不器用な姉から、最愛の弟妹へ
リリアンナと双子の母であるベルシアは、それは美しい女性だった。しかし根っからの貴族令嬢でプライドが高く、他者から非難されるのが大嫌い。リリアンナを産んだ時女児であることを夫に責められた瞬間、もうその子を可愛いと思えなくなってしまった。その後双子を出産するまでの八年間も決して順風満帆とはいかず、夫が妾を作るたびに虐めたおして追い出した。
やっと授かった第二子が男女の双子という事実は彼女を助け、同時に自尊心も満たしてくれた。ふくふくとした白い肌と、ころころと変わる表情。甘やかな香りを漂わせながら、母親を求めて可愛らしい声で泣く。
ベルシアの中にはもともと自分の手で子育てをするという選択肢がない為、もちろん双子の世話も乳母の役目。それでも顔を合わせている間はめいいっぱい愛の言葉を伝え、たくさんのプレゼントも贈った。
二人は両親を心から愛しているが、もしも乳母が人格者ではなかったならもっと横暴で意地悪に育っていたかもしれない。リリアンナは双子と違い、周囲に恵まれなかったのだ。
「お母様のお話って、私の婚約者のことだったのね」
「僕たちの誕生日パーティーで、皆にも発表するって言ってたね」
屋敷に戻った二人は、母ベルシアと共にパーラーでお茶とお菓子を楽しみながら、間近に迫った十歳の誕生日についての話を聞かされた。そして、ケイティベルの婚約相手がようやく決まったということも。
なかなかベルシアのお眼鏡に叶う相手が見つからなかったのだが、国王から推薦された他国の第二王子を可愛い娘の婚約相手に決めた。
名前はエドモンド・レスティン・トレンヴェルド。ケイティベルの八つ上で、剣の才能に恵まれた豪傑な美丈夫。英明果敢な兄の補佐役として、将来を有望視される素敵な青年だった。
「会ったこともないのに、婚約者だって。つまりその方は、私の旦那様になるってことよね」
二人の体を何人並べても足りないほどに長い廊下を歩きながら、ケイティベルがぽつりと呟く。誰が聞いても、喜んでいるとは思えない声色だ。
「嫌なら、僕からお母様に頼んであげようか?」
「だけど、すごく喜んでいたわ。私の為に一生懸命素敵な人を探してくれたのに、わがままなんて言えない」
今回婚約が決まったのは、ケイティベルだけ。ルシフォードは内心「僕はまだで良かった」と思いながらも、大好きな双子の片割れを心から心配する。
「婚約するのが嫌なんじゃなくて、遠い外国の第二王子っていうのが悲しいの。だって、結婚したら私はこの国にはいられないし、大好きな家族と離れ離れになっちゃう」
ふっくらした頬っぺたはいつも持ち上がり、にこにこと笑っていることの多いケイティベルが、悲しげに眉を下げている。ルシフォードの方が泣きそうになり、姉の左手をぎゅっと握った。
ただでさえさっき、リリアンナの言葉に傷付けられたばかり。今日はあまり素敵な一日じゃないと、彼の眉も自然と下がる。
「大好きなルーシーと会えなくなるなんて、そんなの耐えられない」
「そうだ、僕の婚約者も同じ国の令嬢にしてもらえばいいんだ。ベルと一緒にトレンヴェルド王国に住むよ!」
「ダメよ!貴方はこの家の後継なんだから」
ケイティベルは弟の手を握り返すと、ぶんぶんと首を左右に振った。
「でも、僕もベルと離れたくない」
「どうにかして、ずっと一緒にいられる方法はないかしら?」
「やっぱり、お父様とお母様にお願いしてみようよ!二人で一生懸命説得したら、なんとかなるかも!」
「そうよね、そうしてみましょう!」
二人は互いに涙を拭いながら、顔を見合わせて笑う。まだまだ世間を知らない子どもは、当然この婚約の意味を深く理解していない。エトワナ公爵家は王族の傍系であり、その血を受け継ぐケイティベルを外国の妃とすることは双方にとって大きな意味を持っている。
母ベルシアが彼女の幸せを願う気持ちに偽りはないが、国王を含む王家に打算がないといえば嘘になる。いくら絶大な権力を有する公爵家だとしても、家族と離れたくないからなどという理由でこちらから断れないことは明白だった。
「……泣き顔も愛らしいけれど、二人が悲しむ姿は見たくないわ」
双子の様子をこっそりと見守っていたのは、姉であるリリアンナ。結局彼女は、馬車を使わずドレスにヒール姿で中庭から屋敷へと戻ってきた。心拍数は普段の数倍に跳ね上がっているが、それを感じさせないポーカーフェイスは得意中の得意。
ルシフォードとケイティベルの会話を盗み聞いていたリリアンナは、大切な弟妹をなんとかして救ってやりたいと、人知れず心を痛めるのだった。
それから時は経ち、いよいよ十歳の誕生日パーティー当日。母ベルシアからの婚約話を聞いてからというもの、ケイティベルの表情は浮かないまま。ルシフォードと二人で「外国の王子様とは結婚したくない」と両親に訴えたが、慈愛に満ちた表情で慰められるだけ。
「私も、貴女と離れるのはとても辛いわ。けれど彼が一番好条件の相手であることは確かなの。必ず貴女を幸せに導いてくれる」
ベルシアはケイティベルを優しく抱き締めながら、柔らかな金髪を撫でる。彼女はちゃんと母の気持ちを理解しているが、それでも寂しいものは寂しい。
「ベル、元気出して。色んな人に聞いて回ったけど、君の婚約者は良い人だってみんな言ってた」
「分かってるけど、外国に行きたくない」
フリルがたっぷりあしらわれたレモンイエローのドレスは、彼女の白い肌によく映えている。髪はティアラのように編み込まれ、ドレスと同じく黄系統の生花が散りばめられていた。首元には、真新しい宝石のペンダントがぴかぴかと輝いている。
「まだまだ時間はあるし、大丈夫だよ。もしエドモンド王子がベルを嫌いになったら、結婚もなしになるかもしれないし」
ケイティベルとお揃いの、レモンイエローのスーツ。白いシャツや靴を合わせて、悪目立ちしないように上手くコーディネートされている。
ぽっちゃりした体型にフィットするようにあつらえたドレスとスーツは、二人の可愛らしさをこれでもかと引き立てていた。
「確かに!じゃあ、嫌われるように頑張ればいいんだ!」
「どうやって?」
「どうしよう」
膝を突き合わせてひそひそと作戦会議をしてみても、一向に名案が浮かばない。誰からも愛され素直に育ってきた二人は、どんなふうに振る舞えば嫌われることが出来るのか分からなかったし、いたずらに人を傷付けるのも嫌だった。
「そういえば、ベルの着けてるそのネックレス初めて見たけど、凄く似合ってるね」
いつの間にか話題は変わり、ルシフォードはケイティベルの首元で輝いているペンダントを指差す。大きなイエローダイヤモンドはドレスとマッチしており、彼女の明るく愛らしいイメージにもぴったりだ。
「確か、永遠の絆とか愛って意味があったんじゃないかな」
「あら、ルーシーってば詳しいのね」
「エトワナ領には宝石鉱山があるから。色々調べてたら、楽しくなっちゃって」
互いに褒め合い、にこにこと笑う。周囲はその様子を、実に微笑ましく見守っていた。
「お誕生日のプレゼントに貰ったんだけど、贈り主が分からないの。枕元に置いてあったから、きっとお母様とお父様のどっちかだと思う」
「えっ!僕もだよ。この飾りボタンとカフスが、ベルと同じように今朝枕元にあった」
「凄く素敵ね、ルーシーにぴったり」
ケイティベルのペンダントと同じ、イエローダイヤモンドを貴重としたそれ。二人は顔を見合わせながら、綺麗な空色の瞳をまん丸にして瞬きを繰り返した。
「後でお礼を言わなくちゃ」
「ずっと大切にしよう」
「ルーシーとお揃いって最高!」
ケイティベルの顔に笑顔が戻ったことに、ルシフォードはほっと胸を撫で下ろす。すると背後からリリアンナが現れたことで、ほんわかとした雰囲気が一変した。二人の表情も、さっと曇る。弟妹が大好きな姉は、内心ぐさっと心を抉られた。
「今日の主役が、こんなところで何をしているの?」
光沢のあるベルベットのドレスは、ペチコートの膨らみが少なめで彼女のスタイルを際立たせている。髪を高くアップにしている為、すらりとした細いうなじも惜しみなく露わになっていた。アイラインをキツめに引いた目元は、リリアンナの凛々しい美しさを象徴している。
「お姉様、とっても綺麗……」
あまりの迫力に、二人は思わず感嘆の声を漏らす。その後すぐにはっとして、互いの口元を手で塞いだ。
「ご、ごめんなさい」
「謝る必要はないわ」
抑揚のない声でそう口にすると、リリアンナは気付かれないようちらりと視線を下に向ける。ケイティベルの首元とルシフォードの襟や袖を見て、
――ああ、私が贈ったプレゼント、つけてくれているわ!なんて可愛らしいのかしら、宝石の輝きがくすんで見えるくらいよ!
と、気を抜けば涙を流して悶絶してしまいそうになるのを、彼女は理性を総動員させて必死に堪えた。
「でも、珍しいね。お姉様パーティーの時はいつも地味にしてるのに」
「そう言われるとそうね、どうしたのかしら」
ただでさえ派手な顔立ちのリリアンナは、パーティーやお茶会の席ではなるべく目立たないような服装を心がけている。特に今日の主役は双子なので、本来ならばこんなドレスは絶対に選ばない。
内緒話をしているつもりでも、二人の会話はしっかりと彼女に届いている。ふっくらとした可愛らしい姿を目の当たりにすると、今から自分がしようとしていることは本当に正しいのかと、決心が鈍ってしまう。
ケイティベルが婚約の話を知って以降、ずっと元気がないのを知っているリリアンナは、なんとかして妹を救う手立てがないかと考えた。両親にとって自分が取るに足らない存在だと分かっている彼女は、自身の抗議など意味がないと最初から諦めていた。だから、他の方法を取るしかないと。
「ケイティベル。一つ確認させてちょうだい」
リリアンナは膝を折り、まだまだ小さな妹と視線を合わせる。十歳の令嬢にしては随分と幼いようにも感じるが、愛されているが故の素直さだと彼女は思っていた。
「な、なに?お姉様」
ここまで距離が近付いたのは初めてで、ケイティベルはあからさまに顔を強張らせている。双子にとって姉は、悪役令嬢と呼ばれる意地悪で冷酷な畏怖の対象でしかない。母ベルシアもことあるごとにリリアンナを批判していた為に、それが事実であると信じて疑わない。だって、見た目も態度も凄く怖いし全然優しくないし、と。
「貴女は本当に、エドモンド殿下との結婚を望まないのね?」
「えっ?どうしてそれを……?」
「お願いだから、貴女の素直な気持ちを教えてちょうだい」
深いロイヤルブルーの瞳の奥には、どんな考えが潜んでいるのかケイティベルには分からない。姉から嫌われていると思い込んでいる彼女は、果たして本当のことを打ち明けても良いのだろうかと、困ってしまった。助けを求めるようにルシフォードを見ても、彼も同じような反応をしていて頼りにならない。
「う、うん。私、外国には行きたくない。好きな人と結婚出来なくても、この国を出るのは絶対に嫌なの」
「……そう。よく分かった」
勇気を出して本音を話したが、てっきり馬鹿にされるか叱責されるかのどちからかだろうと目を瞑って身構えていたケイティベルは、思ったよりずっと穏やかな声色が降ってきたことに驚き、顔を上げる。
「誕生日おめでとう、ケイティベル。ルシフォード。多幸の一年となることを祈っているわ」
リリアンナはそれだけ口にすると、音も立てずに立ち上がる。姉の不可解な行動に、双子は顔を見合わせた。
「お、お姉様……?どうしてそんなことを聞いたの?」
「もしかして、誰かに告げ口する気?ベルを傷付けたら、僕が許さないから!」
空色の瞳を揺らすケイティベルと、そんな彼女を庇うように前に出るルシフォード。いつも仲が良く一心同体の二人を、リリアンナはいつも羨ましく思っていた。
――お姉様、大好き!
そんな風に抱き締めてもらえる未来を、何度夢見たか分からない。けれどリリアンナが素直な気持ちを伝えるには、生まれた環境が悪過ぎた。誰にも祝福されず、認めてもらえず、悪役のレッテルを貼られて周囲から敬遠された。
どうして誰も本当の自分を理解してくれないのかと他者を責めたこともあったけれど、弟妹を見ていればその理由がよく分かる。いつも笑顔で明るくて、素直で可愛らしい。皆から愛される、リリアンナとは真逆の存在。結局は、すべて自分自身のせいなのだと。
「どう思おうと自由だけれど、これだけは言えるわ。貴方達に一切の非はないと」
ベルベットのドレスを優雅に翻し、リリアンナは去っていく。彼女の言動が何ひとつ理解出来ない二人だったが、背筋の伸びた後ろ姿と真っ白なうなじが妙に印象的で、しばらく視線を逸らせずにいたのだった。