルゥテシアという【歌姫】の認知は計り知れない。
街をの至る所では彼女のポスターなどが貼られている。
歌に留まらず、魔科学の宣伝としても貢献している。
「さすがに我々の件で軍隊までも動かされては困る。……行くぞオリガ。あちらにも協力をしてもらっているのだ。こちらも怠けてはいられない」
「はーい」




