お願い、命を奪わないで
「本日この場をお借りして、リリアンナ・エトワナ公爵令嬢との婚約を正式に発表させていただきます」
ぽっちゃり双子の生誕パーティーは、例年通り盛大に執り行われた。たくさんの人から祝福され、笑顔と美味しい料理と豪華なプレゼントに囲まれて、ケイティベルもルシフォードも楽しそうにはしゃぐ。そうしてつつがなく一日が終わるはずだったのに、ある人物が高らかに宣言した一言によりその場の空気が一瞬にして凍りついた。
「お二人の晴れの日にこのような混乱を招いてしまい、心より謝罪いたします。ですが、一人でも多くの方に証人として立ち会っていただきたかったのです」
それは、ケイティベルの婚約者となるはずだったトレンヴェルド王国第二王子、エドモンド・レスティン・トレンヴェルド本人の声明。噂通りの屈強な美丈夫で、この国では珍しい銀の髪とブラックダイヤの瞳がシャンデリアの煌びやかな灯りに負けないくらいの輝きを放っていた。
そんな麗しの王子様の傍には、絶世の美女リリアンナ。普段公の場では地味な装いを選ぶことの多かった彼女だが、今日鮮やかなベルベットのドレスを選んだのはこの為だった。エドモンドに見劣りしないよう、リリアンナは妖艶で強かな悪役を演じてみせる。内心では、愛しい弟妹に嫌われる恐怖にがたがたと震えながら。
「一体何が起こっているんだ!エドモンド殿下の婚約者は、妹のケイティベル様では⁉︎」
「そうだったのか⁉︎確かに風の噂で、生誕パーティーで重大な発表をすると聞いたが……」
ケイティベルの婚約発表はサプライズとして秘密裏に進められていたが、エトワナ公爵家と懇意にしている貴族達は遠回しに自慢されていた為、なんとなく勘づいていた。
ベルシアとアーノルドは顔面蒼白で、そわそわと落ち着かない様子で居心地が悪そうに立っている。それもそのはず、彼らもパーティー序盤ではこの件についてまったく知らず、つい先ほど知らされたばかりなのだから。
参列者の騒めきの声は止まらず、さまざまな憶測が飛び交う。エドモンド殿下とケイティベルの婚約内定を知らない者たちも、リリアンナが既にこの国の第二王子と婚約をしていることは当然ながら知っている。
第一王子の妃が出産を控えており、それが無事済んだ後に二人の結婚式が催される予定であったのに、まさかこのような事態がおこるなんて。
悪役令嬢と呼ばれる彼女が今度は一体何をしでかしたのかと、興味津々で目を輝かせていた。
「ねぇ、ベル!何がどうなってるの!」
「私にもさっぱりよ!だって今日、パーティーの終わりに婚約発表するってお母様は言ってたもの!」
「でも、婚約者はお姉様だって言ってるよ!?」
本日の主役であるルシフォードは、口いっぱいにクッキーを頬張りながら渦中の人々を指差す。口元にケーキのクリームをちょんとつけたケイティベルも、目を白黒させながら目の前を見つめた。
「っていうか、あの方がエドモンド王子なのね」
「えっ、最初に挨拶してくれたじゃないか!誕生日おめでとうって」
「あんまり顔を見ないようにしてたの。いくらなんでも、本人の前で泣いちゃだめだから」
ケイティベルの好みは、弟のルシフォードみたいに優しくて穏やかな男性。どう見てもそこから外れているエドモンドは、ぽっちゃりした自分とは不釣り合い過ぎると彼女は思う。今隣に並んでいる姉の方が、よっぽど華やかでお似合いだと。
「私からも説明させていただこう」
「あ、あれはレオニル殿下……!」
なんとそこへ、リリアンナの現婚約者であるレオニル・ダ・ウェントワース第二王子殿下が現れたものだから、会場内はさらに混乱を極めた。麗人だが表情が乏しく、リリアンナとは完全なる政略結婚。度々エトワナの屋敷へ訪れることはあっても、婚約者同士が歓談している姿など誰も見たことがない。
ケイティベルとルシフォードももちろん面識はあるが、何を考えているのか分からない怖い人というイメージしかなかった。
「私とリリアンナは、円満に婚約を解消する。そして彼女はこちらのトレンヴェルド殿下と、私はエトワナ公爵家次女ケイティベルと新たに婚約を結び直すこととなった」
あれだけ騒々しかった会場が、一瞬にしてぴたりと静まり返る。よく通るレオニルの淡々とした声だけが、煌びやかに飾り立てられたホールに反響した。
「これはすでに決定事項であり、国王陛下からの許可も降りている。この国さらなる発展と繁栄の為の婚約であり、意を申し立てる者は我が名をもって厳罰に処する」
一切の顔色を変えず、彼はそれだけ言うとすぐに踵を返す。後ろで一つに束ねられた艶やかな金髪だけが、ゆらゆらと忙しなく揺れていた。
「殿下からの説明通り、この婚約に一切の問題はありません。リリアンナ嬢はいずれ私の妃となり、我が国と貴国を繋ぐ架け橋として輝かしい活躍をみせてくれることでしょう。彼女には、それだけの価値がありますから」
エドモンドは後ろめたさなど微塵も感じさせない様子で、堂々とリリアンナの肩に手を添える。彼女も同じように飄々としていたけれど、とても妹の顔を見る勇気はなかった。
ケイティベルとの婚約発表話はほとんど広まってなかったとはいえ、この一連のやり取りが参列者達の度肝を抜いたことは間違いない。本来ならば時を得顔をしていてもおかしくないはずのアーノルドとベルシアが、喉に小麦粉の塊を詰めたような表情をしている時点で、普通ではない雰囲気が漂っている。
先のレオニルの宣言がある手前今この場で表立って非難する真似は出来ないが、心中では全員が同じことを思っていた。
――自分の婚約者を捨てて、妹の婚約者になるはずだった王子を横取りした最低な悪役令嬢だ。
と。
その後もリリアンナに表面上は祝福の拍手が送られたが、会場内は彼女への蔑視に満ちていた。それに比例してケイティベルへの同情は高まり、せっかくの誕生日になんて仕打ちだと、さらに多くの人達に囲まれた。
当の本人は何がなんだか分からず、ルシフォードへ助けを求める。彼も異様な雰囲気にのまれそうになっていたのを、大好きな片割れの為懸命に堪えて彼女を守った。
双子はもともと、誰からも愛されるマスコットキャラ的存在。たまに見た目をからかってくる令嬢令息もいたけれど、そういう人達はいつの間にか現れなくなっていたから、二人ともあまり気にしたことはない。
いかんせんリリアンナの評判が悪過ぎて、本人達の意思に関係なく勝手に評判が上がっていくのだ。
「ああ、私の可愛いケイティベル。こんなことになって、さぞや胸を痛めていることでしょう」
ベルシアは彼女のもちもちとした体ををきつく抱き締め、目に涙を浮かべている。当の本人はというと、けろりとした顔をしていた。
「お母様、泣かないで。私は平気よ、それにお姉様とエドモンド殿下とってもお似合いだったし、私が結婚するよりずっといいわ」
「なんて殊勝なの……!貴女は優し過ぎるわ!」
「そうじゃなくて、本当に平気なんだってば」
ケイティベルの言葉は、ベルシアには届かない。まるで自分自身が一番の被害者であるかのように、憎悪の表情を浮かべながらリリアンナを糾弾する。
正直なところ、ケイティベルは「外国に行かなくてもいいの?やったぁ!」という感情が大きく、姉を恨む気持ちはない。先ほどの婚約発表はもちろん驚いたし、エドモンド殿下との結婚がなくなった代わりに姉の元婚約者が新しい婚約者だなんて、嬉しいとは思えない。
そしてどちらの王子様も、ケイティベルの好みとは真逆だった。
「結婚なんかしないで、ずっとルーシーといられたらいいのに」
彼女が何を言っても、ベルシアは悲観的な方向に捉える。
「あの子は、自分がレオニル殿下に嫌われているのが気に食わなくて、エドモンド殿下に目を付けたのよ。我が娘ながら、ぞっとする行いだわ」
「お姉様は、エドモンド殿下が好きなのかしら?それなら、婚約はおめでたいことだと思う」
彼女の言葉を聞いて優しく笑ってくれたのは、ルシフォードただ一人。彼だけは、ケイティベルが本心しか話していないと分かっていた。
「ねぇルーシー。リリアンナお姉様のところに行ってみない?」
いまだに一人舞台を繰り広げている母の目を盗んで、ケイティベルはルシフォードに耳打ちをする。それを聞いた彼は、シンプルに嫌そうな顔をした。
「怖いよ、僕」
「私だって怖いわ!だから一緒に来てって、お願いしてるんじゃない」
「お姉様のところに行ってどうするの?」
お揃いのドレスとスーツに身を包んだ可愛らしい双子の密談は、周囲から見ると微笑ましい光景だ。
「私が怒ってるって誤解されたくないから、ちゃんと説明しなきゃ。それに、さっきから皆お姉様の悪口ばかりで、誰も心からお祝いしてあげてないから」
「いくらお姉様が怖いからって、確かにちょっと可哀想だね」
「でしょう?ルーシーなら分かってくれると思ってた!」
両親に説明したところでリリアンナを叱るだけだと、二人は理解している。確かに怖くて意地悪で隣にいると緊張で体ががちがちになるけれど、だからといって婚約を祝わないのは話が別なのではないか、と。
「じゃあ、行こうベル」
「ありがとう!」
主役席からぴょんと飛び降りた二人は、ベルシアに気付かれないようささっとその場から逃げ出す。先ほど見かけた場所にはいないようなので、会場外に出てうろうろと探し回ることにしたのだった。
真っ白な肌に映えるレモンイエローの衣装に身を包んだルシフォードとケイティベルは、どこへ行ってもよく目立ち声を掛けられる。これでは日が暮れてしまうと思った二人は、偶然見つけた洗濯メイドからシーツを二枚借りて、それを頭から被ることにした。
「あらあら、可愛らしい遊びだわ」
「お二人は本当に仲が良い」
「隠れているのかしら?あまり引き止めない方がよさそうね」
完璧に身を隠したつもりなのは当人だけで、通りがかる人達は温かい目でそれを見守っていた。
「これ、暑いね」
ルシフォードはふうふうと荒い息を吐きながら、シーツの下では顔を真っ赤にして玉のような汗をかいている。
「もう少し我慢して。お姉様を見つけたら、すぐにこれを脱ぎましょ」
ケイティベルも同じく、前髪が額に張り付いている。前が見えるように目元は外に出しているから、姉の姿があればすぐに気付くはずだと、一生懸命視線を彷徨わせていた。
被っているシーツのせいで足元が覚束ず、普段近寄らないような場所に足を踏み入れていることに気付かない。しばらく進むと微かに誰かの話し声が聞こえてきたので、二人はぴたりと足を止めた。
「落ち着くんだ、もう少し辛抱しろ。時が来たら必ず始末する」
「無理よ兄さん、私もう我慢出来ない!今すぐこの手で、あの白豚双子を殺してやる!」
声の雰囲気から察するに、苛立った男とヒステリックな女の会話。漂う不穏をいち早く察したのはルシフォードで、足を進めようとするケイティベルのシーツを後ろからぐっと引いた。その拍子に、真っ白なそれがぱさりと地面に落ちる。
「ちょっとルーシー!いきなり引っ張ったら危ないじゃない!」
「待ってベル、何か変だよ!引き返したほうがいい!」
不満を口にする彼女を咄嗟に宥めるルシフォードだったが、時は既に遅かった。いつの間にか辺りはしんと静まり返り、声の主は足音もないまま二人の間近に迫る。
「忌々しいデブめ……っ!死ねぇ……‼︎」
短剣の切先がぎらりと輝くのを目にした瞬間ルシフォードが咄嗟にケイティベルを庇う。あまりにも突然のことに叫び声すら出せない二人は、その異様な空気に飲まれながらぎゅうっと瞼を閉じた。
「止めなさい‼︎」
憎しみに満ちた金切り声とは違う、凛と澄んだ鈴のような音。双子の姉リリアンナはケイティベルの落としたシーツを拾うと、相手に向けて思い切り広げながら投げつけた。それが目眩しとなり、ルシフォードとケイティベルは一命を取り留める。
「リリアンナ、お姉様……?」
「私が来たからには、もう心配はいらないわ」
いつになく優しげな物言いでそんな台詞を口にすると、彼女はがたがたと震える弟妹達の体にシーツを巻き付けながら抱き締める。
真っ白だったそれは見る見るうちに赤く染まり、リリアンナの華奢な体から力が抜けていく。それでも愛する二人だけは絶対に守り抜くと、背中に刺さった短刀もそのままに彼女はただそれだけを考えていた。
「まぁ、評判最悪の悪役令嬢が白豚を庇ってるわ!」
リリアンナを刺した張本人の高らかな笑い声が、下品に響き渡る。それとは対照的にぼそぼそとした滑舌の悪い男が「気付かれるからあまり騒ぐな」と女を諌めていた。
「私の弟妹には、指一本……、触れさせない」
「死にかけのくせに、何が出来るの!」
ほんの一瞬の間に天変地異が起こったような感覚で、二人は満足に息も出来ない。脳がパニックを起こし、口内はからからで唇は開かない。それでも、姉が自分達を身を挺して庇ってくれたのだということだけは理解していた。
「もうすぐ人が来るわ、それまでの辛抱だから」
シーツ越しに響くリリアンナの声は、酷く弱々しい。
「お、ねぇさま、お姉様ぁ……っ‼︎」
「体を離して‼︎僕たちを庇ってたらお姉様が……っ‼︎」
空色の瞳からはぽろぽろと涙が溢れ落ち、今目の前が何色なのかも分からない。
「これくらい平気よ、なんともない」
少しでも安心させたくて、彼女はふんと気丈に鼻を鳴らしてみせた。
「離れろこの……っ、しぶといったら‼︎」
「後はあいつらに任せろ。俺達の顔が割れるとまずい」
「今から全員殺すんだから、そんな心配いらないわ」
酷く幼い顔立ちをした女は、双子に抱き着いているリリアンナを引き剥がそうと、彼女に刺さっているナイフをぐりぐりと奥に押し込む。
それでも嗚咽ひとつ漏らさないことに苛立ち、ちっと舌を打ち鳴らした。
「複数の足音だ、行くぞ」
「まだ白豚を殺してない!」
女は不満そうに奇声を上げたが、側付きの男が無理矢理に体を持ち上げる。聞くに耐えない罵声はだんだんと遠ざかり、それに比例するようにリリアンナの体からすべての力が抜けた。
役目を終えたかのようにずるずると地に伏し、ほとんど息を吸うことも出来ない。
「リリアンナお姉様‼︎」
「うそ、こんなことって……‼︎」
いつの間にか赤く染まりきったシーツを投げ捨て、二人は姉の体に縋りつく。涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、必死に叫び声を上げた。
「こ、こは……、危険だから……。早く、逃げなさい……」
「お姉様を置いていけないよ‼︎」
「そうよ、死んじゃうわ‼︎」
自身の死期が喉元まで迫っていることを感じているリリアンナは、最期の力を振り絞って喉を震わせる。
「大丈夫よ、貴方達は必ず幸せに生きていける」
本当は、それをいつまでも側で見守りたかった。自分はいい姉ではなかったと、後悔の念だけが胸いっぱいに広がる。
――永遠に愛しているわ。ベル、ルーシー。
ちゃんと口に出せたのか、彼女がそれを知ることはもう二度とない。
「誰か、誰かぁ‼︎」
「死んじゃだめだよ‼︎」
十歳になったばかりの子どもが、凄惨な殺人現場を目の当たりにして冷静な判断など出来るはずもない。背後に迫った足音を聞いて、なんの疑いもなく助けだと期待した。
「悪いな、子豚ちゃんたち。恨むならこの国を恨んでくれ」
リリアンナの血液が染み付いたシーツで、再び視界を塞がれる。下卑た台詞と共に、双子は無理矢理引き離された。
「ベル‼︎だめだ、ベルを離せぇ……‼︎‼︎」
「いやぁ‼︎ルーシーッ‼︎‼︎」
白くて柔らかな二人の指先は、絡まることなく空を切る。リリアンナの命を賭けた願いも虚しく、双子の幸せな人生は十歳の誕生日を迎えたその日に幕を閉じたのだった。