大切な家族、たとえ離れていても永遠に
そしてその次の日の朝。目をぱんぱんに腫らしたリリアンナを見て、ルシフォードとケイティベルは揃ってあんぐりと口を開ける。大団円に水を差したくはなかったが、どうしても涙が溢れて止まらず一睡も出来なかった。食堂へ行く前に、二人は慌てて姉の手を引いてバルコニーへと連れ出した。
「……ごめんなさい。年長者である私がこんな体たらくを」
「僕達、そんなこと思ってないってば!」
「そうよ!ぜんぶお姉様のおかげなんだから!」
申し訳なさげに眉を下げる彼女を見て、ルシフォードとケイティベルは全力で首を左右に振る。リリアンナがあんな突拍子もない話を信じて、全力を尽くして守ってくれたからこそ、乗り越えることが出来た。いやそもそも、死んでしまったあの夜でさえ姉は自らを犠牲にして助けようとしていた。それがリリアンナに抱いていた誤解をきっかけとなり、今はこんなにも大好きになったのだ。
「お姉様、本当に本当にありがとう!」
「今度は皆揃って生き残れたから、満足よ!」
「二人とも……」
とうとう決壊は崩壊し、リリアンナはその場にぺたりと座り込む。そして思いきり目を擦りながら、赤子のようにわんわんと泣き始めた。
「良かった……。生きていてくれて良かった……!」
パーティーホールで人目を惹きつけている間も、心配で頭がどうにかなりそうだった。手練れの護衛やレオニルがついていると分かっていても、不安に胸が押し潰された。
今自分が駆けつけたところで、足手纏いになるのは目に見えている。与えられた役割を完璧にこなすことこそが、二人を救う一因になるのだと。
――神様どうか、あの子達をお守りください。
涼しい顔の裏で、硬く握られた彼女の掌には薄らと血が滲んでいた。
「ありがとう、ありがとう、生きていてくれてありがとう……っ!」
うわああん、と人目を憚らず泣き声を上げるリリアンナの姿に、双子の空色の瞳にも涙が浮かぶ。二人はそれを誤魔化すように、勢いよく姉に抱きついた。
「大好きよ、お姉様!」
「ずっとずっと、僕らのお姉様でいてね!」
力強いその言葉に、リリアンナは生まれて初めて弟妹に縋りつく。もうしばらくこのままでと、二人の温かな腕の中で思う存分涙を流したのだった。
♢♢♢
結局、ケイティベルの婚約発表は延期となった。なにしろ当事者の一人であるレオニルが彼女の笑顔に心臓を撃ち抜かれ、白目を向いて倒れてしまったのだからどうしようもない。
代わりに後日、リリアンナの悪役っぷりが誤解だと知った貴族紙専門の新聞記者が、姉妹それぞれの婚約を大々的に取り上げた。
彼はもともとエトワナ家に雇われた記者で、誕生日パーティーの様子を適当に載せて終わる予定だったが、リリアンナが弟妹に向ける聖母のような微笑に心を奪われ、まんまと彼女の言う通りに記事を書いたのだ。
正確には、彼女というよりも双子の仕業。婚約者の入れ替わりによって姉だけに避難が集中しないよう、大衆が好みそうな嘘を吐いて上手く目を誤魔化した。
『レオニルとケイティベルは、運命の恋に落ちた』
二人が仲睦まじく乗馬を楽しんでいる風俗画と共に、それはそれは情熱的な文章となっている。加えて、エドモンドとリリアンナが双子の誕生日パーティーでダンスを踊る姿が実にお似合いだったという噂も広まり、結果的にエトワナ姉妹への抽象は想像していたよりもずっと少なくて済んだ。
「本当に、本当に後悔はないのか?」
エトワナ家にて。例の新聞が広げられたテーブルを挟んで、ある会話が繰り広げられていた。
ケイティベルに情けない姿を晒したレオニルは、見ている方が心配になるほどに落ち込み、これには普段穏やかなケイティベルも腰に手を当てながら彼を叱責した。
「ですからあの記事は、私が頼んで書いてもらったんです!何回もそう説明しているのに、ちっとも分かってくださらないんだから!」
二人の婚約は公となったが、まだ正式なものではない。完璧王子は見る影もなく、しゅんと項垂れたまま情けない台詞ばかりを口にしていた。
「君は本当に素晴らしい令嬢だ。十一も歳の離れた、しかも肝心な場面で白目を向いて倒れるような不甲斐ない男と結婚など……」
「ああ、もう!決まったことをうだうだと!」
仮にも王子である彼に対して、ケイティベルはどこまでも強気。ルシフォードはおろおろしながらフォローしようと試みるが、レオニルの前髪はますますしょぼくれていく。
その様子を見かねたリリアンナが、ケイティベルに耳打ちをする。ちなみに彼女の婚約者エドモンドは、すでにトレンヴェルドヘ帰国していた。もちろん、痣持ち双子のオリバーとオリビアを連れて。
あれだけ大勢の人間がいて関係者以外の誰も騒ぎに気付かなかったのは、運が良かったとしか言いようがない。リリアンナとエドモンドが、ホールにてわざと注目を浴びるような振る舞いをして周囲の興味を引きつけていたとはいえ、オリバー達の痣を見られたら穏便には済まなかっただろうから。
結果としてエトワナ三姉弟のとった様々な行動は相乗効果を生み出し、すべてがプラスへと働いたというわけだ。ただ一人、良い歳をして情けなく背中を丸めるレオニルを除いては。
「ねぇ、ケイティベル。殿下は貴女を守ってくれたのでしょう?少しは優しい物言いをしないと、不憫だわ」
「だって、訳の分からないことばかりおっしゃるんだもの!」
「きっと不安なのよ。私には、殿下のお気持ちが良く分かるわ」
相手を思うあまり空回りしてしまうのは、リリアンナにも覚えがある。自分のせいで弟妹の評判に傷が付いてはいけないと、ずっと遠ざけていた。
「いきなりすべてを受け入れる必要はないの。少しずつ、まずは殿下の良いところを見てあげて?」
「殿下の良いところ……」
姉の言葉に、ケイティベルは首を傾げる。本当は怖い人ではないと知ってからは、むしろ嫌な点を上げる方が難しい。この婚約に関しても、最初は外国に嫁ぎたくないからという理由が決め手のほとんどを占めていたが、今となってはレオニルで良かったのではと思うくらいには、ケイティベルは彼に心を許していた。
文武両道、冷静沈着、それはそれは見目麗しく欠点など見当たらないと評判の第二王子は、蓋を開けてみれば婚約者の妹に熱を上げているただの変人。ケイティベルが話しかければ、一見無表情のように見えて指先がそわそわと忙しなく動き、形の良い耳はほんのりと赤く染まる。
完璧な王子様よりも今の方がずっと親しみやすくて素敵だと、ケイティベルはそんな風に思っている。だからこそ、自分を勝手に神格化してつり合わないだのなんだとの卑下するレオニルが、腹立たしくて仕方なかったのだ。
「確かに、言わなきゃ伝わらないわよね」
姉からの助言を受けたケイティベルは、部屋の隅で丸くなっているレオニルに近付き、その広い背中をぽんぽんと叩く。
「殿下は私を花嫁に迎えてはくださらないのですか?」
「し、しかし私では……」
「私は殿下を選んだけれど、貴方様が嫌なら仕方ありませんね」
「い、嫌なわけがないだろう!」
だんだんと小さくなる彼女の声色に、レオニルは慌てて顔を上げる。元婚約者の妹、歳の差、天使のような清らかさ……などなど。勝手に負い目を背負っているレオニルだが、決してケイティベルを傷付けたいわけではない。
「では、問題は解決です!ほら、こちらへ!」
にこっと快活に笑う彼女に手を引かれ、レオニルは立ち上がる。その瞬間、抱えていたもやもやなどすべて吹き飛んでしまった。うじうじと御託を並べたところで結局彼は、ケイティベルと共にいられることが嬉しくてたまらないのだから。
「一件落着だね、ベル!」
ルシフォードはほっとした様子で頷くと、ケイティベルと同じようにレオニルの手を握る。両サイドから感じるふわふわとした心地の良い感触に、彼は思わずとろりと眉を下げた。
「リリアンナ、すまない……。私は今、この上ない幸福に包まれている……」
「ふふっ、それは良かったですね」
初めて見る元婚約者の表情に自分を重ねたリリアンナは、口元に手を当てながら微笑む。我が弟妹には誰も敵わないと、誇らしささえ感じていた。
さて、エトワナ家の両親はというと。新聞記事に大変満足しており、リリアンナへの冷遇もすっかり鳴りを潜めている。とはいえ、長年のしこりがすぐに解けるわけではなく、付かず離れずといった関係性は変わらない。
寂しい幼少期を過ごしてきたリリアンナだが、そんな彼女だからこそ人の傷みに共感出来る優しく聡明な女性に成長した。両親がいなければ、最愛の弟妹にも出会えなかったのだから、怨む気など少しもない。
ただ人はジレンマを抱えて生きるもので、考え方も違えば相性の良し悪しもある。無理に手を取り合う必要はなく、今後もそれぞれの場所で幸せに過ごしていけたら良いと、両親についてはそう思っていた。
リリアンナがこんな風に心のゆとりを持つことが出来たのは、エドモンドの存在も大きい。弟妹と離れてしまうのはとても寂しいが、自分には新しい環境の方が合っているのではと感じる部分も確かにある。
愛情から芽生えた関係ではないが、エドモンドとならばきっと上手く信頼を築いていけると、リリアンナにしては珍しく期待に胸を躍らせていた。
「レオニル殿下、また乗馬を教えてくださいませ!」
「あっ、ベルずるい!僕は殿下とチェスがしたいのに!」
「横槍を入れないでルーシー!私が先なんだから!」
「いや、僕が先だ!」
レオニルの取り合いが始まり、彼の着ている上質なコートの袖は伸びに伸びている。が、それよりも麗人の鼻の下の方が圧倒的に残念なことになっていた。
「まぁ、もう陥落しているわ!」
くすくすと声を上げて笑うリリアンナと、つい先ほどまでしょぼくれていたとは思えないレオニル、そしてそんな彼に抱き着くルシフォードとケイティベル。
これは果たして天然か、それとも双子の策略か。真実は二人にしか分からないのであった。
♢♢♢
エトワナ公爵邸の自慢の中庭は、今日も暖かな日差しと甘い香りの花々に包まれている。姉リリアンナはバスケットを手にしており、双子のルシフォードとケイティベルは二人で協力しながら芝生の上にござを敷いた。
「ケイティベルの好きなデニッシュを焼いてもらったのよ」
「わぁ、焼き立てね!おいしそう!」
空色の瞳をぱあっと輝かせる彼女に、リリアンナの美顔はたちまちふにゃりと崩れる。
「それからデザートには、さくらんぼよ」
「僕の好物だ、お姉様ありがとう!」
白い歯を見せながら喜ぶルシフォードも、天使に負けない可愛らしさだ。こんな風に弟妹と穏やかな日常を過ごせることが、リリアンナは嬉しくて堪らない。気を抜くと涙が溢れ落ちそうになるのを、さり気なく天を仰いで誤魔化した。ついでに、鼻血も。
「食べ終わったらお花を摘もうよ」
「そうね、私お姉様に花冠を作ってあげたいわ」
「それは楽しみ」
所作ひとつとってもリリアンナは完璧で、双子の口元は汚れている。いくら目に入れても痛くないほど可愛いからといって、マナーを疎かにすることは本人の為にならない。彼女はなるべく柔らかな物言いを心掛けながら、二人に注意を促した。
その後三人は存分に午後のひと時を堪能し、木陰でひと休み。ケイティベルは姉の膝の上に頭を乗せ、またルシフォードは肩に寄りかかり、うとうとと夢の世界へ旅立っていく。リリアンナは嬉しそうに微笑みながら、どこまでも澄んだ青空を見上げた。
ほんの数ヶ月前までは、まさかこんな風になるとは予想もしていなかった。最愛の弟妹に懐かれ、頬を触りたいという願いも叶い、もうこの世に悔いはないとすら感じる。
――いいえ、まだこれからだわ。もっともっと、二人の幸せを見届けたいもの。
長い間姉らしいことをしてやれなかったという後悔が、彼女の心に巣食っている。ルシフォードとケイティベルはそれを笑い飛ばし、ちゃんとリリアンナの性格を理解して受け入れてくれた。
痣持ち双子の事件も、いくら子どもとはいえ普通は見逃せるものではない。偏見も差別もなく、ただ許すという行為がどれほど難しいことであるか。愛され双子はその見た目だけでなく、中身も本当に輝いている。
「きっと神様が、貴方達をお救いくださったのね」
穏やかな寝息を聞きながら、リリアンナはぽつりと呟いた。一度死んで時が巻き戻ったのか、それとも予知夢を見たのか、真相は分からない。けれどこの世界が尊い二人の命を守ったのだと、彼女は毎晩満月に祈りを捧げていた。
今まで素直に可愛がってやれなかった分も含めて、ルシフォードとケイティベルの為ならばどんなことでもするつもりだと、リリアンナは心に誓っている。
今後エドモンドとの婚約が進み、結婚する運びとなったなら自分はこのセントラ王国を離れることになる。後悔はしていないが、やはり寂しいという思いは消えない。ケイティベルの手前、そんな態度はお首にも出さないが。
それにリリアンナの中に、妹の代わりに無理をしたという気持ちはなかった。自らが望んだ結婚であるし、エドモンドとならきっと穏やかに暮らしていける。そう簡単に会える距離ではなくても、胸の中にはいつだって愛しい弟妹の姿が刻まれている。それにあの二人は、離れるべきではない。これから先困難に見舞われても、必ず力を合わせてそれを打破するだろう。
「……ありがとう。ルーシー、ベル。貴方達の姉になれて、私は本当に幸せよ」
彼女の頬を伝う一筋の涙には、一体どんな意味が込められていたのか。気持ちよさそうに眠る双子には、その真意を知ることは出来なかった。




