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愛され者と嫌われ者

――お、ねぇさま、お姉様ぁ……っ‼︎

体を離して‼︎僕たちを庇ってたらお姉様が……‼︎

 

 泣き叫ぶ弟妹の声色が、だんだんと遠くなる。リリアンナ・エトワナ公爵令嬢は、間違いだらけの人生を悔やみながらも、二人だけは守ると固く誓う。


――私の愛しい……。いい姉でなくて、ごめんなさい。


 死の間際、彼女の頬には一筋の透明な涙が流れ、それはやがてドス黒い血の海に飲まれて跡形もなく消えていった。



♢♢♢

  エトワナ公爵家は、王族の傍系である由緒正しき家柄。貴族至上主義の両親と、容姿振舞共に完璧と謳われる長女リリアンナ。そして男女の双子ケイティベルとルシフォードは、八つ年上の姉に似ずぽっちゃりで愛くるしいマスコットのような存在。

 このセントラ王国では、満月の夜に誕生する男女の双生児は繁栄と幸福の啓示として崇拝されており、この二人も例に漏れずそれはそれは大切に育てられた。

 父アーノルドは長女リリアンナ誕生時にあからさまに落胆し、母ベルシアに「なぜ男児を産まない」と責めたらしい。それは愚かなことであるのだが、男性優位のこの国では反論のしようもなく、難産で痩せこけた唇を噛み締めた。やり場のない悔しさを美しい赤子に向け、一度も抱き締めることなく乳母に任せきりだった。

 八年の時を経て産まれた双子の存在は、長年肩身の狭い思いをしてきたベルシアを救う救世主。国王からも「国の宝」と祝辞を賜り、影を落としていたエトワナ家に差し込んだ眩い光。リリアンナとの扱いは雲泥の差で、たっぷりの愛情を注がれた二人はすくすくと育ち、少々育ち過ぎるほど育ち、見事ふっくら愛らしい令嬢と令息へと成長を遂げていった。

 長女リリアンナは、自身が誰からも期待されていないことを知りながら、将来は家の為少しでも両家の令息と婚約を結べるよう、血の滲むような努力をして知識と教養を身につけた。

 母親譲りの美貌はそのままに、父親のような賢才を備え読み書きはもちろん他国語まで身に付けた。その甲斐あってか、彼女は国の第二王子と婚約を結んだ。が、ちょうどその頃に双子が誕生した為に、形式上の祝辞はあっても両親は彼女に祝福の言葉すらかけなかった。

 また、リリアンナは自分にも他人にも厳しいきらいがあり、妥協という言葉を知らない頭の固い性分だった。

 彼女はただ、これまで努力を強いられる立場にあった為甘えることを知らないだけなのだが、他者から見ればそれは情のない冷たい姿に映っていた。

 婚約者である第二王子レオニルも、可愛げがないと彼女を敬遠した。所詮家格に物を言わせた政略結婚だと、嫉妬した令嬢達から陰口を叩かれる。それでも一切の感情を面に出さず、その人の為にと思って淑女らしからぬ振る舞いを注意した。

 いつしかリリアンナは「悪役令嬢」と呼ばれるようになり、それが自分のことだと知った日は自室に篭って一人で泣いた。

 それ以外にも様々な理由が重なり、リリアンナと双子の差はますます開いていく。けれど彼女は決して腐らず、粛々と己の為すべきことをこなしていく。

 冷静で口調もはっきりとしており、端正でメリハリのある顔立ちのせいもあって誤解されがちなリリアンナだが、本当は家族思いの優しい性格。歳の離れた弟妹が好き過ぎてつい世話を焼いてしまい、しかもそれを悪役令嬢の嫌がらせとして誤解されていた。

 自分より遥かに愛され可愛がられているケイティベルとルシフォードを、恨む気持ちなど一切ない。いつかあのもちもちとしたふくよかな頬に思いきり頬擦りしたいと、彼女はそんな可愛らしい夢を見ていたのだった。


「ルシフォード、見て!このお花グラデーションになってる!綺麗ねぇ」

「最近あったかくなったから、太陽からいっぱい力をもらったのかもしれないね」

 愛情をたっぷり受けて育った男女の双子、ケイティベルとルシフォード。真っ白ですべすべの肌は日焼け知らずで、傷ひとつない。輝く金髪はさらさらとして指通りが良く、爽やかな青空をそっくり写したような瞳はいつも周囲から褒められた。

 美味しい食事と甘いお菓子を好き放題に与えられる環境のせいで二人はふくよかな体型をしていたが、裕福な貴族の子どもであればさほど珍しくもない。

 むしろ、焼きたての白パンを彷彿させるふっくらとした頬は愛らしく、思わず手を伸ばして触りたくなる。多少の我儘はご愛嬌で、子どもらしいあざとさと素直な性格の可愛らしい子だった。

 二人はいつも一緒で、きゃっきゃと仲良く遊んでいた。たまに喧嘩もするけれど、基本的には大らかで些細なことを気にしない。そんな二人は王宮に招かれた際も大人気で、ダンスの真似事でもしてみせればたちまちプレゼントで両手がいっぱいになった。

「ねぇ、ルーシー。あと一ヶ月で、私達の十歳の誕生日でしょう?今年は、去年よりもっと豪華なパーティーを開くって、お母様がおっしゃっていたわ」

 二人は公爵邸の中庭にて、太陽の日差しをいっぱいに浴びながら花を摘んで遊んでいる。ルシフォードは一番元気のない花を摘み取ると、ふくふくとした指で大好きな双子の姉の小さな耳元にそっと挿してやった。それはすぐに、しなしなと頭を垂れる。

「ベルは、何色のドレスを着たいの?」

 子どもらしい高めの声と、ゆったりとした口調。男児としては少々気骨さが足りないような印象もあるが、優しいルシフォードは皆から好かれていた。

 互いをルーシー、ベルと愛称で呼び合い、寝る時も体を寄せてくっつきながら眠る。ふくよかな体と高めの体温のせいで、特に夏場は起きるといつもびっしょり汗をかいていた。

「いつもみたいに可愛い色も好きだけど、たまには黒やグレーも着てみたいわ」

「そういう色は、ベルよりリリアンナお姉様の方が似合いそうだよ」

 ルシフォードの言葉を受けて、ケイティベルは頭の上にふわふわと姉の姿を思い浮かべる。家族の中で唯一アッシュブラウンの髪色で、濃いロイヤルブルーの瞳はキツい印象を与えている。濃い睫毛と吊り気味の目元も、気性の激しさを表していると周囲から囁かれていた。

「お姉様って、どうしてあんなに厳しくて怖いのかしら」

「さぁ、僕達のことが嫌いなのかも」

「遊んでってお願いしても、いつも断られてしまうしね」

 子どもの言葉に、悪意などない。思ったままを口にしているだけで、嘘もなければ方便も使えなかった。

「綺麗で賢くて、自慢のお姉様なのに。笑ったお顔を見たことがないわ」

「僕は、怖いから苦手。ベルと一緒じゃなきゃ、お喋りも出来ないよ」

 周囲の大人達は二人に甘い為、威圧的な態度を取る人間に慣れていない。リリアンナからしてみれば厳しさも溢れる愛情ゆえなのだが、八つも下の弟妹には通じないし、それを諭す者もいない。

 リリアンナについての話もいつの間にか終わり、ころころと話題は移り変わる。ケイティベルはシロツメクサでせっせと花冠を作っている。それはふにゃふにゃと頼りなく曲がり、今にもばらばらに解けてしまいそうな出来だった。

 ルシフォードは、ひっくり返った虫を助けようと奮闘している。指で触る勇気はないので、拾った木の棒でつんつんと突いた。

「二人とも、お母様がお呼びよ」

 その時、よく通るハスキーボイスが二人の背後で響く。同時に振り向くと、光沢のあるブラックドレスを身に纏ったリリアンナが、小さな弟妹を見下ろしていた。

「うわぁ、リリアンナお姉様だ!」

 素直なルシフォードは、素直に反応する。ケイティベルも弟と同じように、手に持っていた花冠をぽとりと落とした。

「どうしてお姉様が、わざわざ私達を呼びに来るの?」

「そうだよ!ここはお姉様の部屋から遠いのに」

 見たところ、リリアンナが乗ってきたと思しき馬車は見当たらない。まさかドレスにヒール姿で歩いてやって来たのかと、双子は顔を見合わせる。

 二人の反応を見ても、リリアンナの顔色は寸分も変わらない。どうせいい顔をされないという予想はついていたが、それでも内心は怯えたような視線がグサグサと彼女の心を貫いていた。

「仕方ないわ。たまたま手の空いている者がいなかったから。私は常に忙しい身だけれど、本当に偶然時間が空いていたの」

 彼女が瞬きを繰り返すのは、嘘を吐く時の癖。長く密度の高い睫毛がばさばさと上下に動くだけで、どうしてだか威圧的に見えてしまう。特に、まだ十にもならない子どもにとっては。

「じゃあ、馬車を使っていないのはどうして?」

「それも、偶然よ。近くにいたから、乗る必要がなかっただけ」

 本当はただ、早く二人の顔が見たくて思わず駆け出しただけの話。道すがら「馬車を使った方が早く会えた」と気付いても、引き返すことも躊躇われたので、結局そのまま全力疾走した。


 ――だって、何か口実でもなければ話す機会なんてないんだもの。


 リリアンナは心の中で真実を吐露するが、それは誰にも伝わらない。

「でも、お母様はお屋敷の中にいるよね?偶然声を掛けられたなら、お姉様もそこにいたんじゃないの?」

「確かに、ルーシーの言う通りだわ」

 意外と鋭い推理に、内心冷や汗を掻くリリアンナ。これ以上上手い言い訳が思いつかなかったので、適当に咳払いをしてその場を誤魔化すことにした。

「どこにいようが、私は用を済ませたわ。それが事実なのだから、余計な詮索はやめてちょうだい」

 口にした後、すぐに後悔する。図星を突かれて焦ったからと、冷たい言い草をしてしまったと。案の定二人はびくりと肩を震わせ、口をつぐんで俯く。

 リリアンナの声は女性にしてはハスキーで、それも彼女がキツく感じる一因となっている。身長も高く、手足もすらりと長い。常にまっすぐ伸びた背筋とやや痩せ気味の体は、こと貴族男性からはマイナス要素として捉えられていた。彼女の隣に立つと、大抵の男は引き立て役になってしまうから。

「やっぱり、お姉様って怖いや」

「ルーシー、口に出ちゃってるわよ!」

「えっ、嘘!心の中で言ったつもりだったのに!」

 慌てて口元を押さえる様子が可愛らしく、つい笑いそうになったリリアンナは必死に堪えようと頬に力を入れる。その表情が、ルシフォードにとっては怒っているようにしか見えなかった。

「ごめんなさい、お姉様。ルーシーを怒らないであげて」

「別に謝る必要はないわ」

 大きな空色の瞳いっぱいに涙を溜めて、うるうると自分を見つめる妹の可愛さに、リリアンナは内心悶絶している。なんとか気分を紛らわそうと、彼女はケイティベルの耳元に挿されている花に目を止めた。

「それ、萎れているわね。別の花に変えたら?」

「えっ?でもこれは……」

「貴女には相応しくないように見えるわ」

 抑揚のない声色で放ったその台詞の真意は「可愛い貴女にはもっと美しい花が似合う」というものだったが、幼い二人がそれを汲み取れるはずがない。一番目立つ花を自らの手で彼女にプレゼントしたくて堪らなかった。

 ルシフォードはそんなリリアンナの言葉に傷付き、ぎゅっと唇を噛み締める。萎れていると分かっていてあの花を選んだのは、元気がなくて可哀想だと思ったから。

 彼は彼なりに、ちゃんとした想いがあってのことだったのだが、今しがた姿を現したばかりのリリアンナがそれを知るはずもない。

 今にも泣き出しそうなルシフォードに気付いた彼女は、長い睫毛をばさばさと上下させながら大いに動揺した。

「これはルーシーが私にくれたの、だからそんな言い方しないで!」

 ふくふくした短い両手をいっぱいに伸ばして、大好きな弟を庇うように抱き締める。リリアンナを睨みつける瞳に傷付いたのは事実だが、それよりも「私も抱き締められたい」と羨む気持ちの方が遥かに勝っていた。

「そう、分かったわ」

「お、怒ってる……?」

「いいえ」

 可愛い弟妹に怒りが湧くはずない。けれど不器用で恥ずかしがり屋で、意外と卑屈で臆病なリリアンナは、いつも素直な思いを伝えられずにいる。自分が両親から好かれていないと知っているから、仲良くすることで愛する二人に迷惑が掛かるのではないかと、そんな風に考えていたのだ。

「先に戻っているわ」

 ブラックドレスの裾をひらりと翻しながら、リリアンナは視線だけを向ける。ルシフォードとケイティベルは顔を見合わせながら、あからさまにほっとした表情を浮かべた。

 彼女が足を踏み出した拍子に、ケイティベルが落としていた花冠を誤って踏んでしまった。それはぐしゃりと崩れて、もう頭に被せることは出来ない。

「ごめんさい、ケイティベル。わざとではないの」

「そんなの分からないじゃない、お姉様のいじわる!」

 彼女が編んだそれは、お世辞にも出来がいいとは言えなかった。先ほど萎れた花に言及したリリアンナは、きっと不出来な花冠が気に入らなかったのだと、そんなふうに思ってしまったのだ。

「待って、ベル!」

 ルシフォードは、大粒の涙を流しながら駆け出す双子の姉を見て、すぐにその背中を追う。自身が泣きそうだったことなどすっかり頭から抜け落ちていた。

「……私が来ない方が、あの二人を傷付けずに済んだわね」

 ひとりぼっちになったリリアンナの嘆きは、涼やかな時津風に流されて消える。どうしていつもこうなのだろうと、情けなくて泣きたくなった。

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