「黒星の魔女」
現実が、遠のいてゆく。それは自分が現実から遠ざかりたいという思いから、無意識に閉ざしてしまったのだろう。
目を開ければ良くないものが見えてしまう。だからこそ、見たくないものには目を塞ぐのだ。
同時に、どうしようもない劣等感に心が沈んでゆく。
「どうしたら……いいの……?」
自分の無力に打ちのめされる。
自分が無力でなければと、何度もこれまでに願ってきた。
しかし、手渡される引き金は重く、引けば多大な犠牲を伴う。
「……だめ。……【厄星】は……だめ」
だからこそ抑えてきた。誰も傷つけないために。
自問自答。誰も答えてはくれない。……そう思えた時だ。
『キミにはあるじゃないか。あんなのよりも強い力が』
差し伸べられるような声を、エリーは見上げる。
そこには誰もいない。誰もいないはずだ。
しかし、声がそこに何かが存在しているのだと思わせて来る。
力がある。その答えに、エリーは首を横に振る。
「……でも、あの星は……だめ。私は……絶対に使いたくない」
【厄星】。それだけは拒む。
だが、声は更に続ける。
『それ以外にもあるだろ? だって、キミはあの元凶の子なんだからさ』
「……」
そう。……そうだ。
自分は魔女であると自覚している。なら、彼女が認めるほどの魔女なのなら、何かしらあるはずだ。
声の主の発言には信憑性もあり、エリーは不意に手を伸ばす。
『受け取るといい。これは本来――キミが持つべき力だ』
虚空で何かに触れた。
その時、何かの砕ける音と共に押し寄せる波がエリーを呑み込む。
『ようこそ。ボクたちの愛おしい子。――まずは肩慣らしに、3つ……邪魔者を消そうか』
ピシリ……。
全ての時間が停止したような、そんな刹那に誰もが動きを止める事を強制させられた。
「……あ……れ?」
オリガが、間の抜けた声で呟く。
水でできたオリガの体。その身が突如幾多もの鋭い物体が彼女を貫いていた。
「――オリガ!」
剣を振り下ろす事すら忘れ、ヘイオスが叫ぶ。
誰もがこの時目を疑った。エリーとオリガ。その二人を中心に周囲が一変していることに。
彼女たちの足元にはこの場では見受けられなかった薄紫色の水晶が出現。水晶は生きているかの様に成長し続けている。オリガを貫いたのは、その水晶の一部。巨大な棘となった水晶だ。
運悪く貫かれたとはとても思えない。鋭利な水晶は、どれもオリガだけを的確に貫いているのだから。
オリガの身が、ばしゃり、と音をたてて流れ落ち、次の瞬間には後退したヘイオスの元へと移動した。
無事と姿を現すも、オリガの表情はとても困惑しておりこれまでの余裕が見受けられない。
「どうしよう、ヘイオス! あたし、やっちゃった? 【厄星】、使わせちゃった!?」
焦るオリガ。しかし、ヘイオスはそれを肯定はできなかった。この現象が【厄星】でないと、そう思えるものがあった。
【厄星】とは天を覆うほどの七つの黒星。周囲の大気がそれらにざわめき圧してゆく。確かに、周囲から感じる大気の乱れも感じ取れた。しかし、その乱れを起こしているのは【厄星】という存在ではない。
目の前にいる、幼気な少女から放たれた圧に大気が怯えている。
その異変はクロトたちも容易に理解できた。
「……な、なにが起こった?」
『わかんねーけど……、ヤバい空気がめっちゃ伝わってくるんだが!?』
傷を癒し、クロトは状況を確認する。……そして、驚愕とした。
エリーの周囲には見覚えのあるものが広がっているのだから。
「あの……水晶は……っ」
『魔女の!?』
魔女が得意としていた魔法の一つ。大気に己の力を乗せ、急速に成長したマナ結晶。ヘイオスもそれを理解していたからこそ、この事態が【厄星】とは別のものと捉えていた。
その中で、呆然と立ち尽くすエリー。少女の足が、ふらりとしてよろめく足は地をなんとか踏みしめた。その途端、周囲の水晶は無残に砕け散り、粉々となってただの塵と化して大気に消えてゆく。
散りばめられた塵の奥で、何かがチラつく。
その色は……赤。
クロトも、ヘイオスもオリガも。内に潜む悪魔たちですらゾッと酷い寒気を帯びた。ゴクリと息を飲み、思考が一時的に停止してしまう。
少女の。金の髪の奥。エリーの瞳はあのこの世のモノとは思えない、美しくある星の瞳ではなかった。少女の瞳は、まるで鮮血を帯びた様な、鮮やかな赤い色をしている。
その瞳は、――正に魔女の証である。
【厄星】ではなく。これまで、周囲に害を与える形でエリーがその片鱗を露にしたことはなかった。
更に異様なのは、その少女の頭の上。禍々しく、黒い色を宿した七つの小さな星たちが円を描いて浮いている。まるで、本来は天に顕現するはずの【厄星】が、縮小されてこの場に現れているかの様だった。
しかし、感情のない少女の目と、彼女から放たれる重苦しい重圧が周囲に敵意を向けているようにも感じた。
「……虎の尾を踏んだ、ということか。さすがにこれは想定外だ」
表情をしかめ、ヘイオスは剣を強く握り直し構える。便乗してオリガも槍を構えた。
「どうすんの? 話って通じると思う?」
「明らかに普通ではない。まともに意識があるかも……」
その瞳からは感情が読み取れず、何を考えているかもわからない。だが、本能が告げてくる。
対処しなければ、こちらが危うい。
求められたのは、早急に目の前の魔女の対処し行動を不能にさせること。
「娘子には申し訳ないが……」
「子供には手を上げたくないけど、……仕方ないよねっ」
ヘイオスが頷けば、オリガは率先して駆け出す。
「待て! お前ら!!」
ようやく身を起こしたクロト。
オリガの後方からヘイオスが剣を振るい刃を伸ばし、剣先はエリーにへと向かう。刃たちは少女を取り囲み、捕縛する様にその間合いを一気に閉ざす。多少の傷は視野に入れた拘束。しかし、ヘイオスが束縛したのはまたしても水晶の群れ。刃からエリーを守る様にそれらは出現し攻撃を凌いでいる。
「うっそ、反応早すぎ!」
エリーは魔女という存在であっても魔女としては未熟の域にすら達していない。にも関わらず、魔法の発動速度が尋常ではないほど早く、それは熟練の手馴れた様だ。
攻撃を仕掛けられ身を守ったエリーだが、未だに微動だにせず、本人はこれといって反応がない。無意識に魔法を発動させている。
「ヘイオス! とりあえずそのまま動き止めてて!」
接近を試みるオリガだが、その進路をクロトが阻む。
「お前ら、いい加減に……っ」
「邪魔しないでね不死身くん!」
向けられた銃口。されど、もはやクロトなど眼中のないオリガは身を低くして水面を滑りつつ溶け込んで行く。しかし、行先は決まっている。クロトが銃口を次に現れるであろう位置にへと向けた時だ。
「――【抉れ! バフォメット】」
魔銃の銃口。その先端を呑み込んで空間が抉られる。そして、別の空間が開かれ、クロトの頭に自分の銃口が突きつけられていた。
「この、眼鏡野郎っ。エリーになんかしてみろ! 殺すぞ!?」
「状況を理解しろ魔銃使い。これは不測の事態だ。今はまだ魔女の力に目覚めたばかりで意識を保てていない様子。最悪暴走の危険もある」
『さすがの我も嫌ですぞ!? 明らかに魔女殿よりも桁違いの魔力ではないですか!? さっきまでそんなの全然感じませんでしたぞ! 常軌を逸しております!』
そうこう言い争いをしていれば、オリガが既に姿を現しエリーの頭上で槍を構えていた。
クロトは銃口をどうにかずらそうとするも、どの角度でも自分に向いたまま離れようとしない。動けず焦燥感だけが増してゆくばかり。
「悪いけど、ごめんねっ。キミが悪いんだよ……!」
どんな形でもよかった。
ただ意識を奪い、この場を退ければいい。その事だけにオリガは意識を集中させていた。
今ならまだ間に合う。その期待が、次の瞬間打ち砕かれる。
叫びも攻撃も。どれもエリーは感心を向けず、ただ呆然としているのみだった。厄介な魔法も視覚外からの対応に追いつけるわけもない。そして、オリガは自分がこの水晶で傷つくなど微塵も思ってなどいなかった。水の体はあらゆる攻撃をすり抜けさせて行くのみ。勝算はあった。
だが。刹那、オリガは自分の心臓が凍てつく様な感覚を得た。
それは、これまで何にも目を向けていなかったエリーが、突如オリガにへと顔を向けたのだ。
虚ろとした赤い瞳と目が合う。そう気付いた時には、オリガの全身が水晶の中に閉じ込められていた。
片腕を伸ばし、押さえつけようとしたオリガの身は、まるで氷に閉じ込められた生き物でしかない。水であろうが、この様にして閉じ込めてしまえば無力だ。
「……!?」
身動きのできないオリガ。その姿を、ジッと少女の赤い瞳が見上げている。手を伸ばせば届く位置。それを理解してか、エリーがそっと手を伸ばす。
「――オリガぁ!!!」
触れそうになった指先。その隙間に刃が割り込む。
エリーの手がピタリと止まり、その隙にオリガの伸ばされた腕を水晶ごと切断。一気に刃を巻き付けヘイオスはその場から遠ざけた。
隣で重々しく落下した水晶。切断面から水が流れ出てオリガが姿を現す。
「オリガ! 無事か!?」
呼び声に対し、オリガは応答に遅れてしまう。
鼓動は早く、呼吸は体全身でとり、とても落ち着いていられる状況ではなかった。
腕は近くの水があれば修復は可能。体に傷はない。乱れた呼吸のまま、なんとか言葉を返そうとするも、頭が追いつかず恐怖だけを訴える。
『オリガっ、大丈夫……デス?』
「……っ、死ぬかと……思ったっ。この体になって、初めて死ぬかと思った……っ」
水の体に死は有り得ない。そう思っていたオリガの考えがこの時一瞬にして崩れる。
体には今でも迫る少女の恐怖を覚えており、震えを抑えようと全身を強く抱く。
当の恐怖対象など、触れようとしていた水晶にようやく触れたといったところ。しかし、その後の光景は更にオリガたちを追い詰めてゆく。
エリーが水晶に触れた瞬間。水晶は砂塵の様に崩れ去る。残っていた腕も同様だ。
もしも。あのまま触れられていたら……。そんな未来にオリガは言葉を失う。それは、頑丈に作り上げられた魔武器のルサルカですら命の危機を感じ取るほどのものだった。
『……やっ、やだぁああ!!! オリガー!!』
これ以上はオリガの精神がもたない。ヘイオスは決断をしなければならない。目的の魔武器と魔女の子をこの場は見逃し、撤退するという選択。
止むを得ない。そう決心してオリガに肩を貸しどうにか身を立たせた。
「……いったん退く。これ以上は無理だ」
この魔女は手に負えない。これは最善の策だ。そう頭に言い聞かせる。
剣を振るえば人が通れるほどの大穴が開く。その異空間を使ってこの場から出るのだろう。
「オリガ、いけるか?」
「……う、うん」
少しは落ち着いた事にホッと胸を撫で下ろす。しかし、警戒を怠る事はできない。
ヘイオスは先にオリガが出るまでの間、視界は魔女の少女を見張る。
ふと、ヘイオスは目を見開く。
エリーは、あまり関心を周囲に示さなかった。だが、今はどうだろうか。赤い瞳は、ずっとバフォメットの開いた異空間の穴を見ている。
しばらく様子をうかがっていれば……、魔女の少女は、ふっと笑みを浮かべる。その仕草一つに、ゾッとし肝が冷え切る感覚を得た。その表情が何を意味しているのか。
考えた時には、遅かった。




