本音と向き合うことが、ずっと怖かった
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本日も桃色のお揃いの衣装に身を包んだリリアンナ、ルシフォード、ケイティベルの三人。屋敷を出る前にこれでもかというほどに弟妹を褒めちぎったリリアンナは、まだまだもっと足りなかったと内心後悔しながら、豪奢に光り輝く宮殿を見上げた。
「いつ見ても凄いね……」
「お花のいい香りがするわ」
ぽっちゃり双子はキョロキョロと視線を彷徨わせ、くんくんと鼻を引くつかせる。相変わらず見た目だけは完璧悪女なリリアンナだが、最近ではそれもすっかり崩壊し掛けている。
今日は数ヶ月に一度義務的に呼ばれる、彼女の婚約者レオニルとの面会日。顔を合わせたところで大して会話も弾まず適当にお茶をするだけの時間なので、リリアンナはそれをいつも申し訳ないと感じていた。
レオニルに特別な感情はないが、婚約者である以上完璧にその役をこなそうと必死に努力してきた。その結果淑女としての振る舞いは素晴らしく、先に控えている妃教育についても自信がある。けれど内向的で不器用な性格が災いして、友人はおろか世間話をする付き合いすら出来ないまま。悪女としての評判だけが広まっていき、それを否定する気概もない。
確かに彼は自分に冷たいが、それも致し方ないことだとリリアンナは諦めている。自分だけなら、それで良かったのだ。
「安心して、きっと私が上手くやるから」
今は愛する弟妹の命が掛かっているのだから、並々ならぬ気合いを胸に燃やしている。二人の不安を拭う為なら、なんだってしてみせると。
ルシフォードとケイティベルの記憶では、十歳の誕生日パーティーが催された夜、リリアンナはレオニルとの婚約を円満解消し、新たに外国の第二王子であるエドモンドと婚約を結び直すと宣言した。そして、ケイティベルがレオニルの新しい婚約者にすげ替えられた。
あの時は何が何やらさっぱりだったが、今はリリアンナが外国への輿入れを泣いて嫌がった妹の為に動いたのだろうと理解出来る。問題はなぜ、レオニルがそれを了承したのかという点。今回はそれを探る為、三人はまるで物語に名探偵を気取るようにびしっ!とポーズを決める。お付きの侍女だけが、意味が分からないという表情で大きく首を傾げていた。
「お久しぶりです、レオニル殿下」
来賓室に通された三人は、相変わらず完璧な佇まいでこちらを見据えている我が国第二王子レオニルに挨拶をする。普段なら絶対にいるはずのない双子がこの場にいても、まったくと言っていいほど表情は変わらない。
「こんにちは、レオニル殿下」
「今日はお姉様に無理を言って連れてきてもらったんです」
二人は昔から、レオニルのことも苦手だった。姉のリリアンナと並ぶとそれはそれは絵になるほど美しいが、本当に絵画を見ているかのように人間味がない。たまに顔を合わせて会話をしても続かず、無表情で流されるだけで楽しい雰囲気になったことは一度もない。
怖いもの同士お似合いだと思っていたけれど、姉の本心を知った今では見方が違う。大切にしてくれないなら、結婚はしてほしくないとやきもきしていた。
「や、やっぱり怖いね」
「だ、大丈夫!お姉様がいるもの」
ルシフォードとケイティベルは、両サイドから頼るようにぎゅっと姉の手を握る。飛び上がって喜びたいのをぐぐっと堪えながら、リリアンナはきりりと顔つきを整えた。
「変わりはないか」
「はい、特には」
「そうか」
たったこれだけで、婚約者同士の会話は終了した。今までなら別に構わなかったのだが、今日はさらに踏み込まなければならない。
「あ、あの。殿下」
「どうした?」
聡明で頭の回転が早いリリアンナは、弟妹のこととなると途端にぽんこつになる。二人に良いところを見せようと張り切った結果、なんとも頓狂な質問が口から飛び出した。
「私について、どのようにお考えでしょうか」
「……は?」
「いや、ですからその」
なぜそんな質問をしてしまったのか、彼女自身も分からない。態度からしても恋愛感情がないのは明白だが、なんのお咎めもなく婚約破棄を許可したという点が引っかかる。しかも、代わりにケイティベルを新たな婚約者として置いた。実質、エトワナ家には不利益どころか得しかない。
リリアンナの評判は地に落ちるだろうが、もともと地面すれすれだったのでそこはあまり問題ではない。
「質問の意味が分かりかねる」
「殿下は、私との婚約がお嫌ではないのかと」
「今さら?」
「ほ、他にお慕いしている方など……」
口を開けば開くほど支離滅裂になってしまう。表情にはほとんど出ていないが、今リリアンナの両掌は手汗でびっしょりと濡れていた。
――ああ、ごめんなさい二人とも。ふっくらとした愛らしい手に私の汗がついてしまうなんて、こんなに可哀想なことはないわ。
嫌われたらどうしようと焦る姉を安心させるべく、双子はにこっと笑みを浮かべる。あまりの可愛さに思わず声が漏れそうになるリリアンナだが、その時なぜかレオニルがいきなり立ち上がった。
「で、殿下?」
「……ああ、すまない」
少々バツが悪そうに顔を顰めながら、ゆっくりと腰を下ろす。三人は顔を交互に見合わせ、どうしたのだろうかと首を傾げた。
「申し訳ございません、不快でしたでしょうか」
「いや、そうではない」
「では、お答えいただけますか?」
引き下がらないリリアンナを前に、レオニルは元の調子を取り戻す。形の良い唇を規則正しく動かして、突拍子もない質問に答えた。
「考えたこともない。結婚に私情を挟むべきではないという点において、私達の見解は一致していると思っていたが」
「はい、確かに仰る通りです。ですが最近になり、今まで一度も殿下のお気持ちに寄り添おうとしなかったことを、後悔しているのです」
今まで一度も見たことのない表情を浮かべる彼女を見て、レオニルは微かに目を見開く。両手から流れ込んでくる幸せな温もりは、鉄仮面リリアンナの心を柔らかく解していた。
「私はこれまでずっと、部屋の片隅で怯える小さな子どものように過ごしてきました。本当の自分を受け入れてもらえる自信などなく、虚勢を張る生き方しか出来ませんでした」
声が震えそうになるたび、二つの小さな息遣いがリリアンナに勇気を与えてくれる。どんなに大きなパーティーでさえ緊張した経験のない彼女だが、本音を晒すことの難しさを改めて実感していた。
「ルシフォードとケイティベルがいてくれなければ、私は生涯間違いを正せないままでした。けれど今は、出来るだけ正直でありたいと思っています。そうでなければ大切な人を守ることはおろか、自分の身勝手さで傷つけてしまうでしょうから」
「……君は、感情論とは無縁の人間ではなかったか」
「いいえ。ずっと、隠してきただけです。今の私が、本当の私なのです」
「仮にそうだとして、なぜ私にそんな話を?」
双子にはいつもと同じにしか見えるが、リリアンナの目にはレオニルがなんとなく困惑しているように映った。彼の言う通り私達はとてもよく似ていると、リリアンナは婚約者の気持ちに寄り添う。もっと早くこうしていれば、良い関係を築けたかもしれないのにと。
「弟妹を幸せにする為です」
彼女は臆することなく、はっきりとそう口にした。
「いつまでも嘘を吐き続けたままでは、この子達を守ることなど出来ません」
「君達は、そんなにも仲が良かったか?」
「ずっと隠していましたが、私の本音は……」
すうぅぅぅ!と勢いよく息を吸い込んだリリアンナは、それを一気に吐き出すと同時に二人の体を思いきり引き寄せ抱き締める。もちもちふわふわすべすべの感触に、鉄の仮面があっという間に剥がれ落ちて粉々にわれた。
「ああ、なんて可愛いの!この子達が血の繋がった弟と妹だなんて、こんな奇跡を与えたもうた神に心からの感謝を!」
「「お、お姉様……っ!」」
「はあぁぁ、声まで可愛い!見た目も中身も匂いも何もかも!同じ空気を吸っていると言うその事実だけで!天にも昇るようなこの気持ちを!私は一体どう表現すればいいのか分からないわ!!」
頬を赤く染め、瞳をとろんと蕩けさせ、はぁはぁと鼻息を荒くしながら弟妹を抱き締めるリリアンナは、もはやレオニルの知る彼女ではなかった。今にも鼻血を拭いて倒れそうなほどに興奮しきっているその様子は、まるで赤い布に突進する闘牛のように激しい。
驚きを通り越して恐怖すら感じているレオニルを前に、リリアンナはただひたすらに愛する弟妹を堪能している。
「お姉様、さすがに落ち着いて!」
「殿下が固まってるよお姉様!」
耳元で思いきり叫ばれた彼女は、ようやく我に返る。ささっとハンカチを取り出し、今にも垂れそうになっていた涎を拭う。
「失礼いたしました。私としたことが、少し取り乱してしまいました」
「あ、あれが少しなのか……?」
一瞬で無表情を取り戻したリリアンナだが、先ほどの姿が衝撃的過ぎてレオニルの頭から離れない。心なしか彼の頬も僅かばかり色付き、心臓の鼓動もいつもより波打っているように感じられる。
冷静で何事にも動じない婚約者から、突然の告白。内容自体は可愛らしいものだが、あまりにも変貌が凄まじいのでどう答えていいのか分からない。
「と、このように。私は弟妹を自分の命よりも大切に思っているのです。本音を話さなかったせいで二人を傷つけてしまったので、もう二度と同じ過ちは繰り返しません。今後は、自分に正直に生きていこうと思います」
「あ、ああ。そうか」
リリアンナの好きにすれば良いと感じたレオニルは、こくりと小さく頷く。胸の騒めきはいまだに治らず、それどころかどんどん酷くなっているような気がして、彼は無意識に胸元を手で押さえた。
場をとりなすように軽く咳払いをして、レオニルは再び王子らしいきりりとした表情を浮かべる。
「とにかく、話を元に戻そうか」
「はい、大変失礼いたしました」
謝罪の言葉と共に目を伏せると、長い睫毛がゆらりと揺れる。姉を守るようにぴったりと寄り添っているぽっちゃり双子は、姉が勇気を出したことが嬉しくてにこにこと笑いながら頬を膨らませた。
「リリアンナお姉様、格好良かったよ!」
「さすがお姉様だわ!」
弟妹は姉を褒めちぎるが、先ほどやり取りの一体どこに格好良さがあったのかと、レオニルは首を傾げたくなる。だが目の前の三人は本当に幸せそうで、いつも無表情で紅茶を一杯だけ嗜んで帰るリリアンナからは想像もつかない。彼女の境遇を知っているレオニルは、ずっと無理をしていた婚約者の苦悩を気付けなかった自身を情けなく思った。
と同時に、羨ましいという感情がふつふつと湧き上がる。優秀な兄といつも比べられ、どんなに努力を重ねても誰からも褒められることなどなかった。
リリアンナと同様、レオニルもずっと自我を押し殺して生きてきたのだ。顔を合わせるたびに愛おしさが爆発しそうになるのを堪え、さも興味のない振りをしてきた。王子としての振る舞いももちろんだが、こんな気持ちを抱くことは許されないと、心の奥底に閉じ込め幾重にも鍵をかけた。
そのはずだったのに、突然素直になったリリアンナを見ていると、自身もそうしたいという欲望が抑えられなくなる。ただでさえ滅多に会えないのに、目の前でそんなにも嬉しそうな笑顔を見せられたら――。
「私達も大好きよ!」
ケイティベルがそう言ってリリアンナに抱きついたその瞬間、とうとうレオニルのタガが外れた。錆びついた鍵は粉々に砕け散り、本当の感情が勢いよく飛び出す。
「もうだめだ我慢出来ない!可愛い!可愛いが過ぎる!!この世の何よりも可愛くて仕方ない!!」
まるでデジャヴでも見ているかのように、彼は魂の雄叫びを上げる。その視線の先に映っているのは婚約者リリアンナではなく、その妹ケイティベルだった。