「2体の大悪魔」
ヘイオスとオリガ。2人が自分たちの悪魔と交渉中の最中。火花とちらつかせ、先に提案をのんでクロトは身をニーズヘッグにゆだねる。クロトの身を炎が纏い、次に姿を現したのは【炎蛇のニーズヘッグ】だ。
「……あの、ニーズヘッグさん」
「大丈夫、心配すんなって姫君。OKでたし、ちょっくら話つけるだけだからさ」
クロトも了承の上であると説明。悪魔が姿を現せば、奥で2人の視線が自然とニーズヘッグに集まる。
「提案通り出てきてやったぞ。それともなんだ? まさか俺様本人が直に姿を現すなんて思ってなかったって、今更になってビビってんのか?」
その姿はまごう事なき大悪魔――【炎蛇のニーズヘッグ】だ。
以前とは違い、本体の姿で表に出る事などできなかった時期とはわけが違い。それだけニーズヘッグが枷を外してしまっている状況なのだ。どういった経緯でヘイオスとオリガが内の悪魔の枷を緩めたかは不明だが、せいぜいあちらはここまでの事はできないだろう。できたとしても、主である2人の肉体をそのまま借りてだ。
しかし、その姿に2人は驚くどころか、興味を示したような目をしている。
「……なるほど。あれが【炎蛇のニーズヘッグ】か」
「思った以上に人間じゃん! ねーねー、ヘイオス! あの羽衣触ってみたい! 面白そう!」
「見せもんじゃねーぞテメェら!!」
これではまるで、ただの見せ物ではないか。そう呆れてため息しか出ない。
「とりあえず、向こうはその気らしい」
「ほら、ルサルカ。後でちゃんと褒めてあげるからさ」
「5分だけやる。それで交渉を頼む」
どうやら2人の準備も整ってきたらしい。
ルサルカは面識があるが、もう一体の悪魔は不明。いったいどんな悪魔が出てくるのか、少しばかり興味を抱きつつもニーズヘッグは警戒の眼差しを続けた。
頭上から、岩を伝って水滴が、ぴちょん、と落ちる。オリガの足元で跳ねた水しぶきが、しだいに彼女に向って伸び、水量を増してその姿も覆う。同時に、ヘイオスの周囲でも虚空が揺らぎ、黒い霧を纏って姿を隠す。
思わず、ニーズヘッグから冷や汗が出た。
「おいおい、ちょっと待て! そっちも出てくんのかよ!?」
その現象に驚きを隠せない。
こちらが困惑するも、2人の姿は徐々に姿を現し、先ほどまでと一変してゆく。
岩に覆われた空間で鈍い山羊の声が響く。その最中、チリーン、と繊細な鈴の音が鳴る。深い霧の中から姿を現したのは漆黒の布を纏う者。目を引いたのは頭部が山羊の骨であること。肉体はなく、骨のみのそれは蒼い炎を纏うベルを飾った大鎌を携えている。見た目だけで死霊の類であることがよくわかった。
更に隣では水柱が弾ける。中から現れたのは蒼い少女。背丈は低く、幼い姿をした少女の蒼い髪が風もなくゆらゆらと揺れる。まるで宙に漂う水の様だ。そして、愛らしい姿の頭には2本の角がはえている。その姿は精霊にも似ており、さしずめ水の精霊に近しい存在だ。
――やっぱりだ。
ニーズヘッグは固唾を呑み込みつつ、自然と蒼い少女に視線が向く。幼い少女――【水霊鬼のルサルカ】は過去に会った悪魔本人だ。
そして、隣の死霊にへと向き直ると、山羊は静かに頭を下げた。
「お初に御目にかかります、【炎蛇のニーズヘッグ】殿。我は三の王に属する悪魔――【冥界使者のバフォメット】でございます。以後、お見知りおきを」
予想通り、この大鎌を携えた山羊は冥府の住人。三番席魔王であるハーデスの配下にあたる悪魔だ。そして、ルサルカは精霊を束ねる九の王に属する存在。
自己紹介を終え、バフォメットは呑気そうに骨でしかない手を合わせる。
「いや~、まさかドラゴニカ殿の配下の方とこうして同じ境遇で会えるとは思っていませんでしたよ。何分、四の属の方は気難しい方が多いので。出会いに感謝。そうは思いませんか、ルサルカ殿?」
和やかに話を進め、バフォメットはルサルカにも声をかける。三の王の配下という余裕か、それとも元からこういった穏やかな性格なのか。見た目はとてもおどろおどろしいというのに、見た目だけでは判断できないものだ。バフォメットからは悪意のようなものは今のところ感じられない。
問題はその隣だ。
再度ルサルカを見て見れば、水底の様な蒼い瞳がじっとこちらを見ている。ニーズヘッグの心臓が、目が合った瞬間ぞわりと冷水を浴びせられた気分になる。背筋にも悪寒が走り、どう反応してよいか定まらない。
原因は、過去のトラブルだ。
――どうすっかなぁ……。あれから100年近くか? まだ怒ってるかなぁ……。最後は最悪なままだったし。
ニーズヘッグは目を泳がせる。過去の事を思い出す。
過去にニーズヘッグとフレズベルグはルサルカと会っており、最後は彼女の怒りに触れて流されてしまった。
相も変わらず愛らしい姿が判断を鈍らせる。
――ルサルカ、相変わらずやべーくらい可愛いんだよなぁ……。ちっこいし、可愛いし、愛でてやりて~。……なんだけどなぁ。怒ってんならあんま刺激すんのは逆効果だし、此処は穏便に俺も済ませたい。まだ怒ってる様子なら、とりあえず機嫌をとっておくか。
意を決して、ニーズヘッグは冷や汗を流しつつ声をかける。
「よ……、よぉ、ルサルカ」
ニーズヘッグの呼び声に、ルサルカの長くとがった耳がピクリと動く。
更にじっと炎蛇を凝視。
「…………ニーズ……ヘッグ」
鈴を転がしたような、透き通った声。見た目も可愛らしい通り、ルサルカの声も愛らしさ漂う可愛らしさがあった。とても悪魔とは思えない。
声色はまだ申し分ない。更にニーズヘッグは言葉を続ける。
「――久しぶりに会ったが、相変わらず可愛いな。――愛してるぜ!」
「――寝言は死んでからほざけクソ蛇……、デスっ」
……。
一瞬にして空気が凍り付いた。
機嫌をとると意気込んだニーズヘッグだったが、返ってきた発言に笑みが凍てつき、その頬を汗が伝う。
――まずい。そう本能が告げる。
正に、虎の尾を踏んだという感覚に背筋が凍る。
「ニーズぅ……ヘッグぅううッッ!!!」
次の瞬間、ルサルカの愛らしい声は怒気にまみ低く唸る様に炎蛇の名を叫ぶ。
それはまるで恨みのこもった様な声だ。途端に豹変した怒りしかない表情と眼光が炎蛇を睨みつけ、彼女の周囲を水が荒れて渦巻く。
怒気の圧にニーズヘッグは一歩後退ってしまう。
「ガァアアアア!!! ニーズヘッグ!! このクソ蛇ぃ!! なんでお前がルサの前にいやがるデスかぁ!!!」
鬼の形相で怒り叫ぶ声に誰しもが仰天してしまう。
あれほど静かにたたずんでいたはずのルサルカが、ニーズヘッグに驚くほどの怒りを示している。いったいこの2体の間に何があったのか。それを問う様に周囲の目が炎蛇にへと向く。
ニーズヘッグなど体格差があるにも関わらず怖気づいているではないか。
そんな周囲の目など気にも留めず、ルサルカは感情任せに言い散らかす。
「嫌いキモイ嫌い!! お前なんか大っ嫌いデス!! ルサの前から消えやがれデス!!!」
水の髪を振り乱し、逆立て、ルサルカは威嚇する。
相当な嫌われようだ。圧倒されるもニーズヘッグはなんとかルサルカを落ち着かせようと必死になる。
「わ、悪かった! ……そ、そうだよな。お前の縄張りの泉を俺が爆破しちまったのが悪かったよなっ。流されて謝りにいけなくて悪かった! だから、怒んなよっ」
手を合わせ、謝罪する。いわば、この炎蛇は1体の大悪魔が治める縄張りを壊した事となる。同じ悪魔であるバフォメットも、それはダメだろう、怒られても仕方ないと納得。だが、謝れる分はまだマシだ。エリーも謝る事ができたのなら、どうにか炎蛇を擁護しようとすら思える。
しかし、ルサルカはそれを受け付けないと叫ぶ。
「謝って許されると思ってるのか、このド変態クソ蛇野郎!! お前のせいで……。お前のせいでぇ……っ」
怒りにまみれていたルサルカ。突如、彼女の双眸から大粒の涙が現れ、次の瞬間涙を滝の様に流して号泣してしまう。
怒るだけでなく、今度は炎蛇のせいで泣いてしまい、またしても周囲に混乱を招く。
泣かせてしまった原因にニーズヘッグがいるのなら、再度周囲の目がニーズヘッグに集まる。
とにかく謝るべき。そういう視線が痛く突き刺さり、ニーズヘッグは更に謝りだす。
「本当に悪かったって! 俺に悪いとこがあるなら直すから言ってみろ」
ここは彼女が炎蛇に何を求めているかが重要だ。なら、彼女の要求を聞こうとする。
そして、後にそれは聞かなければ良かったとすら痛感させられる。
「全部だクソ蛇!! お前の炎が嫌い! お前の姿が嫌い! お前の声が嫌い! お前の性格が嫌い! お前の羽衣が嫌い! ――お前の存在じたいが大っ嫌いだぁああああああ!!!!」
要求は単純にして簡単。炎蛇の存在そのものの抹消だ。
どうしようもないことには、さすがのニーズヘッグも言われっぱなしではいられない。
「お前、それ直すの無理だろ!?」
「じゃかましいわぁ!! マジで消えろデス! お前なんか会いたくもなかったし、話したくもなかったデス! オリガに頼まれなきゃ、ルサだってお前なんかと誰が話すか! 余計許せねーのは、ルサだけじゃなく別の小さい子とそうやってこりもせずいやがってっ。テメェのそういうのがキメーって言ってんだよ! どうせまたキモイことしてんだろデス!!」
ズキッ! 何故かニーズヘッグの心が痛んだ。
話にエリーを持ち出し、ニーズヘッグの悪い癖があることをよくご存じらしく。しだいにエリーは罪を抱えるニーズヘッグから距離をとる。それはもう、冷めた目で。
「ちょっ!? 姫君! そんな最低な奴見る目て遠ざかんなって!! 主に心の距離が遠く感じます!!」
「またそうやって小さい子に近づく! ルサの時もそうだった!! マジでキモイんだよお前! いきなりだっこするし、頭なでなでしてくる奴とか変態以外なんて呼べばいいんデスか!?」
これはルサルカに対する同情だったのだろうか。エリーにはルサルカの気持ちがなんとなく理解できた。
なるほど。被害者は自分だけではなかったのか、と。炎蛇のいきすぎた愛情表現が彼女にもあったのだろう。エリーはここまで怒りを露にしないが、ルサルカは怒るのも無理はない。そして泣かせてしまっているニーズヘッグが明らかに悪い。謝っただけでは簡単におさまらないこともエリーは感じた。
だが、残念なことにニーズヘッグにいくらその事を指摘したとしても、ニーズヘッグがそこから自覚することはない。炎蛇の幼女好きというのは無自覚でしかないのだから。
ただ可愛いから愛でる。それだけでしかない。
しかし、ここまで嫌われてしまえばニーズヘッグの自称ガラスの心もずたぼろだ。もはやどうしてよいのかすらわからず涙目。
「……あの、ルサルカ殿?」
ここで荒れるルサルカにバフォメットが寄る。
「ヘイオス殿との約束の時間もありますので、そろそろ話を……」
困惑しつつ、怒る気持ちも無理はないとバフォメットも理解している。しかし、彼には彼なりの役目もある。どうにか仲裁しようと割り込むも、ルサルカの鋭い目つきが今度はバフォメットに向けられる。
「うっさいデス山羊!! 惨めったらしく溺れさすぞ、デス!!」
力強く威嚇。隣は仲間なのだと認識していたが、どうも悪魔同士そこまで仲が良いわけではなさそうだ。
それはバフォメットも衝撃の事実だったのか、彼は怒鳴られた後身を震わせる。
「ル、ルサルカ殿……!? そ、そんなに殺すような目で暴言を我に……っ。……………………できれば、もっと先ほどの様にボロ雑巾になるほど言い散らかしていただいても」
可哀想に。そう思っていたのも束の間。
バフォメットは悲しくて身を震わせていたかと思いきや、しだいに顔を赤らめ息を荒くすらして興奮状態だ。
例えとしてニーズヘッグを指差し、自分もそう言われたいと懇願すらしているという。理解しがたい光景だ。
「おいルサルカ! そっちのドM変態野郎はどうなんだよ!? 明らかに俺よりやべー性癖もってんだろ! 変態っつーのはそういう奴の事を言うんだよ!!」
「ニーズヘッグ殿まで!? 御2人は我をいったいどうしたいというのですか!? そういうのはもっと時間が空いた時にでもじっくりと……っ」
「うるせーよ山羊野郎!! ちょっとでもマシな奴かと思った俺が馬鹿だったよ! マジで考え直せルサルカ! 心配すんな俺が付いてる!」
「クソ蛇よりはマシだぁ!! お前は、死ねっ、デス!!」
もはや酷い光景だ。
おそらく契約者である3人の想像とは異なる言い争いが行われている。と、エリーはなんとなく感じ、訳がわからないまま混乱する。話になどもうついて行けず、蚊帳の外へ放り込まれたエリーはただ呆然と呆気にとられて動けずにいた。




